一人想うこと :  想うままに… 気ままに… 日々徒然に…

『もう一人の自分』という小説を“けん あうる”のペンネームで出版しました。ぜひ読んでみてください。

また新婚さんになった・・・

2010-02-22 22:06:53 | インポート
 息子が就職を機に一人住まいをしたいと言って自分でマンションを借り引っ越して行った。
と言っても引越し先は、同じ中央区の家から極近いマンション。
それでも一昨年に娘が結婚し、今年は息子が家を出ると、家に残るのは私とカミさんのジジババ二人だけになってしまった。
考えてみると結婚して直ぐに長女が生まれたので、それからは戦争のような日々を過ごしてきたような気がする。
それが息子がいなくなると、急に静かな家になってしまった。
正直言って、「寂しい」そう思っていると、何故かカミさんはウキウキとしている。
しかも、
「ワーイ、ワーイ、新婚さんだぁ~・・・!!」
といって、ルンルン気分のようだ。
そして、毎日家の中の掃除と部屋の模様替えに楽しんでいる。
言われると確かにそうかも知れない。
カミさんと二人だけで過ごすのは、結婚前いらいかも・・・
何事も考えようだね・・・!!


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旧陸軍パイロット黒沢軍曹68年ぶりの帰国

2010-02-12 22:53:23 | インポート
 先ほどフィリピン・ルソン島に米軍機と空戦し、戦死した叔父の遺骨収集に行っていた義姉が、叔父の遺骨と共に成田に着いたとメールがあった。
 今回、叔父の機体と遺骨を発見したのは、叔父と空戦した米軍機の遺族から以来を受けたアメリカ人が、米軍機を捜索していて偶然見つけたものだった。
そして日本の戦史研究家らに協力を仰いで遺族である義姉の元に連絡があった。
このように遺族が現地に行く前に戦没者の氏名が分かったのは初めてのケースらしい。
それほど黒沢軍曹は日本に帰りたかったのだろう。
 今日付けの北海道新聞に詳しい記事が載っています。
(写真をクリックすると拡大します)


Kurosawa1


 ただ、残念なことに、空戦相手だった米軍パイロットの遺骨はまだ見つかってはいない。
早く見つけてあげて、同じようにアメリカに返してあげたい。
義姉はそう思って手を合わせている。


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『ソース焼そば 目玉焼のせ』 其の一

2010-02-02 21:55:35 | インポート
 例の深夜食堂で、『ソース焼そば 目玉焼のせ』をテーマにやっていた。
今でこそ、札幌でも『ソース焼そば』の専門店は数多くあるし、スーパーでも普通に売られている。
だが、私が子供だった頃は、せいぜいインスタントの『香港焼そば』があるくらいで、本格的な『ソース焼そば』というものは食べたことがなかった。
それが中学生になった頃だったと思う。近所に『ソース焼そばとお好み焼き』の店がオープンし、友達に誘われて行ってみた。
 この店は『○月』という5~6人が座れるほどのカウンターだけの小さな店で、店主は関西の人で京都出身らしい。
 私と友達は、恐る恐る暖簾をくぐると、カウンターに座り、『ソース焼そば』なるものを注文した。
すると店主は私たちの目の前にある大きく広い鉄板の上で、「ジャージャー」と焼そばを作り始めたのである。
こういう鉄板焼というものすら初めて見る光景だった。
そして、その『ソース焼そば』というものの味は、本当に美味しいものだった。
 私達は、もうこの店の虜になり、高校を卒業するまで通いつめたものだった。
あの頃の中学生や高校生の間では、ある種、この『○月』というお店はブームだったと思う。
放課後や土日ともなると、満員で行列ができるほどだった。
 あの頃から30年以上が経ち、あの小さな『○月』というお店も大きく成長し、札幌市内に何店もチェーン店を出すようになっていた。
 数年前に懐かしくなって、ある『○月』のチェーン店に入って30年振りに『ソース焼そば』を食べてみた。
だが、このチェーン店の『ソース焼そば』は、あの小さなお店で食べてた味とはまったく違っていた。
正直言って、インスタント的な、あるいはファーストフード的な味になっていたのである。
 あの『○月』という小さなお店で、店主が一つ一つ愛情を込めて作っていた『ソース焼そば』。
あの味をもう一度食べてみたい。
ふと思うことだった。


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忌野清志郎さん逝く

2009-05-03 23:29:45 | インポート
 忌野清志郎さんが亡くなったそうだ。
RCサクセションからのファンだった私にとっては、もう、あの独特の歌声を聴く事ができないと思うと、悲しい限りだ。
最近、本当に訃報を聞くことが多い。それも同年代の人たちが・・・
社内でも立て続けに先輩が亡くなった。
それも現役で仕事をしている最中に・・・・
そろそろ自分もそういう歳に近づいてきたのかな~とつくづく思ってしまう。

ご冥福をお祈りします。


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