Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

落とされました

2009-03-04 23:41:15 | お仕事・勉強など
このあいだ入社試験を受けた会社、だめでした。
う~む、理由はなんだろうな。エントリーシートには特に自己アピールの類はなく、これで落とされたとは考えにくいです。

グループディスカッションがありましたが、これは選考とは関係ないそうです、会社側の説明を鵜呑みにすればですが。でも選考に関係ないことをなぜやらせたんだろう、という疑問が残りますね。経験を積ませるため、とも考えられなくはないですが、密かにチェックしていたのかもしれません。そうだとすると、これが原因?

しかしやはり入社試験の出来が悪かったことが一番大きな理由と考えるのが当然かもしれません。国語の問題だったのですが、このあいだの都立の試験問題で明らかになってしまったように、どうやらぼくは国語の問題を解く勘みたいなものを失ってしまったようなのです。実は入社試験の最中に、段々とその勘を取り戻していったような気分になっていたのですが、それは大体の問題を解き終わった後であり、手遅れだったのかもしれません。でもそんなに不出来だったという実感はないんですけどね。もともと国語は得意でしたし。ただ、この選択肢には答えがないよ~と思ってしまった時点で、もはや国語の問題を解くという作業から遠くはなれた地点までぼくは来てしまっているのかもしれませんが。けれども記述式の問題ならかえってやりやすかったかもね。

もし上記の理由ではなかったとしたら、考えられる原因は一つ、年齢です。こいつで問答無用、バッサリ切られたかもしれません。出版社などでは年齢制限があって、ぼくはこれにクリアできていない場合がときどきあるのですが、この会社も暗々裡にそういう制約を設けていたのかも。

要するに、落とされた要因は幾つも考えられて、それでいて不明である、ということですね。選考基準をはっきり示して欲しいです。

それにしても、はあ、少し落ち込みました。

『フランス短篇傑作選』

2009-03-04 02:31:43 | 文学
夕方降り出した雨は次第にみぞれへ、やがて21時頃には雪に変わり、隣の家の屋根をうっすらと白く染めましたが、今ではもう止んでしまっています。都心でも3~5cm積もる見込み、とニュースは盛んに警戒を発していましたが、どうやらその恐れはないようですね。個人的には、明日目覚めたときの楽しみが一つ減ったことになりますが。

さて、去年の神田の古本市で購入した『フランス短篇傑作選』を読みました。ずっと読みたいと思っていた本なので、達成感があります。

とてもすばらしい内容でした。基本的には20世紀の小説が中心ですが、ヴィリエ・ド・リラダンからアポリネール、プルースト、イヨネスコ、それにロジェ・グルニエまで、幅広く多彩な作品で構成されています。特に気に入ったものを3点挙げます。アルフォンス・アレー「親切な恋人」、アポリネール「オノレ・シュブラックの失踪」、トニー・デュヴェール「さまざまな生業(抄)」。他にも、シュペルヴィエル「バイオリンの声をした娘」やヴィリエ・ド・リラダン「ヴェラ」、ジュリヤン・グリーン「クリスチーヌ」など、忘れがたい印象を残す作品、またプルースト「ある少女の告白」やロジェ・グルニエ「フラゴナールの婚約者」など終わり方に感銘を受けた作品がありました。もちろん、これ以外の小説にもおもしろいものがたくさんありますが(ラルボー、シュオッブ、アンドレ・モーロワ…)、この調子で一つ一つ挙げてゆけば全ての作品に言及せざるを得なくなります。

アレー「親切な恋人」は、最近ぼくの関心のあるショートショート形式の小説。かなり異様な内容で、恋愛という感情の一途さをグロテスクに誇張していますが、どこかファルスに通じるものもあって、短いながらも強烈な存在感があります。

アポリネールは優れた短篇を書きますよね。この「失踪」もその一つ。本書で一番気に入った作品かもしれません。こういう超現実的で滑稽味がありながら計り知れないような奥深さを感じさせる作品は好きです。「失踪」は擬態能力のある男の話。

デュヴェール「さまざまな生業(抄)」は文字通り様々な職業を紹介しただけの小品集から数編を選んだもの。ただし、その職業というのは架空のもので、幻想性を帯びています。まず牢屋に入り、それからその期間に見合うだけの犯罪を紹介してもらう「裁き屋」、読者の好みに応じて対象となる箇所を本から実際に剃刀で削除する「検閲屋」、自分の理想の姿を肖像画に描いてもらい、実際の姿からではなくその肖像画の美醜で人から評価される「夢の肖像画家」、演奏する真似をするだけで空想で音楽を愉しませる「楽師」など、実に奇妙で色々な職業のありようが描出されます。ちなみに最後の「楽師」はいわゆるエアギターやエアバンドとして現実に存在していますね。もっとも、エア物真似をしているとき、背後で音が奏でられているのですが。

シュペルヴィエル「バイオリンの声をした娘」は、一種の寓話だとも取れますね。そして芥川の「鼻」を連想させます。ただし「バイオリン」の場合はより詩的、というよりは少女性を漂わせているようです。処女喪失の神話化、無垢の聖性、成長することの穢れ、そういった要素が混然として一編の美しい寓話として結晶していると言えるでしょう。

最後にロジェ・グルニエ「フラゴナールの婚約者」。前半はそれほどおもしろいとは思わなかったのですが、フラゴナールの解剖した標本を見学するところから、ぐいぐい引き込まれていきました。特に結末の巧みさにはうなりました。混濁した意識のなか現実と絵画(幻想)の境界線が薄れ、物語はただ「死」という目標へなだれ込んでゆきます。「死」のモチーフの存在はエピグラフから明らかですが、それが女の騎行に重ねられ、デューラーの描くあの死神に成り代わり騎馬は疾駆してゆきます。『チェーホフの感じ』の作者だけあって、チェーホフとレヴィタンとの逸話が導入されるのもポイントですね。

本書は珠玉の短篇ばかりを集めた見事な選集です。