「井川線(いかわせん)」は静岡県榛原郡川根本町の千頭駅と同県静岡市葵区の井川駅とを結ぶ大井川鐵道の鉄道路線で「南アルプスあぷとライン」の愛称がつけられています。
混同されている方がおられるかも知れませんがこのSLが走っているのは「大井川本線」で「金谷駅」から「千頭駅」までの39.5Kmで
この「千頭駅」から「井川駅」までの25.5Kmが「井川線」となるんです。
先日は隠れ家からの帰りにこの井川線のそばを通って井川まで車を走らせていたわけですが・・・奥方はまだ一度も乗ったことがないとかで「いつかは一度乗ってみたい」などとおっしゃる。
かく申す私は今までに2度の乗車体験がありまして・・・一度目は現役時代にお世話になった会社に入社した年の慰安旅行で横浜から一泊で寸又峡温泉に来た時のことでした。
残念ながら当時の写真は残っておりませんが・・・二回目のこの時はこんな写真を撮っていました。
これは好きで乗ったわけではありませんで・・・他の交通手段が使えなかったから乗らざるを得なかった。
えぇ、今から35年前に南アの山岳地帯を襲った大雨被害で寸断された林道を椹島から畑薙ダムを目指して歩きました。
たまたま赤石岳に登っている時にその大雨に遭遇したんです。
逃げるように山頂の避難小屋を後にして椹島に駆け込んだのが9時40分のことでバスは10分前に出てしまったばかり。
降り続く雨の中で椹島のロッジに泊まって次の朝を迎えたが林道ががけ崩れのためバスの通行は出来ないとの情報が入ったので徒歩での下山を決めて雨がやむのを待って歩き出し、途中のこんながけ崩れ箇所は・・・最初の方こそ数えていたが、あまりの多さに途中で数えるのをやめた。
濁流が渦巻く大井川の本流を眼下に眺めて
途中何ヶ所も沢からの流出物に邪魔をされながらも
何とか畑薙橋までたどり着いたけど・・・そこにはあるはずの橋がなかった。
この後右岸を高巻いて畑薙大吊り橋経由で何とか車を停めていたダムまでたどり着くことが出来たものの道路が寸断されていて車は使えず。
ダムサイトでビバークした後の翌日大雨の中を井川目指してひたすら歩く。
途中にあった民宿兼食堂で何日ぶりかでまともなものを口にする事が出来て元気を回復して再び歩き始めた。
この時通りかかった地元のおじさんの軽トラックに拾ってもらって井川まで乗せて行っていただいたものの・・・バスは勿論井川線もがけ崩れのため運行をしていなかった。
復旧するまでの宿泊場所として紹介された民宿の一室で一夜を過ごし・・・翌日の昼ごろになってようやく一部のバス運行区間を織り交ぜて井川線の運転が再開された。
で、窓から撮った一枚でしたが井川線→大井川本線→東海道線を乗り継いで静岡に戻って来たのが赤石岳の山頂避難小屋を後にしてから4日後のことでした。
帰宅してテレビのニュースを見ると・・・「災害救助法」の発令により椹島に停滞していた登山者がヘリで続々と安倍川の河川敷に造られた臨時ヘリポートに下りて来ている。
こっちは4日もかかってやっとのことでたどり着いたと言うのに・・・たったの1時間で楽々帰還とはうらやましい限り。
そんな思い出のある「井川線」でした。
もう二度と登ることはないだろうと思っていたその赤石岳に連れて行ってもらえるかも知れないと言うことになったのがつい先日のことですが・・・当時30代前半で脂の乗り切った時期だったにもかかわらずつらい登りだったことしか記憶にありません。
先日のこんなトホホな失敗談もあることだし・・・来月に入ったらトレーニングにハゲもうと思っていますよ。
混同されている方がおられるかも知れませんがこのSLが走っているのは「大井川本線」で「金谷駅」から「千頭駅」までの39.5Kmで
この「千頭駅」から「井川駅」までの25.5Kmが「井川線」となるんです。
先日は隠れ家からの帰りにこの井川線のそばを通って井川まで車を走らせていたわけですが・・・奥方はまだ一度も乗ったことがないとかで「いつかは一度乗ってみたい」などとおっしゃる。
かく申す私は今までに2度の乗車体験がありまして・・・一度目は現役時代にお世話になった会社に入社した年の慰安旅行で横浜から一泊で寸又峡温泉に来た時のことでした。
残念ながら当時の写真は残っておりませんが・・・二回目のこの時はこんな写真を撮っていました。
これは好きで乗ったわけではありませんで・・・他の交通手段が使えなかったから乗らざるを得なかった。
えぇ、今から35年前に南アの山岳地帯を襲った大雨被害で寸断された林道を椹島から畑薙ダムを目指して歩きました。
たまたま赤石岳に登っている時にその大雨に遭遇したんです。
逃げるように山頂の避難小屋を後にして椹島に駆け込んだのが9時40分のことでバスは10分前に出てしまったばかり。
降り続く雨の中で椹島のロッジに泊まって次の朝を迎えたが林道ががけ崩れのためバスの通行は出来ないとの情報が入ったので徒歩での下山を決めて雨がやむのを待って歩き出し、途中のこんながけ崩れ箇所は・・・最初の方こそ数えていたが、あまりの多さに途中で数えるのをやめた。
濁流が渦巻く大井川の本流を眼下に眺めて
途中何ヶ所も沢からの流出物に邪魔をされながらも
何とか畑薙橋までたどり着いたけど・・・そこにはあるはずの橋がなかった。
この後右岸を高巻いて畑薙大吊り橋経由で何とか車を停めていたダムまでたどり着くことが出来たものの道路が寸断されていて車は使えず。
ダムサイトでビバークした後の翌日大雨の中を井川目指してひたすら歩く。
途中にあった民宿兼食堂で何日ぶりかでまともなものを口にする事が出来て元気を回復して再び歩き始めた。
この時通りかかった地元のおじさんの軽トラックに拾ってもらって井川まで乗せて行っていただいたものの・・・バスは勿論井川線もがけ崩れのため運行をしていなかった。
復旧するまでの宿泊場所として紹介された民宿の一室で一夜を過ごし・・・翌日の昼ごろになってようやく一部のバス運行区間を織り交ぜて井川線の運転が再開された。
で、窓から撮った一枚でしたが井川線→大井川本線→東海道線を乗り継いで静岡に戻って来たのが赤石岳の山頂避難小屋を後にしてから4日後のことでした。
帰宅してテレビのニュースを見ると・・・「災害救助法」の発令により椹島に停滞していた登山者がヘリで続々と安倍川の河川敷に造られた臨時ヘリポートに下りて来ている。
こっちは4日もかかってやっとのことでたどり着いたと言うのに・・・たったの1時間で楽々帰還とはうらやましい限り。
そんな思い出のある「井川線」でした。
もう二度と登ることはないだろうと思っていたその赤石岳に連れて行ってもらえるかも知れないと言うことになったのがつい先日のことですが・・・当時30代前半で脂の乗り切った時期だったにもかかわらずつらい登りだったことしか記憶にありません。
先日のこんなトホホな失敗談もあることだし・・・来月に入ったらトレーニングにハゲもうと思っていますよ。