土曜日に引き続き、古書をまとめ買い。以下、リスト。(本の大きい順に並べました)
『カンディンスキー』(ベネディクト・タッシェン出版、525円)←カタログに近い
亀山郁夫『終末と革命のロシア・ルネサンス』(岩波書店、1050円)
ジャック・ジョゼ『ラテンアメリカ文学史』(文庫クセジュ、420円)
エラリー・クイーン編『ミニ・ミステリ傑作選』(創元推理文庫、315円)
呉智英『現代漫画の全体像』(双葉文庫、300円)
土曜日に買うか迷った『ラテンアメリカ文学』は結局買ってしまいました。それとやはり逡巡して買わずにおいた『終末と革命のロシア・ルネサンス』も購入しました。先日はパスカルの『ロシア・ルネサンス』を買ったばかりで、これでロシア・ルネサンス関係の書が一気に2冊になったことになります。ロシア・ルネサンスという言葉をぼくはきちんと説明できないのですが、要するに、ロシア革命期(1917年頃)から30年代くらいまでにロシアで興った芸術のカーニバル的様相を指して言われる言葉であるようです。当時は芸術が百花繚乱に咲き乱れた時期で、美術・文学・建築等において既成の概念を打ち破る「新しい芸術」(あるいは「新奇の芸術」と言ってもよいかも)が次々と現れたのでした。カンディンスキー、タトリン、ロトチェンコ、メイエルホリド、フレーブニコフ、マヤコフスキーなどが活躍し、そして散ってゆきました。しかしながらその一方で、散文は危機の時代を迎えていたと言えます。詩は独特の発展を見ましたが、19世紀的な小説には疑問符の札が貼られ、マンデリシュタームなどは「ロマンの終焉」を宣言し、筋のない小説を実践しました(『エジプトのスタンプ』)。スターリンの主導する社会的リアリズムによって小説が旧来の形式を取り戻したことは皮肉と言わざるを得ません。もちろん、そういう定型的な小説に反発するかのような小説は隠然と書き続けられ、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』が書かれたのもこの時期です。スターリンによる粛清の嵐は愈々強まり、一挙に花開いたアヴァンギャルド芸術はその花びらを萎れさせ、散らしてゆきます。しかし現在では、スターリンとの熾烈な攻防の中で個々の芸術が高められた過程が研究され(亀山郁夫)、またその芸術そのものが画一的で全体主義的な思想を胚胎したとも言われます。イタリアのマリネッティに遡る未来派の勃興、ツァラが代表する各国のダダの隆盛もこの時期のことであり、非常に研究しがいのある、そして実際人気の高い分野ですね、ロシア・ルネサンスというのは。
先日言及したハルムスはまさにこの時代の人間であり、近年はヨーロッパでハルムス・ブームが起きているとのこと。せっかくなので、彼の代表的なごく短い小品を紹介します。
☆☆☆
ブルーノート№10
赤毛の男がいた。彼には目も耳もなかった。髪もなかった。赤毛と呼ばれるのもとりあえずのことだった。話すことができなかった。なぜなら彼には口がなかったから。鼻もなかった。彼には手だって足だってなかった。腹もなかったし、背中もなかったし、背骨もなかった。内臓なんか一つもなかった!なんにもなかった!もう誰の話をしているのかわからない。いやはや、彼についてはこれ以上話さないほうがよさそうだ。
☆☆☆
引用は『ハルムスの小さな船』から。なお原文に忠実にするため改行は施しませんでした。言葉の戯れのようなこの非常に短い作品(「小説」と呼ぶことさえ躊躇われるような)は、「ハルムス的」と称せそうな特徴を帯びています。シニフィアンとシニフィエの乖離、不条理性などです。しかし難しいことはさておき、この「空の空」を志向するかに見える作品の切れ味鋭いおもしろさは格別です。もっと本格的なハルムスの翻訳が待たれます。特に『エリザベータ・バム』を始めとする戯曲、そして連作集『出来事』の完訳は急務です。まあぼくはどちらもロシア語で読んでますが…
