最近、「ことば」について 考える事が増えている。
私の いつめだったか? のテーマは、
「ことば」になるに違いない。
「脳」。 「発酵」。 「天狗」。
じゃ、四つめかな?(笑)
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我が家のサザンカ。
私は、こんなふうに ブログなんか綴っているけれど、
「ことば」を使う事が、不得手だ。
打ち間違いは 消して 打ち直す事ができるけれど、
発したら 間違えても消せない「話し言葉」は、
本当に、苦手。
そんな私が、どうにかして、なんとかして、
もう少し、「言葉」をうまく操れないものだろうか、
と考えるようになった。
ねえ、皆さん。
何か、いい方法、ないかしら?
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「ことば」に関する本に、目が行ってしまう。
そして、気になる。
読む事になる。
「人は見た目が9割」みたいな本も気になるんだけど、
こちらは まだ読んでいない(笑)。
たとえば、「ことば」の意識はないまま、
『本日は、お日柄もよく』という本を読んだ。
(浜田マハ著、徳間文庫、2013.6.15、648円)
タイトルに相応しい、お目出度そうな表紙に、思わずニッコリ(笑)。
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主人公の女性は、その名も「こと葉(ことは)」という。
振袖で出席した友人の披露宴で ポカをやってから(同情!)
スピーチを通して どんどん成長し、サナギになり、
蝶へと変態してゆく様が、
痛快というか、気持ち良く 面白い。
こと葉は、スピーチライターを目指す事になってしまう。
この本は、「お仕事小説」なのだそうだ。
そして、「ことば」に気を引き付けられつつある私にとって、
「う!」と なってしまう言葉が 埋め込まれている。
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「言葉っていうのは、魔物だ。
人を傷つけも、励ましもする。
本やネットを目で追うよりも、
話せば なおのこと、
生きた力をみなぎらせる。
この魔物をどう操るか。
それは、話す人次第なのだ。」(p.134)
「言葉は 書くものでも 読むものでもない。
操るものだ。」(p.144)
「聞くことは、話すことよりも ずっと エネルギーがいる。
だけど その分、
話すための勇気を得られるんだ、と思います。」(p.158)
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「最初の一撃が肝心。
それがうまく決まれば 聴衆は オフェンス側につく。
人間の心理ってのは そういうものよ。
守るよりも 攻めるほうが、そりゃあ興奮する。
その心理を うまく操るのが、 すぐれたスピーチの妙なのよ。」(p.214)
「ディベートのときは、できるだけ 具体的に例を盛り込んで」(p.218)
「困難に向かい合ったとき、
もうだめだ、と思ったとき、
想像してみるといい。
三時間後の君、涙がとまっている。
二十四時間後の君、涙は乾いている。
二日後の君、顔を上げている。
三日後の君、歩きだしている。」
(さて、どこに書いてあ~るか? 笑)
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解説にあったが、確かに、
この本のタイトル、「本日は、お日柄もよく」というフレーズは、
親戚のオジサンの
「た~、か~、さ~、ご~、や~~~。」
という謡(うたい)と同じく、
披露宴(昔は、「祝言(しゅうげん)」と言っていた)の定番だったが、
あまり耳にしなくなった。
今 思えば、失くすには惜しい文化だったかもしれない。
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同じ著者の、『楽園のカンヴァス』や 『生きるぼくら』
も読んでみたくなった。
さて、いったい、いつ頃に 読めるだろうか?
私の いつめだったか? のテーマは、
「ことば」になるに違いない。
「脳」。 「発酵」。 「天狗」。
じゃ、四つめかな?(笑)
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我が家のサザンカ。
私は、こんなふうに ブログなんか綴っているけれど、
「ことば」を使う事が、不得手だ。
打ち間違いは 消して 打ち直す事ができるけれど、
発したら 間違えても消せない「話し言葉」は、
本当に、苦手。
そんな私が、どうにかして、なんとかして、
もう少し、「言葉」をうまく操れないものだろうか、
と考えるようになった。
ねえ、皆さん。
何か、いい方法、ないかしら?
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「ことば」に関する本に、目が行ってしまう。
そして、気になる。
読む事になる。
「人は見た目が9割」みたいな本も気になるんだけど、
こちらは まだ読んでいない(笑)。
たとえば、「ことば」の意識はないまま、
『本日は、お日柄もよく』という本を読んだ。
(浜田マハ著、徳間文庫、2013.6.15、648円)
タイトルに相応しい、お目出度そうな表紙に、思わずニッコリ(笑)。
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主人公の女性は、その名も「こと葉(ことは)」という。
振袖で出席した友人の披露宴で ポカをやってから(同情!)
