叔母が亡くなった。
私の母親の三番目の妹だった。
体調を崩し、入院してから一週間、あっという間だった。
叔母には一人息子の従兄弟がいた。
母一人、子一人の生活。昔から仲の良い親子だった。
叔母が入院している間、見舞いに行ったが、すでに悟っているのか従兄弟の顔を見るのは本当に辛かった。
そしてお葬式。
それは身内だけの家族葬だった。
ごく近い家族のような親戚だけが集まり、通夜は叔母の自宅で行なわれた。
叔母の家は無宗教だった。だからお坊さんもいない。
居間に祭壇が飾られ、バラの花で埋め尽くされていた。
そして故人を偲んで昔話に花が咲いた。
本当に亡くなった叔母のことを思ってくれている人だけが集まっている。
なんだか私はホッとした気分にさせられた。
本来亡くなった人を送るというのは、こういう事なんじゃないかと・・・
そして翌日。
火葬場で最後のお別れをした時、従兄弟の震えるような、「ありがとう」という言葉が、今も耳に残っている。
家に帰って来てから、カミさんと二人でポツンとでた言葉。
それは、
「私達が死んだら、ああいうお葬式がいいね」
だった。
私の母親の三番目の妹だった。
体調を崩し、入院してから一週間、あっという間だった。
叔母には一人息子の従兄弟がいた。
母一人、子一人の生活。昔から仲の良い親子だった。
叔母が入院している間、見舞いに行ったが、すでに悟っているのか従兄弟の顔を見るのは本当に辛かった。
そしてお葬式。
それは身内だけの家族葬だった。
ごく近い家族のような親戚だけが集まり、通夜は叔母の自宅で行なわれた。
叔母の家は無宗教だった。だからお坊さんもいない。
居間に祭壇が飾られ、バラの花で埋め尽くされていた。
そして故人を偲んで昔話に花が咲いた。
本当に亡くなった叔母のことを思ってくれている人だけが集まっている。
なんだか私はホッとした気分にさせられた。
本来亡くなった人を送るというのは、こういう事なんじゃないかと・・・
そして翌日。
火葬場で最後のお別れをした時、従兄弟の震えるような、「ありがとう」という言葉が、今も耳に残っている。
家に帰って来てから、カミさんと二人でポツンとでた言葉。
それは、
「私達が死んだら、ああいうお葬式がいいね」
だった。