さて、ぼくは抽象絵画というものに苦手意識があるのですが、カンディンスキーのカタログをぱらぱらとめくって掲載されている絵を眺めてみると、その色彩の洪水に興味を惹かれました。バウハウス時代以降の幾何学的な絵はやはりそれほど好きではありませんが、中期の自由で多彩な色彩で描かれた大胆な構図の絵は、シャガールを髣髴とさせるような幻想味を纏っており、まるで目と心を洗われたような気持ちになりました。「絵画の見方」のようなものを勉強しなくては、と前々から思っているのですが、なかなか踏み出せずにいます。せめてもっと色々な絵画に触れるべきだな、と決心を新たにしたのでした。
もうだいぶ長い文章を書いていますが、せっかくなのでもう一つだけ付け足して、今日はロシア尽くしにしましょう。『ミニ・ミステリ傑作選』を購入したことは最初に書きましたが、この中に唯一のロシア文学としてチェーホフの作品が一つ入っています。題して「子守歌」。ピンときましたね。あの小説だな、と思い至ったのはもちろん、題名が変えられていることに「へえ」と少し驚いたのでした。これ、原題は「眠い」という意味のロシア語です。邦訳もそのまま「眠い」が定訳です。ところが、この『ミニ・ミステリ』(初版は1975年)の底本は英語の本であり、チェーホフの小説の末尾に英語の題が掲げられています。そこには、「Hush-a-bye,My Baby」とあります。随分と意訳されたものですね。しかもこの本ではそこから更に「子守歌」に変更されているのです。巻末の解説を読むと、「レフ・トルストイ」とすべきところを「レオ・トルストイ」と書いているので、だいぶ古い頭の解説者だなあといささか呆れました。この解説者は翻訳を兼ねていませんが、チェーホフの邦訳と併せて、なんとなく本全体まで怪しく思えてきます。ま、ショートショートが読めれば十分なんですけどね。
『カンディンスキー』(ベネディクト・タッシェン出版、525円)←カタログに近い
亀山郁夫『終末と革命のロシア・ルネサンス』(岩波書店、1050円)
ジャック・ジョゼ『ラテンアメリカ文学史』(文庫クセジュ、420円)
エラリー・クイーン編『ミニ・ミステリ傑作選』(創元推理文庫、315円)
呉智英『現代漫画の全体像』(双葉文庫、300円)
土曜日に買うか迷った『ラテンアメリカ文学』は結局買ってしまいました。それとやはり逡巡して買わずにおいた『終末と革命のロシア・ルネサンス』も購入しました。先日はパスカルの『ロシア・ルネサンス』を買ったばかりで、これでロシア・ルネサンス関係の書が一気に2冊になったことになります。ロシア・ルネサンスという言葉をぼくはきちんと説明できないのですが、要するに、ロシア革命期(1917年頃)から30年代くらいまでにロシアで興った芸術のカーニバル的様相を指して言われる言葉であるようです。当時は芸術が百花繚乱に咲き乱れた時期で、美術・文学・建築等において既成の概念を打ち破る「新しい芸術」(あるいは「新奇の芸術」と言ってもよいかも)が次々と現れたのでした。カンディンスキー、タトリン、ロトチェンコ、メイエルホリド、フレーブニコフ、マヤコフスキーなどが活躍し、そして散ってゆきました。しかしながらその一方で、散文は危機の時代を迎えていたと言えます。詩は独特の発展を見ましたが、19世紀的な小説には疑問符の札が貼られ、マンデリシュタームなどは「ロマンの終焉」を宣言し、筋のない小説を実践しました(『エジプトのスタンプ』)。スターリンの主導する社会的リアリズムによって小説が旧来の形式を取り戻したことは皮肉と言わざるを得ません。もちろん、そういう定型的な小説に反発するかのような小説は隠然と書き続けられ、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』が書かれたのもこの時期です。