Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ふしぎの海のナディア

2009-03-12 01:15:03 | アニメーション
もしぼくが街を歩いているときにテレビ局のアナウンサーから「『ふしぎの海のナディア』を一言で表現するなら?」と聞かれたら、ぼくは迷わずに「おもしろい」と即答します。

「おもしろい」だなんて、こんな抽象的で小学生みたいな感想ってないだろ、と思う人はたくさんいるでしょう。しかし、このおもしろさこそが『ナディア』の最大の特徴だと思うのです。もちろんおもしろさにも色々あります。スリリング、先の読めない展開、ギャグなど。しかしながら、『ナディア』のおもしろさというのは、この世界におもしろさの種類が一万個あるのか一億個あるのか知りませんが、とにかくあらゆる「おもしろさ」の最大公約数的なおもしろさであり、全人類共通して真っ先に想像するおもしろさだと思うのです(直感的な言い方ですが)。

もう少し分析的に考えてみます。このアニメは様々なおもしろい要素で成り立っていますが、その中からすぐに挙げられるのは、冒険のおもしろさ、恋愛話のおもしろさ、サスペンスのおもしろさ、ギャグのおもしろさでしょう。とりわけ最も基本にあるのは冒険のおもしろさです。このアニメは冒険譚です。古代文明の力を利用して地球の支配を企む悪の集団から少女を守り、その組織を潰滅させる、というのが基部のプロットです。そこに、父と娘の微妙な関係や科学の善悪、恋、ギャグ、世界の秘密などの要素をまぶしています。あるいは、エヴァ風味のラピュタ仕立て、とでも言えるかもしれません。『ナディア』は『ラピュタ』の構造をそっくり借りているため類似している箇所が非常に多く、またスタッフとして総監督・庵野秀明、キャラクターデザイン・貞本義行というエヴァコンビを擁し、ガイナックスが制作に協力しています(摩砂雪なども参加)。『ラピュタ』が好きだという人には、『ナディア』はたまらないでしょう。とにかくおもしろいのです。

正統派のおもしろさです。14歳の少女が世界中を旅し、自分で造った飛行機を飛ばすことを夢見る少年に恋をする。この設定だけでぼくなどはやられてしまいます。空に憧れる少年とブルーウォーターという特別な力を秘めた石を持つ少女との恋ですよ。『ラピュタ』です。ラピュタにはアクションシーンが満載ですが、しかし『ナディア』には意外と多くありません。全39話、丸一年かけて放送された作品ですが、緊迫感のあるばりばりのアクションシーンというのは5、6話程度しかないのではないでしょうか。目を引くのは万能潜水艦ノーチラス号での楽しげな生活です。無人島での生活もギャグ一杯で、飽きさせません。

恐らくこのアニメで一番成功しているのは、ナディアの造形です。まず肌の黒いヒロインというのは聞いたことがありません。日本のアニメで、ヒロインの肌の色を黒くして可愛く見せる、というのはかなりのチャレンジだったと想像します。しかし何にも増してすばらしいのは彼女の性格付けです。すごく怒りっぽくて、わがままで、頑固で、素直になれなくて、でも真直ぐな気持ちを持った14歳の少女。彼女に恋をしない少年はいないのではないかと思われるほど魅力的な思春期の少女なのです。時にアスカみたいにつんつんして、綾波みたいに気難しく、シンジみたいに内向的になるナディアは、同世代の少年少女の心情を見事に表現しているのではないでしょうか。ほんっとうにナディアの性格がすばらしいのです。そして彼女を取り巻くジャンやグランディスをはじめとするキャラクターたちも実に気持ちのいい連中なのです。グランディスはドーラ、サンソンとハンソンはその息子たち(シャルル、ルイ、アンリ)に相当します。彼らはジャンとナディアのよき相談相手であり、困ったときには必ず助けてくれるよき仲間です。こんなにも愛すべきキャラクターって、そうはいないと思います。

