ハリー・ポッター第五巻が発売になる前に、
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』
(角川文庫、1996.11.25、940円)を読み始めた。
著者ハインリヒ・ハラーとダライ・ラマとの交流の場面を
読みたかったのだが、
読んでも読んでも二人が出会わない。
焦っても仕方がないので、諦めて読み進めたが、
そのうち仕事がたてこんで、電車で出かけられない事が続き、
ハリー・ポッターが発売になってしまった。
たまに出かけても、
ハロウィーンみたいな格好で パリーポッターを売ろうとしている売り子たち
(あまり売れてなかった、噂どおりに)を横目に、
文庫本をトート・バッグに入れて、数ヶ月。
ビデオで見たはずの風景を 時折思い描きながら、
ゆっくり読んでいった。
飛ばし読みができなかったのだ。
訳者、福田宏年が「訳者あとがき」の中で書いている。
通常、登山家の手になる登頂記録は、
登攀行為の描写一点張りに終始していて、
登山家と言うのは 人間にあまり興味を持たないのか、
と思う事があると。
だが、オーストリアの登山家は違った趣きをもっている、と。
ハインリヒ・ハラーは オーストリア人なのだ。
訳者は告白する。
『チベットの七年』を訳してみないか、という話を受けて
ペーパーバックを買って読み出したら、
いきなりこの本の世界に引き入れられ、
何日間か、仕事そっちのけで読みふけったと。
電車の座席に座ってこの部分を読んでいた私は、
大きくうなづくところだった。
小さな文字で、こんなところで、ああした、こうした。
ダライ・ラマも出てこない部分が続く、
そんな本を ハリー・ポッターに移らずに読めたのは、
何とはなしに 面白い、この本の物語り性のおかげかと思う。
表紙はブラッド・ピッド。
映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で
ハラーを演じた。
白黒の古い写真で見る限りでは、本物のハラーのほうが
整った顔をしている。
不屈の精神と 頑健な肉体と あふれる好奇心の
持ち主なのだろう。
山を心から愛した、登山家。
本文の前に 白黒の写真が何枚も載っている。
私はときどき この写真の部分をめくって、
イメージを膨らませながら 読んでいた。
チベット仏教に関するホンの少しの知識があったので、
なんとか驚かなくて済むような、
そんな写真が 何ページもあって、
イメージを作りやすかった。
私がしばしば見とれたのは、
世界最大の曼荼羅が 壁に垂らされた、ポタラ宮殿。
この宮殿で発見された仏典を研究して
賞を受けた人の記事を見た時に、
複雑な思いにとらわれた。
中国やチベット政府の許可は得たのだろうけれど、
それは 現在のチベット政府よりむしろ、
ダライ・ラマの要請があって初めて 開始すべき
調査だったはず。
私が興味を持ったのは、なんと、
ダライ・ラマの兄、ロプサン・サムテンが 心臓を病んでいて、
「出発の日に 彼は 数時間も深い失神状態に陥ったのだが、
ダライ・ラマの侍医が、灼熱の火箸を筋肉に突き刺して、
意識をよみがえらせたのだという。」
というところ(p450)。
おそろしいけれど、そうせざるを得ない、
逃亡の旅に出発する時だったのだ。
そこを読んで 思い出した事。
東北の田舎の村で、
放蕩息子が 口やかましい母が死んだ時、
小さい座敷箒で 母親をなぐりつけたら、
死んだばかりの母親が 息を吹き返した。
それ以来、その村では 村人が亡くなると、
その家へ行って 箒を借りてきて、
亡くなった人を箒でたたく習慣ができた。
と言うお話。
たしか、佐藤愛子の本にあったのではなかったか。
亡くなった人を さらに 箒でたたく息子。
生き返れ、とばかり、借りてきてまで その箒を振るう人。
死んだかどうだか、箒でなぐってみる人。
昔はたまに 生き返ることがあったという。
仮死状態で、ほんとは生きているのに
葬式を出してしまわないようにするため、
通夜の習慣がある。
一晩そばにいて、息を吹き返したら、
すぐに対処するための通夜。
箒でたたいたり。焼け火箸を刺したり、
もしかしたら 昔から いろんな蘇生法を
人々は 行ってきたのかもしれない。
アメリカで救急医療に携わる日本人女性、
The way to EMT の運営をしている
Maria さんを思い浮かべた。
ブックマークに入れてあるので、興味のある方、
是非どうぞ。
救急救命士、心肺蘇生、除細動器などについてもいろいろ。
日本人救命士のジョージア研修記事もある。
地理的には離れていても、あっという間につながるので。
