goo

『砦の上に』向原祥隆著


『砦の上に』を手にした。鹿児島・南方新社代表・向原祥隆さんの本だ。帯には「崩れゆく田舎と崩れゆく日本の折々の記。」とある。タイトルの『砦の上に』を見て、松下 竜一さんの『砦に拠る』を思い出した。「蜂の巣城」でよく知られているが、あらゆる「知」を総動員してダム建設に反対した室原知幸さんを主人公にした本だ。向原祥隆さんにも同様の血が流れているようだ。ズボンの後ろに手拭いをぶら下げ、革靴のかかとを踏み潰して履いているその姿は、かつての「バンカラ」そのものだが、少し野性味も感じる。
その向原祥隆さん、東京は人間が住むところではないと故郷鹿児島にUターン。そして南方新社を設立し、本づくりを重ねること30年。だが愛すべきその地も田畑は荒れ、危険な原発があり続け、島々を中心に軍事基地化が急ピッチで進む。そういう中で書き続けた折々の思いを、一冊にまとめたのだ。
「はじめに」の中にこうある。「かつて人々は、暮らしに必要なあらゆるものを自然の中から自分の両の手で作り出していた。食べものはもちろん、家だって自分たちで拵え、着るものも手製だ。今ではお金でそれを得るようになり、より多くのお金を確保しようと躍起になっている。子供の頃から全ての能力はここに動員される。そしていつの間にか、自分では何も作れない存在になった。お金を払い、自分で獲得したつもりになっているが、お金は食券であり、物の交換券だ。千円札であれ、一万円札であれ、日本のお札にはちゃんと日本銀行券を書いてある。働いて券をもらい、食べ物と住む処を与えられる。地球上のあらゆる動物は、自分の手で食べ物を獲得する。与えられて生きるのは家畜だけだ。いつの間にか人間は「家畜」になってしまった。」と。

南方新社とは、『九州の原発』(橋爪健郎編著)に、九州電力が建設しようとした串間原発の攻防を書かせてもらったことで縁ができたが、なかなかの出版社だ。鹿児島や南九州の自然、文化、歴史などを中心に、この30年で刊行した本は650点ほどになるという。覗いてみれば、きっと読みたい本に出会えるはずだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

樋口英明さんの問いただし

樋口英明さんの『私が原発を止めた理由』


3月11日、東日本大震災・福島第一原発事故から10年を迎えた。なので今回は硬めの内容を書いておきたい。

「原発の耐震性は一般住宅より低いという衝撃の事実! 『原発敷地に限っては強い地震は来ない』という地震予知に依拠した原発推進 あなたの理性と良識はこれを許せますか?」
こう問いただす本が出た。著者は、2014年5月に関電大飯原発3・4号機の運転差止め判決、及び翌年4月に関電高浜原発の再稼働差止めの仮処分を決定した元福井地裁裁判長・樋口英明さんである。本の名前は『私が原発を止めた理由』。旬報社からの出版だ。

言わずと知れたことだが、日本は太平洋プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、北米プレートという4枚のプレートがせめぎあうため、強い地震や大きな噴火が度々起きる国だ。世界で起きるM6.0以上の地震の内、約20%は日本周辺で起きている。時にはM9というような超巨大地震や全てを滅ぼす破局噴火さえ起きてきた国だ。そして、これからも起きる国だ。こういう国に原発があること自体、とても危険で恐ろしいことだ。
普通、世間では、原発は地下の岩盤に設置されているから地表より地下の揺れの方が小さいと思われているだろうが、この本を読めば違うということが分かる。本では、地表と地下の揺れについて、中越沖地震時の柏崎刈羽原発で観測と福島第一原発で観測された地震動を図示し、むしろ地表の方が地下(解放基盤表面)より揺れが小さかったことを明らかにしている。電力会社などが「原発は堅固な岩盤の上に直接設置されているので、やわらかい地盤の上に造られた一般の建物と比べ、揺れが2分の1から3分の1程度になる。」などと説明してきたのは間違いだったのだ。
昨今、裁判で取り上げられる機会が多くなった基準地震動のバラツキ問題では、松田式をもとに簡潔に説明している。松田式は日本で起きた14個の地震を取り上げ、活断層の長さに応じた平均的地震規模を求めたものだ。式に使った地震がたった14個ということも問題だが、その中でさえ、式から大きく逸脱する地震もあれば逆に小さな地震もある。そのようなバラツキがあるため、余裕を持ったとしても、基準地震動に松田式に求める事は根源的誤りとしている。その上で、高度の安全性が求められる原発の耐震性の基準を定めるには、「実際に起きた最大の地震のMを結んだ線」を、「最低限の」地震規模Mと特定すべきとしている。その通りと思う。
また、どの原発でも現在の基準地震動に比べ建設当時の基準地震動が極めて低いことに驚くが、これについての答えは次のようだ。1941年に河角廣という地震学者が「震度と最大加速度の対応表」を提唱し、戦後も強い影響力を持ったからだという。それによれば、震度7は400ガル程度、震度6は250〜400ガル程度とされていたのだ。しかし、阪神・淡路大震災以降の観測網整備により、震度7は1500ガル程度以上と判明したのだそうだ。震度7が400ガル程度以上と思われていたのが、実は1500ガル程度以上だったのだ。その上、地震学者さえ、重力加速度(980ガル)を超える地震はないと考えていたのに、1000ガルを超える地震が度々観測され、4022ガルというギネス掲載の岩手・宮城内陸地震さえ観測されているのが今の日本だ。本には「1000ガル以上の地震とハウスメーカー及び原発の耐震性」という図も掲載され、M6程度のどこでも起こりえる地震でさえ、原発の基準地震動を超える場合があることが分かるようになっている。地震が起きるたびに、原発の心配をするのは、もう終わりにしたい。国民みんなに読んで欲しい本だ。

