Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

シュペルヴィエル『ひとさらい』

2009-03-21 00:05:05 | 文学
フランスの作家シュペルヴィエルの『ひとさらい』(澁澤龍彦訳)を読みました。
この本、高価な本のようで、古本屋で4、5千円で売られているのを見たことがあります。ぼくは図書館で借りました。

ビガという名前の大佐が子供を誘拐して家で育てる、という話。ただし、誘拐と言ってもこれはいわば「善意の誘拐」であり、恵まれない境遇にいる子供たちをさらってきては、家庭に温かく迎え入れます。もし子供が家に帰りたければ解放します。ときには捨て子を連れ帰り、ときには女中の手からかどわかし、自分の養子として育てます。「ひとさらい」という題名から、てっきりあくどい人物が出てくるのかと思いきや、そうではないので裏をかかれます。こうした巧妙な設定はおもしろいですが、しかしオーソドックスな小説とも言えそうで、なぜこんなものをあの澁澤龍彦が訳したのだろうかと不思議に思いながら読み進めていました。すると、中盤にかけて、本筋がひとさらいのテーマから逸れてゆきます。

大佐は少女を自分の娘として家に連れ帰るのですが(これは誘拐ではなく父親の了承を得ている)、次第にこの少女に恋情を募らせてゆきます。かつて誘拐した15歳の少年(後に2年の月日が流れる)と一つ屋根の下で少女を育てることになったので、この少年に嫉妬心を燃やし、様々な想像を巡らせて懊悩します。しかし大佐は思い切って少女に手を出せるほどの覚悟がなく…というよりは、自制心と節度がありすぎるのでそういう野蛮な挙に出ることができません。ただ欲情だけが愈々強まり、一夜で白髪と成り果てます。恐らくこの小説の主眼はビガ大佐の少女への色欲にあります。少年、少女、大佐、そして彼の妻との関係が複雑に交叉し、愛の幾何学模様を形成しています。また解説でも触れられているように、他にも親子愛などが描かれていて、総じて愛の万華鏡となっています。

ゴンブローヴィチの『ポルノグラフィア』もやはり大人が少年少女の恋を歪んだ間接的な情欲で汚してゆく物語であったと記憶していますが、これがかなり暗い欲望を加速度的に描いていたのに対し、『ひとさらい』はあっさりした印象です。いわゆるロリコン男の正常とは呼べない愛を描出しているわけですが、そんなにどろどろしていないのです。それには文体の力もあると思います。

ところでこの翻訳は、訳者が大学を卒業してから2年後くらいになされたものだそうです。少し古風で、今では使われない言い回し(普通は「~とはぐれた」と言いますが、ここでは「~にはぐれた」となっている、など)が散見され、また確かにそれほどの名文ではないのですが、そんなに若い時期に訳していたなんてすごいですね。やっぱり優れた人は若いときから優れているんですね。