馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

花より、お酒! 墓参り。

2011-12-24 14:42:30 | 日記

1223日(金)天皇誕生日 78歳になられる。

陛下にとって過重な心労が多かった年でした。

 

午前10時半、妻が母親介護から帰ってきた。

娘はアイリッシュダンスの発表とその仲間達との忘年会で

入れ代わりに出て行った。

 

天気予報は冬型の気圧配置で上空から寒気が流れ込むと報じた。

しっかり着込み、帽子、マスクをして私も外出。

駅傍のコンビニで買い物して津田沼で新京成線に乗り換え初富駅下車。

住宅地を抜け小学校横の坂道を下ると共同墓地に出た。

墓地全体は傾斜地にあり彼の眠る墓は傾斜の一番下にあり

金網の柵越しは細い道路になり真向かいは住宅地で2階建て

木造家屋玄関前だ。

この辺りにお住まいの方は目隠し無しの墓地を朝な夕な眺めているわけだ。

 

紙パックの日本酒を墓石のテッペンに注ぐ、少し泡立ち糖分があるからだろう

ゆっくりと流れ落ちる。

瓶入り日本酒がよいのだが、ゴミ焼却が出来ないので諦めた。

手を併せ黙祷する。

カタカタと音がするので見上げるが何処からの音か分からない。

再び黙祷、又カタカタと音がする。

凍てつく墓地斜面を見渡す、耳を澄ましていると

周囲の墓の卒塔婆が微かな風で重なり部分が擦れて

じっと私を見て墓の住人達がこの世の最後を囁きあっているかのごとくだ。

 

    

私は暫く点在する卒塔婆見詰めていた。

心と体が寒々と感じ、綿々たる憂愁の思いが沸き起こり、

溜息をついた。

一昨年625日 食道癌で亡くなった。

61歳 独身。

今年最後の墓参り。

花は他の友人たちが捧げる。

命尽きる前 2年間 住まい近くの居酒屋で

彼は毎晩飲んでいた、そして私が来るのを待っていた。

私が遅くなって駆けつけると、にこっと微笑み

安心したかのように日本酒を飲み始める。

店主が「あんたが来られない日は寂しそう」と言った。

遅くなり待ちきれずに店を出て暗闇で会うと再び店に戻り飲んだ。

墓前でつまみのイカとピーナツで日本酒を飲み続けた。

凍てつく墓地で30分程佇んだ。

お前と俺の二人だけで飲むのが合っている。

周囲の雑音も気にすることなく互いに癒されたのだ。

 

今年最後のお前との飲み会

「来年 又暖かくなったら、来るから」!

 

14時新京成線に乗車、アルコールと車内の暖かさで

座席に座ると眠気がきた。

この沿線に3人の知り合いの墓がある。

一人は私が26歳サラリーマンをしていた頃

不正した課長を追及したら、部長は私に理不尽にも

人事異動命令して喫茶店で皿洗いをさせた。

会社を辞めさせようとしたのだが後に不正が公になった。

私はその後、元の職場に復帰するのだが

課長は夜逃げ、部長はまもなく死んだ。

その部長の墓はこの沿線にあると聞いた。

その頃 墓に小便架けたいと本気で思った。

30年前の出来事だった。

 

もう一人は 甥っ子で22歳の時 マンション最上階から

飛び降り自殺した。

 

行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに
浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたる
ためしなし、世の中にある人と住家と、またかくの如し。

鴨長明

 


クリスマスプレゼント 羽根ペン!

2011-12-23 09:47:00 | 日記

1222日(木)羽根ペンを赤い包装紙にリボン結び。

 

 

ネット販売でお客様の依頼だった。

購入客に送るのではなく、別の名前と住所宛に送ってほしいとのメールが来た。

購入する女性、送る相手は男性名。

送り先は遠隔地。

2425日は天候大荒れ、かの地は雪国。

想像する!

遠く離れた恋人同士。

二人で過ごせないクリスマスイヴに届いた。

パソコンの明朝体文字打ちでは愛は語れない。

イタリアトスカーナの羽根ペンに思いを込めて書き綴る。

互いに寂しいけれど心にペチカ!

お幸せに!


