現代は学問が発達していますが、すべての人が学問して幸福になっている訳ではありません。我は脱皮して成長するという知識を欠くと、苦悩の人生で終わります。ほとんどの人が苦悩しながら死んでいきます。
赤ちゃんは、母の胎内ですでに学び始めていると言われていますが、誕生すると、学ぶ量は飛躍的に増え、第一次我が形成されます。第一次我を自分と認識する人は非常に多いと思います。
ところが、人の我はいろいろで、現実、自分は他人に不調和を感じ、苦悩することが多いと思います。耐えがたい状態に陥ると我は脱皮します。古き我は、抜け殻となって捨てられます。第二次我が形成されます。耐えがたい状態になると我はまた脱皮します。少数の人ですが、脱皮を繰返し、苦悩なき人生を楽しみます。
しかし、昔も今も、第一次我を自分と思い込み、脱皮しない人がほとんです。苦悩しながら死ぬ人がほとんではないでしょうか。
仏教では脱皮、キリスト教では新生と言いますが、人生に非常に大切な我の発達を意味します。
ところでキリスト教では一回の新生で平安の境地に入るとしていますが、これは真実ではないですね。新生は繰りかえしてこそ苦悩は減ります。
仏教でも一回の脱皮で、悟ったなどと思う人は悟っていませんね。苦悩が続くでしょう。
真実は、人は何度も神に叩かれます。泣いて悔い改め、新しい我になります。この体験なき人生は思い込みの人生です。宗教争いは、思い込みにすぎない信者の争いです。脱皮あるいは新生が止まった人です。
人は人です。人の精に違いがあるはずはありません。究極の精を追求してこそ真の宗教と思います。教派を争うような宗教団体は要注意です。