Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

カナディアン・カトゥーン

2009-03-25 00:57:18 | アニメーション
東京駅の近くにあるフィルムセンターで開催されているカナダアニメーション映画祭に行ってきました。今日観てきたプログラムは「知性とユーモア:カナディアン・カトゥーン」。この題名どおり、とても楽しめました。概して海外の短篇アニメーションには「芸術的」過ぎて退屈なものが多いのですが、このプログラムの中にはそんなものは一つもありませんでした。作画の魅力とかタイミングとか音楽との協調とか、そういうものはとりあえず措いておきます。中味がおもしろいのです。

最初の「ハエを飲み込んだおばあちゃん」はパンフレットに「マザーグース的なカナダの民謡をもとにしたセル・アニメーション」とありますが、非常にシュールな内容ながら、歌詞の反復の生み出すリズム感とユーモアが効いていて、つかみはOKという感じでした。おばあちゃんがハエを飲み込んで、それから鳥を飲み込んで、猫を飲み込んで、犬を飲み込んで…という連鎖をどんどん繰り返してゆきます。鳥はハエを退治し、猫は鳥を退治し、犬は猫を退治し…と歌われます。で、最後には馬を飲み込んでおばあちゃんは死んでしまいましたとさ、というお話。意味なんてありません。このテンポを楽しむだけです。途中で「どうやって飲み込んだの」とツッコミ(?)が入るのですが、それを無視して歌が続いてゆきます。そういうところはノンセンスというものに自覚的でいいですね。

次の「会社でへとへとになった日」は個人的には一番笑えました。内容はどうってことはなくて、ある男が絵だか写真だかが壁にたくさん掛けられた部屋(会社の事務室?)で歌を歌い続け、その際中に電話が何度もかかってくるが、出ようとしない、というだけの話です。そして5時になるとそそくさと帰ってゆく。こんなのもアリなのか、と軽い衝撃でした。タイトルとのギャップがまた何とも言えないですね。

「あやとり」はこのプログラム中で唯一意味がはっきり分からない作品でした。と言ってもつまらないわけではなくて、観ていればなんとなく楽しめます。これは絵が個性的で、こういう色の塗り分け方もあるのか、と新鮮な驚きがありました。ちなみに監督はポール・ドリエッセンで、当プログラム(10作品)の中ではぼくはこの人とジャネット・パールマンしか知りませんでした。

そのジャネット・パールマンとデリック・ラム監督の「どうしてボク?」にはけっこう文学的な香りを感じてしまいました。ある会社員が病院で医者から「余命5分」と宣告されたところから始まる物語。この5分の間に、男は笑い、自暴自棄になり、絶望し、様々な感情を経験します。しかし最後には残された時間を有意義に過ごすために、残り30秒で外の世界へと出てゆきます。30秒では何もできないかもしれません。しかし、世界の見方を変えるには十分な時間です。ユーモアと滑稽を綯交ぜにしつつも、どこか人生論的な教訓を語ってしまう手腕に脱帽。その教訓もユーモアのオブラートに包まれているかもしれませんが、そこがまたいいところでもあります。このような短時間に人生を丸ごと凝縮し感情の山谷を表現してしまうところが文学的で、ヴァムピーロフの「天使と二十分」を思い浮かべました。内容はまるっきり異なりますが、短時間で登場人物を取り巻く状況と彼の感情が様変わりしてしまうところが似ている気がしました。

「特別な配達」はミステリー仕立ての短篇。男が外出先から帰ってみると、玄関の階段で郵便配達夫が首の骨を折って死んでいた!どうやら雪に足を滑らせたらしい。自分が雪かきをしなかったせいだと思った男は、色々と画策してこの死を隠蔽しようとするが…
男が郵便配達夫に変装したり、実はこの死んだ郵便配達夫は男の妻の浮気相手だったことが分かったり、事件は思わぬ方向へ転がってゆきます。7分の短篇でこれほど起伏に富んだ物語も珍しいのではないでしょうか。

最後の作品「大喧嘩」は、何とも不思議なアニメーション。ゲームで喧嘩をしてしまった夫婦の物語なのですが、テレビではノコギリの番組が放送されていて、夫もノコギリが大好き。喧嘩の最中もテーブルをギコギコやって、妻の怒りを一層激化させてしまいます。結局仲直りするのですが、外では核戦争が勃発。夫が玄関の扉を開けようとした瞬間、一瞬であの世にトリップ。これでお仕舞いです。

他にもおもしろい作品が揃っていますが、全てを紹介すると長くなるのでこのへんで終わりにします。それにしてもNFB(カナダ国立映画制作庁)のアニメーションは本当に多種多様で、すばらしいですね。