第36話から突然オープニング映像が変わります。ニュー・ノーチラス号の登場です。ノーチラス号が沈没してから本当に長い時間が経っていましたから、彼らの復活にはものすごく興奮しました。舞台は海から、空、宇宙へと一気に拡大し、ナディアと人類の誕生の秘密も明かされ、世界観も急速に広がります。そして最終回には思いがけない感動が待っていました。ネオ皇帝が最期の瞬間に意識を取り戻し、「私も人と共に生きたかった」とナディアに呼びかけて爆発するシーンにはこみ上げるものがありました。あの機械の身体の痛々しさ、爆死のむごさ。眼に涙が浮かびました。

ネモ船長の壮絶な最期と、彼の子を身ごもったエレクトラ、その事実に気付いたグランディスの瞬間見せる驚きと諦め、悟りの表情は、CLANNADを思わせるところがありました(朋也の渚への思いに気付く藤林姉妹)。それにしても新生エレクトラの着用しているコスチュームは、まるでエヴァのプラグスーツですね。しかも髪を短くした様は、あたかも綾波レイ。あまりにそっくりなのでびっくりしました。破けた服がいつの間にか元通りになっているのはご愛嬌ですが(着替えたの?)。

この服が破ける描写とか、着替えを覗きするシーンとか、見えそうで見えないシーンなどがけっこうあるアニメなのですが、でもそれはちっともいやらしくなくて、なんというか、健康的エロスです。健全な中学生の妄想と結びついています。そう、全てが健全でバランスが丁度よいのです。観ていて非常に心地良いアニメです。

たしか作画監督が貞本義行の回、魚雷か何かがノーチラス号に衝突する描写があったのですが、機械の破裂の仕方がまんまエヴァで、すごくよかったです。船体にぶつかって、ぐにゅぐにゅぐにゅとぺしゃんこに縮んでから破裂する描写は、エヴァ第壱話のサキエルがミサイルを手で受け止める描写を思い出させます。あのほとんど身体的な快感を味わえるのです。

しかし、回によって、あるいは一回の中でもパートによって作画にばらつきがかなりありました。ナディアの顔そのものが変だったこともありましたが、残念だったのは、走る動きがひどいときがあったことです。基本的な動作なのにあれはないよなあ、と思いながら観てしまいました。無人島(リンカーン島)での暮らしを描いたどこかだったと思いますが。オープニング・アニメーションでの走る動きは上手いので、あそこは未熟な人が担当したのか、ただ手を抜いたのか。テレビアニメっていうのは質を一定に保つのは難しいですからね。第34話は手抜きの回(?)でしたし。歌ばかりの異色の放送で、ほとんどが過去の映像の編集。次回から話がいきなりシリアス方向へ急展開するので(ほんとにいきなり)、最後のほのぼの回でしたね。

このように作画の点ではテレビアニメの制約から逃れられませんでしたが(当然ですが)、しかし内容ではずば抜けています。『ラピュタ』のパクリだろうがなんだろうが、おもしろいものはおもしろいのです。バベルの塔にしろ科学の抱える善悪にしろ、『ナディア』のテーマや設定は既に『ラピュタ』で提示されたものの変奏かもしれませんが、これほどのエンターテインメントの傑作に仕上がるのならば、とやかく言う気はしません。

もとは宮崎駿が企画していたアニメ、だそうですが、しかし宮崎駿のフィルモグラフィーには普通『ナディア』のことは一切出てきません。宮崎駿の側から『ナディア』が論じられることってまずないのです。不思議ですね。

そういえば、ノーチラス号が沈没してから「前回のあらすじ」のナレーションをエレクトラが担当することになりますが、そのとぼけた味わいが好きでした。「ナディアは一体何を考えて生きているのでしょう」。笑えます。

全ての少年少女に、そして14歳の心を失っていない大人たちに見せたいアニメです。ぼくはもうグランディスと同世代の人間ですが、このアニメを思春期の頃に観ていたら、一生もんのアニメになっていたと思います。いや、いま観てもそうなりました。でも、ナディアのことを好きになるのは14歳の少年たちに任せます。ああ、ぼくにも彼女やジャンみたいな少年少女が身近にいたらなあ。これだからぼくは中学生を教える先生ってのに憧れるのです。ああいう切ない感情を一緒に分かち合いたくて、ぼくは…リアルでは幻想みたいなものかもしれないですけどね。14歳。シンジも雫もナディアも14歳。なんてすばらしい歳なんだ!