ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

義父のQOL

2009-02-03 | いろんな人
義父は仕事を持っている。

普段はヒマなのだが たまに仕事が入ってくる。

地方公務員を退職した後に身を入れ始めたた仕事だが、
今では義父の生きがいになっているようだ。







寒さなんて平気、フォックスグローブの際から咲き出す、スノードロップ。






歳をとるということは 体力が衰えるということ。

エベレストを目指す年寄りもいるようだが、
あの人は、別!(爆)。



退職したばかりの頃はよかったが、
65歳、70歳、となってくると 
忙しい時には 義父ひとりでは間に合わない。

休日のない我が家は 滅多にイバラキに帰ることはなかったから
たいてい マメな義弟が 休みの日に行って
手伝っていた。



75歳、80歳。

たまの義弟の手伝いだけでは
義父は仕事をこなせなくなっていた。

仕事はどんどん手抜きになっていったが
それで仕事がなくなるわけではない。

義母が亡くなって
ひとり暮らしになって
義父は毎日食べて生きているだけで大変になった。

それでも仕事を止める気配はない。

儲かるならともかく・・・。(←結局は、そこ! 爆)







日当たりも良く 霜の当たらない場所で
どうやら冬を越しそうな、サマーロベリア。






義父は 「ドッカン治療」の後の最初の診察の日にも
仕事を入れていた。

仕事を断わるか、診察日をずらすかすればよかったのだが
どちらもできなくて
亭主と私が 義父の仕事と 義父の通院を 
ふたりでサポートせざるを得なかった。

決断が必要な事柄に対して、義父は本当に受身な人で、

「どうしてもこの日に」と頼まれると断われない。

絶対無理だ、と思う量の仕事を引き受けてしまって、
くたびれてしまう。



「きょう、私が行って見たら、
 おじいちゃん、くたびれて寝てたんだよ!」

と 立ち寄ってくれた親戚の人から電話をいただいたこともある。



ヘルパーさんは週に2度来てくれるようになったし

亭主も出来る限り実家に帰って
義父の面倒を見たり 仕事を手伝ったりしてはいるのだが。

せめて仕事を止めてくれれば、と亭主も思っているはず。

そんな義父から、
「俺から仕事をとったら 俺はダメになる。」
と、脅しの文句を言われたという。

ここはやっぱり、なるべく今までどおり生活していけるように、
仕事の方もサポートしていった方がいいのかなあ。



義父は間もなく 84歳の誕生日を迎える。







ピンク色の椿。