現代の不思議、いや、現代に生きる幸運。
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』
(角川文庫、1996.11.25、940円)を読み始めた。
著者ハインリヒ・ハラーとダライ・ラマとの交流の場面を
読みたかったのだが、
読んでも読んでも二人が出会わない。
焦っても仕方がないので、諦めて読み進めたが、
そのうち仕事がたてこんで、電車で出かけられない事が続き、
ハリー・ポッターが発売になってしまった。
たまに出かけても、
ハロウィーンみたいな格好で パリーポッターを売ろうとしている売り子たち
(あまり売れてなかった、噂どおりに)を横目に、
文庫本をトート・バッグに入れて、数ヶ月。
ビデオで見たはずの風景を 時折思い描きながら、
ゆっくり読んでいった。
飛ばし読みができなかったのだ。
訳者、福田宏年が「訳者あとがき」の中で書いている。
通常、登山家の手になる登頂記録は、
登攀行為の描写一点張りに終始していて、
登山家と言うのは 人間にあまり興味を持たないのか、
と思う事があると。
だが、オーストリアの登山家は違った趣きをもっている、と。
ハインリヒ・ハラーは オーストリア人なのだ。
訳者は告白する。
『チベットの七年』を訳してみないか、という話を受けて
ペーパーバックを買って読み出したら、
いきなりこの本の世界に引き入れられ、
何日間か、仕事そっちのけで読みふけったと。
電車の座席に座ってこの部分を読んでいた私は、
大きくうなづくところだった。
小さな文字で、こんなところで、ああした、こうした。
ダライ・ラマも出てこない部分が続く、
そんな本を ハリー・ポッターに移らずに読めたのは、
何とはなしに 面白い、この本の物語り性のおかげかと思う。
表紙はブラッド・ピッド。
映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で
ハラーを演じた。
白黒の古い写真で見る限りでは、本物のハラーのほうが
整った顔をしている。
不屈の精神と 頑健な肉体と あふれる好奇心の
持ち主なのだろう。
山を心から愛した、登山家。
本文の前に 白黒の写真が何枚も載っている。
私はときどき この写真の部分をめくって、
イメージを膨らませながら 読んでいた。
チベット仏教に関するホンの少しの知識があったので、
なんとか驚かなくて済むような、
そんな写真が 何ページもあって、
イメージを作りやすかった。
私がしばしば見とれたのは、
世界最大の曼荼羅が 壁に垂らされた、ポタラ宮殿。
この宮殿で発見された仏典を研究して
賞を受けた人の記事を見た時に、
複雑な思いにとらわれた。
中国やチベット政府の許可は得たのだろうけれど、
それは 現在のチベット政府よりむしろ、
ダライ・ラマの要請があって初めて 開始すべき
調査だったはず。
私が興味を持ったのは、なんと、
ダライ・ラマの兄、ロプサン・サムテンが 心臓を病んでいて、
「出発の日に 彼は 数時間も深い失神状態に陥ったのだが、
ダライ・ラマの侍医が、灼熱の火箸を筋肉に突き刺して、
意識をよみがえらせたのだという。」
というところ(p450)。
おそろしいけれど、そうせざるを得ない、
逃亡の旅に出発する時だったのだ。
そこを読んで 思い出した事。
東北の田舎の村で、
放蕩息子が 口やかましい母が死んだ時、
小さい座敷箒で 母親をなぐりつけたら、
死んだばかりの母親が 息を吹き返した。
それ以来、その村では 村人が亡くなると、
その家へ行って 箒を借りてきて、
亡くなった人を箒でたたく習慣ができた。
と言うお話。
たしか、佐藤愛子の本にあったのではなかったか。
亡くなった人を さらに 箒でたたく息子。
生き返れ、とばかり、借りてきてまで その箒を振るう人。
死んだかどうだか、箒でなぐってみる人。
昔はたまに 生き返ることがあったという。
仮死状態で、ほんとは生きているのに
葬式を出してしまわないようにするため、
通夜の習慣がある。
一晩そばにいて、息を吹き返したら、
すぐに対処するための通夜。
箒でたたいたり。焼け火箸を刺したり、
もしかしたら 昔から いろんな蘇生法を
人々は 行ってきたのかもしれない。
アメリカで救急医療に携わる日本人女性、
The way to EMT の運営をしている
Maria さんを思い浮かべた。
ブックマークに入れてあるので、興味のある方、
是非どうぞ。
救急救命士、心肺蘇生、除細動器などについてもいろいろ。
日本人救命士のジョージア研修記事もある。
地理的には離れていても、あっという間につながるので。
現代の不思議、いや、現代に生きる幸運。