ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

永田農法

2005-12-27 | 明るい農村
糸井重里氏は言う。

「あ、そろそろ日本だ」っていうときに
飛行機の中から下を見たら、
一面に緑が青々と繁っているんです。

それまで、砂漠とか、山岳地帯とかを
えんえん飛んできて、
帰ってきたら、大地に緑しかない。

これこそ農業にほんとに適した、
緑なる国だって思いました。

ところが、地上では、
離農だとか、
捨てられていく畑の話ばかり耳にする。

矛盾がありますよね。

(『糸井重里のつくって食べようおいしい野菜』p4)

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喜びに満ちて収穫した
我が家の赤と黄色のパプリカ。

きちんとしたものが採れたのは
これっきりだった(涙)。

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永田氏はいう。

農業は、自然破壊なんです。

自然を破壊しながら
わたしたちはそこでできたものを食べて、生きている。

だから、遠慮しながらやらなければならない。(p70)



大量の肥料は 植物の根を傷めるだけでなく、
土の中に残った肥料分が蓄積されて
環境にも余計な負担をかけるのだとか。

なるほど、
かつて 日本の農業は 
謙虚さの上に成り立っていたのね。

わずかの肥料でも 効率よく吸収させれば
美味しい野菜が育つのだそうだ。

この本の中では
「すきっ腹にビールが効く」と表現されている(笑)。



こぐれひでこ氏はいう。

作物を育てるのはたしかに楽しいけれど、

作業は1日2回見回りをするくらいの
淡々としたつき合いで済ませたい。

自給自足なんてことは考えてないの。

自給自足の「ふり」をしながら、
野菜作りをファッションにしたい、と思ってるんだ。(p47)

カッコイイ!



さらに 糸井氏は言う。

「おいしいっていう付加価値に対して、
 人々がお金を払う時代がもう始まっています。」

「おいしいってことの価値観が どれだけ人を突き動かすか、
 そのパワーはあなどれません。」(p5)

安全である事は 当り前、という大前提だそうだ。

同感である。



ただ 私としては 

昔の言葉の
「大農は土をつくり云々」がまだ頭を離れない。

当地の年寄りたちにも
有機農法にチャレンジする人たちが出てきた。

有機肥料に手間とお金とをかけて
害虫や病気に負けない野菜を作る。

そんな考え方が理解されてきたのだと思う。



この本の中で
戦後の日本では 国民の8割が農業をしていたが
今では8パーセントに満たない、
という話が出てくる(p40)。

8パーセント!

戦後の日本に還れ、とは言わないが
食料自給率は下がるばかり、
これは尋常な数字ではない。

なにか大切なものが抜け落ちていないか?
日本の政治。
日本の教育。
日本の家庭。

自らの手で 何かをつくりだし、
収穫する喜びは大きいもの。

農家の仕事をもっと尊び、
もっともっといろんな人が 真似事から農業を始めたら
少しは変わらないだろうか。

だって、
スーパーに並んでいる野菜とは 全然味の違うものが 
素人でも作れるらしいよ。



それから
養分のない赤玉土に苗を植え、
液体肥料をばらまくというのは

私としては なんとなく 不自然なものに思える。

それでも、そんなに美味しいのなら・・・!



青虫の食害で春に収穫できなかったブロッコリー、
この本を読んでから
日当たりイマイチな庭の
赤玉土のプランターに植えてあるんだけど、

来春には 大きくなるかな・・・?

右端から順に ヨトウムシにやられて 
一株だけ残ってるんだけど。



この番組のプロデューサーを勤め、
自身の家庭菜園も10年以上というキャリアの諏訪氏は

「永田式でやると 肥料も水も少ないし
 収穫の後、またすぐ次の作物を植えられるし、
 本当に無駄がないですね。」

と言っている。

永田氏の答えは

「そうです。

 わたしの野菜づくりには 無駄はありません。

 無駄が必要なのは、人生だけです。」(p93)

わあ、同感。

私の人生に必要な無駄は 
野菜も含めたガーデニングと ブログかな?

いやいや、
もっともっとたくさん、無駄なものがないと。

私の中には ‘むだ’と言うものを食べて成長する何かが
住んでいる。