記事の更新をさぼりつつ見た
昨日の朝刊のコラムに
「旧暦8月1日を 新暦に直すと
今年の場合は 一昨日の日曜、
9月4日にあたる。」
とあって、あわてた。
旧暦8月1日に 八朔について
もう一度 記事にするつもりだったのに!
『民俗学辞典』
(民俗学研究所編、東京堂出版、1951.9.25)
によると。
今では特に八朔の行事としては
私は思いつくものは何もなのだけれど、
各地に多様な習俗を伝えているのが八朔だとか。
要点は 3つ。
第一には 稲作の進行に伴う儀礼。
静かに秋のみのりの豊穣を期待するとともに
二百十日の季節風を警戒する。
そう、この日は 二百十日、
嵐
(おそらくは、台風、または、その影響)
の来襲の多い日なのだ。
むかしむかしの小学生の時に聞いた話。
なんとかいう人が(スイマセン)
暦を作ろうとしていた。
(多分 幕府に頼まれたかなんかで。)
ある日
天気のよいのに 舟を引き上げている猟師に出会って
わけを尋ねると、
今日は 二百十日だから、との返答。
果たして
その日はその後 シケになった。
関心した そのナントカさんは
作った暦に 二百十日を取り入れたという。
二百二十日もある。
どちらも 気象庁のない時代の庶民の知恵。
旧暦8月1日に
作物を風害から守るための祈願祭、
風祭(カザマツリ)をする地域もあるが、
主に
家の穂出しを祈願する
田褒め、作頼みを行う地域
あるいは
穂掛け=刈り初めの神事を行う地域
とに分かれる。
生活に大切な稲の収穫に
深くかかわっている行事だ。
第2に
「八朔の贈答」。
穂掛け祭の後の
直会(ナオライ=酒宴)のために
新米を贈り合ったことに基づいて、
武家社会、のちに公家に、
ひいては民間にも広まった
贈答の習俗らしい。
贈答の風習は
少ない方が ラクチンでいいと思う。
今 残ってなくて、よかった。
『暮らしのこよみ歳時記』
(岡田芳郎著、講談社、2001.5.21、1500円)
には
田の実の節句、
早稲の実を少しとって祝う農耕儀礼が起源で、
武士の間で 憑(タノミ)の節句として
武具の贈答が行われ、
庶民は
葉のあるショウガ(!)を付けて
品物の贈答をした、とある。
ま、香りがよくて いいけどね。
また 幕府では
家康が初めて江戸城に入城した日として
諸大名が 白帷子(シロカタビラ)を着用して
総登城して祝った、とも記されている。
白帷子で 総登城!
綺麗だったか? 異様だったか?
なんにしても お目出度い日だったのだろう。
そう言えば、「八朔の雪」。
吉原の遊女が
この日は 全員 白無垢を着る風習があったとか。
これは 江戸城の 白帷子総登城と
関連がありそう?
第3に
近畿一帯の 「八朔休み」と書いてある。
昼寝を この日で終わりにして
早くも 夜なべ仕事を始める日、らしい(p475)。
それとも 間の日として
休日だったのかな?
そういえば 子供の頃の大工さんたちは
休日は 1日と 15日の 月2回だった。
昔の日本人は 勤勉だったのだ!
過労死なんかも あったのだろうか?
月に2回の休日、
職人さんたちは
実に 楽しみにしているように見えたっけ。
私は 旧暦の7月1日と 月遅れの8月1日と
旧暦の8月1日とを ごっちゃにしていて
八朔と 盆行事に 関連があると 思い込んでいた。
旧暦、新暦、月遅れ。
ああ、ヤヤコシヤ。
ただ、農耕儀礼とは
切っても切れない関係にあるようではある。
『日本民俗大辞典』
(福田アジオ他編著、吉川弘文館、2000.4.20)には
「このころは 農作業の区切り目でもあり、
いよいよ野良仕事も忙しくなるので
鬼節供、婿の泣き節供と言ったり、
麦饅頭の食いじまいの日としたり、
その饅頭を 泣き饅頭と呼んだりする。」(p372)
と変なことが書かれている。
婿さんが 農作業の辛さに 音を上げる日が
始まるころなのだろう。
目出度さも 忙しさも
田植えと 稲刈りは 格別なのだ。
今日は 白露。
いくぶん秋の気配が感じられるようになり、
草の葉に 白い露を 宿すようになるとか。
(『暮らしのこよみ歳時記』p180)
台風の被災者がこれ以上増えないように、
農作物の取り入れに これ以上影響が出ないように、
雨と風と 台風の進路だけが 気になる。
昨日の朝刊のコラムに
「旧暦8月1日を 新暦に直すと
今年の場合は 一昨日の日曜、
9月4日にあたる。」
とあって、あわてた。
旧暦8月1日に 八朔について
もう一度 記事にするつもりだったのに!