本の最後には、キング牧師の言葉をが掲載されている。
「究極の悲劇は悪人の圧政や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。結局、我々は敵の言葉ではなく、友人の沈黙を覚えているものなのだ。問題に対して沈黙を決め込むようになったとき我々の命は終わりに向かい始める。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「原田マハ」を読む


新型コロナで外に出る機会が減った分、本を読む機会は多かった。一人の作家の小説を読み続けたのは、もう随分昔、司馬遼太郎の歴史小説を読み続けて以来だ。町にある本屋さんでカバーの絵に見覚えがあり、最初に手に取ったのが『楽園のカンヴァス』だった。著者は原田マハ。プロフィールには、「森ビル森美術館設立準備室在席時、ニューヨーク近代美術館に派遣され同館に勤務。」とあった。小説の内容は、アンリ・ルソーの名作『夢』をめぐるミステリーだ。読んでみて新しく知ることも多く、スピーディな展開に飽きることはなかった。キュレーターという職業の内容や、あのピカソがルソーを高く評価していたこともこの本で初めて知った。
ということで、本屋に足を運ぶたびに、原田マハの作品探すことになった。次に手に取ったのが『暗幕のゲルニカ』。暗黒ではない、暗幕だ。『ゲルニカ』自体は、パブロ・ピカソが故国スペイン内戦でゲルニカが無差別空爆を受けたことに衝撃を受けて描かれた絵画だが、小説『暗幕のゲルニカ』を書く動機がこの作家の鋭いところだ。2001年9月に起きた同時多発テロを受けて、アメリカは「テロとの戦い」を標榜し大量破壊兵器開発の疑いがあるとの理由でイラクを攻撃目標に定めた。そしてパウエル国務長官が国連安保理ロビーで記者会見となったのだが、その時長官の後ろに位置する場所には、『ゲルニカ』のタペストリーがあったのだという。しかし『ゲルニカ』には暗幕がかけられた状態だったというのだ。そのことにマハは衝撃を受けたのだという。直感的に、戦争になればイラクの地でゲルニカ同様のことが起こることを思った人物が暗幕をかけたと思ったのだ。小説は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレーターが、『ゲルニカ』をめぐる陰謀に巻き込まれていくというアートサスペンスだが、この本を読み終えて『ゲルニカ』への思いはより強くなった。いつの日か『ゲルニカ』を自分の目で見たい・・・。

読んだ本をひとつひとつ紹介するのは大変なので、写真を参考にして欲しい。読んだのは左から順だ。『ジベニールの食卓』は、クロード・モネやマティス、セザンヌなど印象派の葛藤や作品を、『リーチ先生』はイギリスの陶芸家バーナード・リーチと柳宗悦や濱田庄司らとの交友等を描いたアート小説だ。リーチは小鹿田焼(大分県日田市)も訪れ、作陶しているから親近感がわく。『たゆたえども沈まず』はゴッホの物語り・・・等々。

年末に読んだ『サロメ』は印象が強かった。表紙カバーは黄色地に墨1色で、ヨナカーンの首を手にするサロメ。ビアスリーが描いた絵だ。表紙をめくれば、「あゝ! あたしはとうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナー ン、お前の口に口づけしたよ」----オスカー・ワイルド〈サロメ〉という台詞。19世紀末の耽美的・退廃的文学の代表的作家で男色家ワイルドと、見いだされていくビアズリーとの禁断の関係などを描いた長編アートミステリーだ。少しゾクゾクするが読み応え十分だった。
今年に入って読んだ『総理の夫』は、42歳の若さで総理に選出された女性の夫が主人公の小説だ。男社会に挑む総理の奮闘と支える夫の日々を日記風に綴っている。ジャーナリストの国谷裕子さんが「あとがき」を書いている。本の帯には映画化決定、2021年秋全国ロードショーとある。こうあって欲しいという作家の思いが詰められた本であり、五月のさわやかな風に似た爽快感を感じた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )