10月9日(金)
AM8時自宅を出る。
船橋駅で総武快速線に乗る。
ホームには車両が停まっていた。
乗り込むが車内は空いていた。
案内放送がされる。
「昨夜の地震によりダイヤが乱れており
先行電車が前の駅で停車中です。
動き次第出発します」。
新日本橋駅に着いたのは10時半
銀座線三越前駅から渋谷に向かう。
介護病院での待ち合わせは11時、
渋谷駅に着いたのは11時
スクランブル交差点を渡り
センター街を抜け、
松濤の邸宅街坂道を上がる。
AM8時自宅を出る。
船橋駅で総武快速線に乗る。
ホームには車両が停まっていた。
乗り込むが車内は空いていた。
案内放送がされる。
「昨夜の地震によりダイヤが乱れており
先行電車が前の駅で停車中です。
動き次第出発します」。
新日本橋駅に着いたのは10時半
銀座線三越前駅から渋谷に向かう。
介護病院での待ち合わせは11時、
渋谷駅に着いたのは11時
スクランブル交差点を渡り
センター街を抜け、
松濤の邸宅街坂道を上がる。
松濤の坂道
途中に、表札もないレストランがある。
天皇陛下が学生時代の仲間との私的交友に
使われたレストン。
又皇后様がご結婚前にご家族で最後の晩餐をしたレストラン。
急ぎ足で抜け、政治家 2Aの邸宅もある。
山手通りを左折して直ぐに介護病院がある。
11時半到着。
ロビーに既に息子がいた。
弟夫婦も車で到着。
道路も渋滞であった。
小田急線も遅れて兄も到着。
久しぶりの顔合わせ。
妻は右足骨折で来れない。
兄夫人もパーキンソン病にて歩行困難で来fれない。
弟夫婦が先に10分間面会に向かう。
次に私と息子
最後は兄だ。
3階に部屋 ベッドで酸素吸入器装着した
母を見るのは去年2月以来だ。
介護病院 94歳のお袋を想う。
呼びかける。
一瞬目を開ける。直ぐに閉じる。
息子が 自分の名前を言って呼ぶ。
途中に、表札もないレストランがある。
天皇陛下が学生時代の仲間との私的交友に
使われたレストン。
又皇后様がご結婚前にご家族で最後の晩餐をしたレストラン。
急ぎ足で抜け、政治家 2Aの邸宅もある。
山手通りを左折して直ぐに介護病院がある。
11時半到着。
ロビーに既に息子がいた。
弟夫婦も車で到着。
道路も渋滞であった。
小田急線も遅れて兄も到着。
久しぶりの顔合わせ。
妻は右足骨折で来れない。
兄夫人もパーキンソン病にて歩行困難で来fれない。
弟夫婦が先に10分間面会に向かう。
次に私と息子
最後は兄だ。
3階に部屋 ベッドで酸素吸入器装着した
母を見るのは去年2月以来だ。
介護病院 94歳のお袋を想う。
呼びかける。
一瞬目を開ける。直ぐに閉じる。
息子が 自分の名前を言って呼ぶ。

目を開ける。言葉はない。
私は嗚咽を抑える。
10分の束の間の面会は終わる。
ロビーにて今後のことを話し合う。
弟に一任する。
弟の嫁さんは元大学病院の副院長兼看護部長
緊急看護学会の理事長でもあった。
最近まで、某医大で看護学を教えていた。
妻と私の癌ではお世話になった。
兄の娘の病でもお世話になった。
当然 お袋の世話もした。
心強いのは、まだお袋と弟夫婦が同居していた頃
お袋は倒れた。
直ぐに嫁さんが手早く処置をして
横浜の辺境地から
渋谷の大学病院まで救急車に乗り込み
一命を取りとめたことだ。
実は息子もその付属の中高出身でもある。

弟夫婦は車なので途中に奥さんを下し
桜上水事務所に向かう。
私と兄と息子は、奥渋と呼ばれる通りを
通って駅に向かう。
細い通りは暗渠であり
有名な 春の小川の曲の川が流れていた。
続く
春の小川(童謡)