昨日深夜から今日にかけて、実についてない一日でした。
昨日はいつも通りCLANNADを観た後、パソコンに向かいました。エントリシートを書くためです。未明の4時まで作業をしました。やっと出来上がって、色々と操作をしていたら、間違ってデータを全て消去。ワードとインターネットエクスプローラーが組み合わさったような画面で、いまいち勝手がつかめないまま途中で保存せずに作業を進めていたため、これまで書いた文章が水の泡と消えました。消してしまった事情はあるのですが、ここで書いても仕方ないので省略。
さてぼくは悔しくて悔しくて、落ち込んでしまい、朝の6時過ぎまで寝付かれませんでした。今日は9時に起きたので、睡眠時間は3時間弱。顔を洗ったらすぐにまたパソコンに向かい、今度はきちんと保存しながらエントリーシートを記入。10時30分には終了しました。
お昼ご飯を食べたあとに外出。外は本降りだったので歩いてバス停へ。途中の赤信号を待っている間、すぐ向かいにある停留所の前をバスがなんと三台も続けて通過。三台ですよ。なんでこんなに立て続けにくるんだ。ぼくが停留所に着いたときにはバスははるか遠くへ。それから長いことバスは来ませんでした。横殴りの雨の中、ひたすら棒立ち。雨が靴を叩きつける音を聞いていました。
バスでようやく最寄り駅に着いて、傘を畳んでいたら、すぐ横にいたおじいさんがぼくの方に向かって雨に濡れた傘をバサバサ。飛沫がたくさん飛んできました。
電車がもうすぐ来るので急いでエスカレーターを上ろうとしたら、なんと点検中。仕方なく階段で。
こんな感じでした。でも午後2時半くらいから運気が開けてきたようで、というか元通りになったようで、あとはいつもと変わらない一日でした。よく考えたら、ちょうどCLANNADを観終わったときから12時間ほどは最悪の運気だったようです。なんとか乗り越えられてよかったです。嫌気がさしてきましたけどね、投げやりにならなくて、ふう。
で、そのCLANNADですが、ぼくは怒りさえ感じました。こんなのひどすぎます。心の中で絶叫しました。
いつまでも覚えてるこの街が変わっても
どれだけの悲しみと出会うことになっても
見せてやる本当は強かったときのこと
さあゆくよ歩き出す坂の道を
主題歌「時を刻む唄」の最後の歌詞です。「どれだけの悲しみと出会うことになっても」。でもこれはいくらなんでもひどすぎませんか。それでもぼくたちは前へ進まなくてはならないし、また出会ったことを大切にしなければいけない、というメッセージを伝えたいんだということは分かりますが、それにしても…です。朋也の悲しみに比べたら、今日のぼくの不運などゴミみたいなもんです。
来週が最終回。見届けます。
昨日はいつも通りCLANNADを観た後、パソコンに向かいました。エントリシートを書くためです。未明の4時まで作業をしました。やっと出来上がって、色々と操作をしていたら、間違ってデータを全て消去。ワードとインターネットエクスプローラーが組み合わさったような画面で、いまいち勝手がつかめないまま途中で保存せずに作業を進めていたため、これまで書いた文章が水の泡と消えました。消してしまった事情はあるのですが、ここで書いても仕方ないので省略。
さてぼくは悔しくて悔しくて、落ち込んでしまい、朝の6時過ぎまで寝付かれませんでした。今日は9時に起きたので、睡眠時間は3時間弱。顔を洗ったらすぐにまたパソコンに向かい、今度はきちんと保存しながらエントリーシートを記入。10時30分には終了しました。
お昼ご飯を食べたあとに外出。外は本降りだったので歩いてバス停へ。途中の赤信号を待っている間、すぐ向かいにある停留所の前をバスがなんと三台も続けて通過。三台ですよ。なんでこんなに立て続けにくるんだ。ぼくが停留所に着いたときにはバスははるか遠くへ。それから長いことバスは来ませんでした。横殴りの雨の中、ひたすら棒立ち。雨が靴を叩きつける音を聞いていました。
バスでようやく最寄り駅に着いて、傘を畳んでいたら、すぐ横にいたおじいさんがぼくの方に向かって雨に濡れた傘をバサバサ。飛沫がたくさん飛んできました。
電車がもうすぐ来るので急いでエスカレーターを上ろうとしたら、なんと点検中。仕方なく階段で。
こんな感じでした。でも午後2時半くらいから運気が開けてきたようで、というか元通りになったようで、あとはいつもと変わらない一日でした。よく考えたら、ちょうどCLANNADを観終わったときから12時間ほどは最悪の運気だったようです。なんとか乗り越えられてよかったです。嫌気がさしてきましたけどね、投げやりにならなくて、ふう。
で、そのCLANNADですが、ぼくは怒りさえ感じました。こんなのひどすぎます。心の中で絶叫しました。
いつまでも覚えてるこの街が変わっても
どれだけの悲しみと出会うことになっても
見せてやる本当は強かったときのこと
さあゆくよ歩き出す坂の道を
主題歌「時を刻む唄」の最後の歌詞です。「どれだけの悲しみと出会うことになっても」。でもこれはいくらなんでもひどすぎませんか。それでもぼくたちは前へ進まなくてはならないし、また出会ったことを大切にしなければいけない、というメッセージを伝えたいんだということは分かりますが、それにしても…です。朋也の悲しみに比べたら、今日のぼくの不運などゴミみたいなもんです。
来週が最終回。見届けます。