収録作品は、「中国行きのスロウ・ボート」「貧乏な叔母さんの話」「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「カンガルー通信」「午後の最後の芝生」「土の中の彼女の小さな犬」「シドニーのグリーン・ストリート」。執筆順です。
これは村上春樹の第一短編集です。『羊をめぐる冒険』に前後する時期に書かれたそうです。
さて、感想ですが、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」からぐっと上手くなったような気がしました。春樹らしさが出た、というか。その前の二作品はどうも成功していないようだなと感じていたのですが、「ニューヨーク」で一気に洗練されたというか。しかし、この二作品は前日の夜中、眠い目をこすりながら読んだので、それほどおもしろく感じなかったのは、ぼくの体調のせいかもしれません。
基本的に現実の情景を描いた作品集だと言えそうです。「貧乏な叔母さんの話」と「シドニーのグリーン・ストリート」だけはいささか幻想的ですが、それ以外は地に足の付いた物語です。特に「午後の最後の芝生」などはこれといった事件は一つも起こりません。しかしながら、実に妙な味わいを残す佳品です。芝刈りのアルバイトをしている「僕」が、その最後の仕事場で体験する出来事がこの小説の主要部分です。ガールフレンドと別れた「僕」は、お金をためる必要を失って、バイトを辞めることにします。最後に派遣された家で、「僕」はいつも通りにきちんとした仕事をし、それでその家の寡婦から褒められます。「僕」は昼食とお酒をごちそうになり、ある部屋に案内されます。そこは典型的な女の子の部屋で、「一ヶ月ぶんくらいのほこり」の積もった机が置いてあります。奥さんから本棚や化粧品、洋服ダンスなどを見せられた「僕」は、奥さんに質問されます。彼女についてどう思うか、と。この部屋の住人はどのような人物か、「僕」は推理することを余儀なくされ、別れたガールフレンドのことを考えながら、答えます。
これは一体どういうことなのでしょうか。女の子の洋服ダンスを今日はじめて会ったばかりの青年に見せる寡婦の異常さ、そしてどういうわけか「一ヶ月ぶんくらいのほこり」の積もった机。女の子はなぜこの家にいないのか。一人立ちしたのか、長期の旅行(留学)に出ているのか、それとも…。この女の子の部屋が娘の部屋だとはどこにも書かれていないことも気になります。そもそもどういうわけでこの寡婦は部屋の住人の人物像を「僕」に当てさせようとするのか。種明かしはなく、謎のままにこの小説は終わります。現実の出来事だけを描きながら、不思議な世界を垣間見せてくれる物語。奇妙な魅力の詰まった作品です。ちなみに、「「あなたのことは今でもとても好きです」と彼女は最後の手紙に書いていた。」という文は、新海誠の『秒速』で変形させて「引用」されていますね。水野がタカキに宛てたメールがそうです。新海誠は村上春樹のことが好きだとたしか公言していたと思いますが、実際、その映画には春樹の小説から取られた表現が散見されますし、『雲のむこう』には春樹の本が画面に現れます。
「シドニー」はどうやら児童向けの小説のようで、そのように書かれています。この作品にはまたしても羊男が登場します。春樹は気に入っていたんでしょうね。
総じておもしろい短編集でした。そろそろ長編をまた読んでみたいところです。
これは村上春樹の第一短編集です。『羊をめぐる冒険』に前後する時期に書かれたそうです。
さて、感想ですが、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」からぐっと上手くなったような気がしました。春樹らしさが出た、というか。その前の二作品はどうも成功していないようだなと感じていたのですが、「ニューヨーク」で一気に洗練されたというか。しかし、この二作品は前日の夜中、眠い目をこすりながら読んだので、それほどおもしろく感じなかったのは、ぼくの体調のせいかもしれません。
基本的に現実の情景を描いた作品集だと言えそうです。「貧乏な叔母さんの話」と「シドニーのグリーン・ストリート」だけはいささか幻想的ですが、それ以外は地に足の付いた物語です。特に「午後の最後の芝生」などはこれといった事件は一つも起こりません。しかしながら、実に妙な味わいを残す佳品です。芝刈りのアルバイトをしている「僕」が、その最後の仕事場で体験する出来事がこの小説の主要部分です。ガールフレンドと別れた「僕」は、お金をためる必要を失って、バイトを辞めることにします。最後に派遣された家で、「僕」はいつも通りにきちんとした仕事をし、それでその家の寡婦から褒められます。「僕」は昼食とお酒をごちそうになり、ある部屋に案内されます。そこは典型的な女の子の部屋で、「一ヶ月ぶんくらいのほこり」の積もった机が置いてあります。奥さんから本棚や化粧品、洋服ダンスなどを見せられた「僕」は、奥さんに質問されます。彼女についてどう思うか、と。この部屋の住人はどのような人物か、「僕」は推理することを余儀なくされ、別れたガールフレンドのことを考えながら、答えます。
これは一体どういうことなのでしょうか。女の子の洋服ダンスを今日はじめて会ったばかりの青年に見せる寡婦の異常さ、そしてどういうわけか「一ヶ月ぶんくらいのほこり」の積もった机。女の子はなぜこの家にいないのか。一人立ちしたのか、長期の旅行(留学)に出ているのか、それとも…。この女の子の部屋が娘の部屋だとはどこにも書かれていないことも気になります。そもそもどういうわけでこの寡婦は部屋の住人の人物像を「僕」に当てさせようとするのか。種明かしはなく、謎のままにこの小説は終わります。現実の出来事だけを描きながら、不思議な世界を垣間見せてくれる物語。奇妙な魅力の詰まった作品です。ちなみに、「「あなたのことは今でもとても好きです」と彼女は最後の手紙に書いていた。」という文は、新海誠の『秒速』で変形させて「引用」されていますね。水野がタカキに宛てたメールがそうです。新海誠は村上春樹のことが好きだとたしか公言していたと思いますが、実際、その映画には春樹の小説から取られた表現が散見されますし、『雲のむこう』には春樹の本が画面に現れます。
「シドニー」はどうやら児童向けの小説のようで、そのように書かれています。この作品にはまたしても羊男が登場します。春樹は気に入っていたんでしょうね。
総じておもしろい短編集でした。そろそろ長編をまた読んでみたいところです。