1月24日(金)
17時、 デザイナーが月と星のブレスレット製作をしている。
彼女に「では行って来ます」
「行ってらっしゃい。メロンパン、フレンチトーストお母さんと食べます」
「ありがとうございます」
私は銀座線三越前駅にむかった。
18時、渋谷駅を下り、東急文化村を過ぎ
坂道を山手通りに向かって歩いた。
緑の蔦に覆われたフランス田舎料理レストランの店内は
若い女性客でテーブルは埋まっている。
去年、5月4日 妻と娘でお袋の見舞い後食事した。
濃厚な料理は美味しかったが、男にとってはは満腹感はなかった。
更に上がると小さなカフェが連ねている。
静かなパリ郊外の香りが漂う。
山手通りを右折して18時半 お袋がいる病院に着いた。
お袋はベッドでぼんやり天井を見詰めていた。
私を認めると、口が動いた。
懸命に声を出そうとしている。
「帰りたい」と言っているようだ。
「家に帰りたいのか」?
お袋は頷いた。
壁に鬼をクレヨンで塗った紙があった。
看護士さんが入ってきて言う。
「凄いんですよ、集中力で描いてるんです」
1月11日の見舞いの時もお袋は筆で書き初めをしていた。
弟夫婦がやって来た。
お袋は体調が良いので、自分で痰を拭き取ることが出来ると言う。
確かに私の腕をしっかり掴んで離さなかった。
お袋の鼻と喉の吸引をする大学病院の副院長でもある義妹は
「お母さん!家に帰りたい気持ちは分かるけど」
「家に帰れば直ぐに死んでしまうのよ」
義妹は仕事柄、老齢介護老人の認知度は理解している。
その義妹が驚くほど、お袋の頭は明敏なのだそうだ。
那須の寒村の貧しい農家で8人の兄姉妹弟の次女として生まれた。
しかし、成績はずばぬけて優秀だったらしい。
長兄は肥料会社を興し、弟は戦前に国立大学を出て
30代で校長になり最後は教育長になった。
親族の孫も優秀で、トップ大学を出て上場企業の社長や
一流銀行の役員になった。
残念ながら、私達男3人兄弟が優秀な遺伝子を受け継がず
現在も貧乏で悪戦苦闘している。
ピーターパンのメロンパンとフレンチトーストを
弟に渡して、20時病院を出た。
お腹が空いていたが
元来た道のカフェやレストランで食べるのは
私には似つかわしくない。
21時半 船橋駅に着き、飲み屋小路を覗いたが全て満席。
22時入浴後、ホッピーを飲む。
23時半 娘が帰宅。
2月9日 アイリッシュダンスの公演があり
勤務後、高円寺でレッスン。
かなり、疲労しているようだ。
でもね、元気で懸命なのが良い!
そうやって、たゆまない行動と考えで
人生の悲しさが分かってくる。