『民俗学辞典』
(民俗学研究所編、東京堂出版、1951.9.25)
によると。
今では特に八朔の行事としては
私は思いつくものは何もなのだけれど、
各地に多様な習俗を伝えているのが八朔だとか。
要点は 3つ。
第一には 稲作の進行に伴う儀礼。
静かに秋のみのりの豊穣を期待するとともに
二百十日の季節風を警戒する。
そう、この日は 二百十日、
嵐
(おそらくは、台風、または、その影響)
の来襲の多い日なのだ。
むかしむかしの小学生の時に聞いた話。
なんとかいう人が(スイマセン)
暦を作ろうとしていた。
(多分 幕府に頼まれたかなんかで。)
ある日
天気のよいのに 舟を引き上げている猟師に出会って
わけを尋ねると、
今日は 二百十日だから、との返答。
果たして
その日はその後 シケになった。
関心した そのナントカさんは
作った暦に 二百十日を取り入れたという。
二百二十日もある。
どちらも 気象庁のない時代の庶民の知恵。
旧暦8月1日に
作物を風害から守るための祈願祭、
風祭(カザマツリ)をする地域もあるが、
主に
家の穂出しを祈願する
田褒め、作頼みを行う地域
あるいは
穂掛け=刈り初めの神事を行う地域
とに分かれる。
生活に大切な稲の収穫に
深くかかわっている行事だ。
第2に
「八朔の贈答」。
穂掛け祭の後の
直会(ナオライ=酒宴)のために
新米を贈り合ったことに基づいて、
武家社会、のちに公家に、
ひいては民間にも広まった
贈答の習俗らしい。
贈答の風習は
少ない方が ラクチンでいいと思う。
今 残ってなくて、よかった。
『暮らしのこよみ歳時記』
(岡田芳郎著、講談社、2001.5.21、1500円)
には
田の実の節句、
早稲の実を少しとって祝う農耕儀礼が起源で、
武士の間で 憑(タノミ)の節句として
武具の贈答が行われ、
庶民は
葉のあるショウガ(!)を付けて
品物の贈答をした、とある。
ま、香りがよくて いいけどね。
また 幕府では
家康が初めて江戸城に入城した日として
諸大名が 白帷子(シロカタビラ)を着用して
総登城して祝った、とも記されている。
白帷子で 総登城!
綺麗だったか? 異様だったか?
なんにしても お目出度い日だったのだろう。
そう言えば、「八朔の雪」。
吉原の遊女が
この日は 全員 白無垢を着る風習があったとか。
これは 江戸城の 白帷子総登城と
関連がありそう?
第3に
近畿一帯の 「八朔休み」と書いてある。
昼寝を この日で終わりにして
早くも 夜なべ仕事を始める日、らしい(p475)。
それとも 間の日として
休日だったのかな?
そういえば 子供の頃の大工さんたちは
休日は 1日と 15日の 月2回だった。
昔の日本人は 勤勉だったのだ!
過労死なんかも あったのだろうか?
月に2回の休日、
職人さんたちは
実に 楽しみにしているように見えたっけ。
私は 旧暦の7月1日と 月遅れの8月1日と
旧暦の8月1日とを ごっちゃにしていて
八朔と 盆行事に 関連があると 思い込んでいた。
旧暦、新暦、月遅れ。
ああ、ヤヤコシヤ。
ただ、農耕儀礼とは
切っても切れない関係にあるようではある。
『日本民俗大辞典』
(福田アジオ他編著、吉川弘文館、2000.4.20)には
「このころは 農作業の区切り目でもあり、
いよいよ野良仕事も忙しくなるので
鬼節供、婿の泣き節供と言ったり、
麦饅頭の食いじまいの日としたり、
その饅頭を 泣き饅頭と呼んだりする。」(p372)
と変なことが書かれている。
婿さんが 農作業の辛さに 音を上げる日が
始まるころなのだろう。
目出度さも 忙しさも
田植えと 稲刈りは 格別なのだ。
今日は 白露。
いくぶん秋の気配が感じられるようになり、
草の葉に 白い露を 宿すようになるとか。
(『暮らしのこよみ歳時記』p180)
台風の被災者がこれ以上増えないように、
農作物の取り入れに これ以上影響が出ないように、
雨と風と 台風の進路だけが 気になる。