ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

愛しのおっぱい(3)

2004-11-25 | 乳がん
イソトマは 家の中に取り込んでやれば、
来年も咲いてくれるらしい。
こぼれ種で芽生えたイソトマを集めて
小さな島を作り、
夏中楽しませてもらった。
やさしい うすむらさき。



退院してすぐにも、ブラに各種のパッドを入れてみたことがあった。
娘に買ったブラについてた、小さくて可愛いのをもらったり。
いろいろ試してみたが、おっぱいが複雑な形なので、
なかなかうまくいかなかった。
乳房再建の講演を聞いた後もそうだったかもしれない。
そして、人口乳房を作るのも、
温存の人は難しい、と聞いて、あきらめて、
またまたいろいろ試してみた。
おっぱいを作る会社の人に紹介された、パッドの会社にも
電話をしてみたが、
当然のように予約制なので、
なかなか思い切れない。

自分のおっぱいを見つめる時間は 増えていたと思う。
直視できない時期もあったけれど。
放射線治療で 小さな水ぶくれができたり、
それが破れて皮がむけたり、
ちょっとつまんで剥いたところが 薄茶色のシミになったり。
それもいつの間にか ぼろぼろと垢が落ち、
真っ黒に日焼けしたような 術側のおっぱいの色も
だいぶ落ち着いてきていた。

このおっぱいのまんま、我慢して生きていくしかない、
とあきらめをつけようとしていた。
そうして、自分の、おっぱいに対する気持ちが
だんだんわかるようになってきた。

いつもそこに在るものだから、
誰のものでもない、自分のものだから、
気づかないでいたけれど、
私は 自分のおっぱいが、かなり、好きだった。

巨乳でも爆乳でも、残念ながら美乳でもないけれど、
ちょうどよい大きさだと思っていた。

少し外を向いているけど。

40歳をすぎてから、
弾き返すような弾力も なくなってきちゃったけど。

ここ数年、だいぶ垂れてきちゃったけど。

健側のおっぱいは それでも
プニョプニョで、やさしさにあふれる柔らかさだ。



私の術側のおっぱいは。

おっぱいを作る会社の人に、
「きれいよー」
と言ってもらった。
がんセンターの医師が、
「写真に撮って 学会で発表したいくらい 綺麗にできた」
と言っていた。
ただ癌をとりのぞくだけでは、
形がむちゃくちゃになることも多いらしい事は わかった。
私のおっぱいは、どうやら 綺麗な形の方らしい。

健側に比べると、ぐっと小さい。
確かに、下の方は、ちゃんとまあるく なっているが、
乳頭の上には、ボリュームがなくなった部分があって、
まるでひょうたんみたいだ。
乳輪のまわりを 半円形に 窪みが取り巻いている。
胸の内側にあった癌だけれど、
目立たないよう、乳房の外側にメスを入れている。
傷は、長い。

そうして、しこりを取り除いたはずの 
私のこのおっぱいは、全体がかたくなっていて、
しこりでできているみたいだ。
主治医は ちゃんとやわらかくなってくる、と言った。

本当に柔らかくなってくるのか。
そんな気はしてこない。

あらためて、健側のおっぱいに触ってみる。

嗚呼。

これは 完全なるおっぱいだ。

おっぱいは、健康であると言うだけで、
それは 完全なものなのだ。

多少、小さかろうが。

少々外を向いていようが。

地球の引力に効しきれずに 垂れ始めていようが。
 
ぷにゅぷにゅの おっぱい、これはひとつの宇宙だ。

私には、かつて、ふたつあった。
私にも、かつては、ふたつあったのに。

どうかどうか、今 ふたつ ある人は、
大事にしてもらいたい。
パートナーに ふたつある人にも、
大事にしてもらいたい。

おっぱいは、健康ならば、それは
健康なおっぱいと言うだけで、
完全なものなのだ。



転移して、残った方のおっぱいを手術した方も、
何人か知っている。
あの イラストのように、おっぱいのかわりに
斜線がある人もいるだろう。
胸筋を取ってしまった人もいるだろう。
抗癌剤で苦しんでいる人もいるだろう。
髪がなくなるショックも、経験していない。
転移がわかった時の絶望感も わからない。
そんな私でも、
このおっぱいのおかげで、いろいろ考えさせられた。

今の私にわかること。
愛しています、私のおっぱい。