スターリンによる粛清の嵐は愈々強まり、一挙に花開いたアヴァンギャルド芸術はその花びらを萎れさせ、散らしてゆきます。しかし現在では、スターリンとの熾烈な攻防の中で個々の芸術が高められた過程が研究され(亀山郁夫)、またその芸術そのものが画一的で全体主義的な思想を胚胎したとも言われます。イタリアのマリネッティに遡る未来派の勃興、ツァラが代表する各国のダダの隆盛もこの時期のことであり、非常に研究しがいのある、そして実際人気の高い分野ですね、ロシア・ルネサンスというのは。
先日言及したハルムスはまさにこの時代の人間であり、近年はヨーロッパでハルムス・ブームが起きているとのこと。せっかくなので、彼の代表的なごく短い小品を紹介します。
☆☆☆
ブルーノート№10
赤毛の男がいた。彼には目も耳もなかった。髪もなかった。赤毛と呼ばれるのもとりあえずのことだった。話すことができなかった。なぜなら彼には口がなかったから。鼻もなかった。彼には手だって足だってなかった。腹もなかったし、背中もなかったし、背骨もなかった。内臓なんか一つもなかった!なんにもなかった!もう誰の話をしているのかわからない。いやはや、彼についてはこれ以上話さないほうがよさそうだ。
☆☆☆
引用は『ハルムスの小さな船』から。なお原文に忠実にするため改行は施しませんでした。言葉の戯れのようなこの非常に短い作品(「小説」と呼ぶことさえ躊躇われるような)は、「ハルムス的」と称せそうな特徴を帯びています。シニフィアンとシニフィエの乖離、不条理性などです。しかし難しいことはさておき、この「空の空」を志向するかに見える作品の切れ味鋭いおもしろさは格別です。もっと本格的なハルムスの翻訳が待たれます。特に『エリザベータ・バム』を始めとする戯曲、そして連作集『出来事』の完訳は急務です。まあぼくはどちらもロシア語で読んでますが…
さて、ぼくは抽象絵画というものに苦手意識があるのですが、カンディンスキーのカタログをぱらぱらとめくって掲載されている絵を眺めてみると、その色彩の洪水に興味を惹かれました。バウハウス時代以降の幾何学的な絵はやはりそれほど好きではありませんが、中期の自由で多彩な色彩で描かれた大胆な構図の絵は、シャガールを髣髴とさせるような幻想味を纏っており、まるで目と心を洗われたような気持ちになりました。「絵画の見方」のようなものを勉強しなくては、と前々から思っているのですが、なかなか踏み出せずにいます。せめてもっと色々な絵画に触れるべきだな、と決心を新たにしたのでした。
もうだいぶ長い文章を書いていますが、せっかくなのでもう一つだけ付け足して、今日はロシア尽くしにしましょう。『ミニ・ミステリ傑作選』を購入したことは最初に書きましたが、この中に唯一のロシア文学としてチェーホフの作品が一つ入っています。題して「子守歌」。ピンときましたね。あの小説だな、と思い至ったのはもちろん、題名が変えられていることに「へえ」と少し驚いたのでした。これ、原題は「眠い」という意味のロシア語です。邦訳もそのまま「眠い」が定訳です。ところが、この『ミニ・ミステリ』(初版は1975年)の底本は英語の本であり、チェーホフの小説の末尾に英語の題が掲げられています。そこには、「Hush-a-bye,My Baby」とあります。随分と意訳されたものですね。しかもこの本ではそこから更に「子守歌」に変更されているのです。巻末の解説を読むと、「レフ・トルストイ」とすべきところを「レオ・トルストイ」と書いているので、だいぶ古い頭の解説者だなあといささか呆れました。この解説者は翻訳を兼ねていませんが、チェーホフの邦訳と併せて、なんとなく本全体まで怪しく思えてきます。ま、ショートショートが読めれば十分なんですけどね。