昨日の朝は良い天気で起きた時は星がたくさん出ていました。
起きたのはまだ日付が変わる前のことでしたから正確には「朝」ではなく「深夜」ということになりますかね。
何の目的があってそんなに早起きをしたのかというと・・・サッカーのスペインリーグで活躍する久保選手の試合のK.O.の時刻が11時過ぎだと思っていたから・・・。
で、起きてすぐパソコンを立ち上げてどうなっているかを確認してみると
あらら、開始時間を間違って覚えていたようでとっくに終わった後でした。
その後で観戦しようと思っていた大谷選手の試合はプレーボールが5時過ぎなのでまだ5時間以上もあるけれども全然眠くはないのでそのまま朝まで起きていて最初から最後までネットで観戦しました。
残念ながら二桁勝利となる10勝目とは行きませんでしたが・・・8回まで投げ、7回の三者連続空振り三振と8回の満塁のピンチで最後の打者をこの日10個目の三振に打ち取った時のこの雄叫びには胸が熱くなった。
残りの試合数からして登板の機会はあと2回あるかないかだと思いますが・・・次回こそ是非ともベーブルース以来の大記録を達成してほしいものです。
そんなわけで、大谷選手の試合が始まったころにはこんな青空で絶好の散歩日和でしたがこの日の散歩は泣く泣くキャンセル。
外に出たのはランチドリンク用の缶チューハイを買いに近所のドラッグストアまで行って来ただけなので昨日の歩数計はたったのこれだけでした。
ここからが本題で、先日「白内障」のことを書きましたがそれに関するこぼれ話を紹介させていただきます。
遺伝ということでもないのでしょうが・・・賢パパの父親も「白内障」でした。
病院の先生からそのこと言われたのは父親が「食道がん」を患っていて入院治療を受けている時だった。
「がんが見つかった」との連絡を受けたのが今から20年以上も前のことでしたが・・・その当時、実家の後を継いでいた弟が既に他界していたので賢パパは取るものも取りあえず、新幹線を乗り継いで実家に帰った。
で、父親に付き添って先生の話を伺ったわけですが・・・当然「すぐに手術」という話になるのかと思ったらそうではなかった。
この時に先生から生まれて初めて「QOL」という耳慣れない言葉を聞かされまして
もうすぐ平均寿命に達するぐらいの高齢なので、もしかしたら寝たきりになるかもわからないリスクを負うよりも手術以外の治療法を選択する道を薦められた。
専門家の薦めですから勿論、それに従いまして放射線と抗がん剤の併用で治療を受けた。
しばらく入院の日が続きましたが・・・その時に父親から「最近、遠くのものがかすんで見える」と言う話を聞いたもので先生に相談してみた。
すると、即座に「白内障によるもので歳をとるとほとんどの人に症状が現れる」と教えてくれた。
白内障ならある程度の知識はあって、薬剤では進行の速度抑制ぐらいしか期待することが出来ず完治には手術が必要ということは知っていた。
それで、先生に「手術で治療していただけますか・・・?」と尋ねてみたのですが・・・その時の先生のお顔は今でもはっきりと覚えていますよ。
あれは、どう見ても「がんの治療がどこまでうまく行くかもわからないのに・・・そして、期待通りの結果になっても退院してうちでおとなしくしているぐらいが関の山なのに一体何を考えているんだ?」という顔でした。
でもねぇ、父親は春の山菜取りから始まって夏は魚獲り(渓流釣りと投網でのアユ漁)で秋はキノコ採りに冬は鉄砲撃ちと80歳近くになっても一年中アウトドアに明け暮れていた健脚自慢の高齢者だったんですよ。
案の定、治療が上手く行って患部が小さくなったので普通に食事を摂れるようになって退院したと思ったらすぐにキノコ採りに行って来たそうで・・・「白内障の治療をしなかったお陰でキノコが見つけにくくて困る」とこぼしていました。
そんな父親が亡くなったのは退院してから何年後かの秋のお彼岸の時で・・・当時はまだケータイ電話を持っていなかった賢パパは通勤で乗っていた新幹線の車内放送で車掌室に呼び出されて自宅に連絡するよう言われて車両に設置された公衆電話で連絡してそのことを知った。
会社には電話で連絡をしてそのまま新幹線を乗り継いで帰省してあわただしく葬儀を済ませて来ました。
最期を看取った家族の話によると昼間はキノコ採りに行って来て・・・晩飯を食べた後で突然倒れてそのまま帰らぬ人となったという父親らしい散り際だったようでした。
つい先日が命日だったのと敬老の日に当たって老後の父親のことを思い出していましたが・・・いつの間にか自分ももう敬老の対象となる歳になっていました。
あと何年生きられるのかはわかりませんが・・・毎日、毎日「今日が今まで生きて来た中で最良の日だった」と思えるような生き方を続けて行きたいと思っていますよ。