スピーチを通して どんどん成長し、サナギになり、
蝶へと変態してゆく様が、
痛快というか、気持ち良く 面白い。
こと葉は、スピーチライターを目指す事になってしまう。
この本は、「お仕事小説」なのだそうだ。
そして、「ことば」に気を引き付けられつつある私にとって、
「う!」と なってしまう言葉が 埋め込まれている。
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「言葉っていうのは、魔物だ。
人を傷つけも、励ましもする。
本やネットを目で追うよりも、
話せば なおのこと、
生きた力をみなぎらせる。
この魔物をどう操るか。
それは、話す人次第なのだ。」(p.134)
「言葉は 書くものでも 読むものでもない。
操るものだ。」(p.144)
「聞くことは、話すことよりも ずっと エネルギーがいる。
だけど その分、
話すための勇気を得られるんだ、と思います。」(p.158)
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「最初の一撃が肝心。
それがうまく決まれば 聴衆は オフェンス側につく。
人間の心理ってのは そういうものよ。
守るよりも 攻めるほうが、そりゃあ興奮する。
その心理を うまく操るのが、 すぐれたスピーチの妙なのよ。」(p.214)
「ディベートのときは、できるだけ 具体的に例を盛り込んで」(p.218)
「困難に向かい合ったとき、
もうだめだ、と思ったとき、
想像してみるといい。
三時間後の君、涙がとまっている。
二十四時間後の君、涙は乾いている。
二日後の君、顔を上げている。
三日後の君、歩きだしている。」
(さて、どこに書いてあ~るか? 笑)
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解説にあったが、確かに、
この本のタイトル、「本日は、お日柄もよく」というフレーズは、
親戚のオジサンの
「た~、か~、さ~、ご~、や~~~。」
という謡(うたい)と同じく、
披露宴(昔は、「祝言(しゅうげん)」と言っていた)の定番だったが、
あまり耳にしなくなった。
今 思えば、失くすには惜しい文化だったかもしれない。
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同じ著者の、『楽園のカンヴァス』や 『生きるぼくら』
も読んでみたくなった。
さて、いったい、いつ頃に 読めるだろうか?
言葉が拙くても、気持ちは伝わると思いますし、拙くて伝わらない人には残念!!でも仕方がないと割り切ります。
ジョルジュさんが「ことば」を使う事が不得手とは思わないですが、自分がどう思っているかは、自分しかわかりませんもんね。
自分の弱いところを克服しようとする気持ち、素晴らしいです。
σ(^^)弱いところは諦めて、特長的なところを維持したいと考えてます。それすら厳しいのが現実・・・・
それで心を痛める事が多々ありました。
私は、心で相手を罵倒し悪態をつく想像をします。
その時は、心の中の出来事なので自分が嫌な思いをする事はありません。
でも、それをしている時は自分の嫌いな人を思い出している訳でそれも気に入らなくなって最近は嫌な人の事を思い出すとか不快な事は口にする事を避けています。
言葉にしてしまったら消しゴムで消すように消せないものね・・・
嫌な事を言われたりした時には「時がいやしてくれるから・・・」 三日辛いのを我慢します。そうすると心が自然に穏やかになってくれます。
的外れなコメントですみません。
おほめいただいて(と、解釈してます♡)、ありがとうございます。
ホント、おしゃべりは大好きなのに、お話はダメダメなのですよ(汗)。
仕事でこちらから電話する時なんて、可笑しいほどにカミカミで。。。(大汗)。
最近は キーボードの上でも 指がカミカミ(?)です(汗)。
確かに、拙くても 伝えたい思いがあれば、伝わる・・・、はずですよね♪
気を強く持って カミカミでしゃべろう(汗)。
山八屋さん、
言葉の消しゴム、あったら あれもこれも 全部消したいです。
言葉は 口を出たら 自分の耳にも聞こえます。
悪態は 自分に向けても発せられているものなのですね。
三日 辛いのを我慢するのですね。
「三日後の君、歩きだしている」ですね。
「時間くすり」、効きますよね。
それでも時折思いだされて 辛い気持ちが蘇ってきますが、
時間が過ぎれば やり過ごす事ができますね。
山八屋さんの言葉です、深く感じるものがあります、ありがとうございます。
実践できたことがないのは言うまでもありません(;;
きっと「場なれ」するとか練習もいるのかしら。
そうしたら人前であがってしまうことも無くなるかなぁ。
今日もまた色々と考える種を貰いました(^0^)
読みたい本があっても、都合で読めない時は気になってしかたないのに、読み始めたら、なかなか最後までよみきれない。わたしのジレンマです^^;
実践できる事と やりたいと思う事との間の隔たりは あるものでえす。
ただ 縮めるという事を望むか、そうでないか。
「そうありたい」と思っているか、いないか。
意識しているか、そうでないか。
その差は ほんのわずかですが、あると思います。
何度 その場に立っても 慣れない、という事もあります。
でも いつか「場慣れ」したいです。
それから、緊張は 良い緊張感、というのもあるそうなので、「あがる」事も楽しみたいと思います。
最後まで読み切れない本。 ありますね(汗)。
読み切れないから、片付かない(大汗)。