人を泣かせて金儲け?九段スズキ本店長野利男美保子。

2011-12-21 17:18:06 | 日記

1220日(火)昼、来客あり。

ランチはカレーうどんだったが 昨日頂いた缶ビールを飲む。

来客は神奈川を中心に惣菜を駅ビル デパ地下で販売している

営業部長で長年の友人。

食べるよりも飲むランチなった。

息子に結婚祝いを持ってきてくれた。

この方の縁で息子も他の友人達の子息も学生時代は

駅ビル等でアルバイトさせてもらった。

缶ビール飲んでいると、宅急便がきた。

福島の被災地のお客様からりんごが贈られてきた。

先日 蒔絵ボールペン、スターリングシルバーボールペン、万年筆を

購入された方だ。

 

10月に購入された時も梨を贈っていただいた。

被災されて生活苦なのにお礼の贈り物を送るなんて!

 

こんな義理堅く、恩義を忘れない方がいるのだ。

 

九段スズキ本店 長野のように恩義も土足で踏みにじって

逃亡するのもいるが、周囲から人間の屑と呼ばれても

己の利益のためなら相手を傷つけても気にしない。

人を泣かせて金儲け!

私には出来ない。


慌ただしい師走、お先に食べてまーす!

2011-12-21 16:12:27 | 日記

1219日(月)午前中、慌ただしく動き回る。

9時半事務所に着くなりパソコンでメールにて取引先に連絡。

銀行に行かなければならないが、誰も未だ来ていない。

本日のランチは中野のスナックでママをする中国人小姐が来て

餃子を作ることになっている。

10時、致し方なく鍵架けずに事務所飛び出す。

途中 ママに電話を入れて

「ドアは開いているので、炊飯して餃子を作ってください

私は12時半頃戻ります」と伝える。

人形町の銀行へ行き書類手続き、それから日本橋の銀行へ行く。

11時半、銀行での手続き終了だが

もう一度、銀行に行かなければならないが

12時半にならないと書類が出来ないため

近くにある、行きつけの床屋に入る。

 

結局 13時に散髪終わる。

弊社マドンナからメールが入る。

お客様が既に事務所に到着しています」。

「急いでください、ついでにラー油を買ってきてください」

 

銀行で海外送金をしているとメールが入る。

「お先に食べてまーす」画像が添付されていた。

先月から注文が多くなり、発注と同時に為替送金をするが

資金繰りが追いつかない。

1112月に海外に支払い済ましてから

日本の顧客に納品して代金回収は3月から4月になる。

かなりしんどいことだ。

結局事務所に戻ったのは13時半

餃子60個を作る。

5人で食べきった。

 

夕方、缶ビール1ケース、焼酎2本がカクヤスから届く。

横須賀に住み いつも釣った魚を頂だく方からの差し入れだった。

 

ありがとうございます。

 


木枯らし街道の家路!

2011-12-18 22:09:47 | 日記

1217日(土)午前10時半 船橋橋袂の佃煮屋で土産を買う。

JRに乗車して横浜駅で私鉄に乗り換え急行で三つ目の駅下車。

タクシーに乗り1070円支払った。

13時少し前に着いた。

小高い丘に立つグレー色壁3階建。

玄関口の陽当たり良い場所で老人がベンチに腰掛、にこやかに私を見る。

受付で面会相手の氏名を書き、訪問者欄に息子と記入。

名札を付け看護士さんに伴われ2階の母親の部屋に入る。

個室で広く窓から燦燦と陽が差し込む。

お袋はまどろんでいた。

私を見て「額に熱冷ましシートを張替えてくれ」

「お腹の湿布を替えてくれ」

涙声で言い続ける。

「陽が強いから布カーテンを買ってきてくれ」

矢継ぎ早の要求を言う。

「ここを早く出たい」

介護施設ではなく老健なので

 

3ヵ月後には出なければならない。

車椅子に乗せ屋上の庭に出る。

しかし直ぐに痰が出るので吸引のため

又部屋に戻り看護士さんに喉、鼻の吸引をする。

リハビリを担当する若い男性が来て挨拶を受ける。

 

部屋入り口ですれ違った老女が部屋の名札を見て驚く

姓が同じ、名前が私のお袋はマルマルの2字で子が付かない。

隣の病室の名札は姓同じ、名前は子が付くか付かないだけの違い。

年齢も同じらしい。こんな偶然があるのだ。

ちなみに私の妻と兄の妻は元々二人とも名前は同じだったため

結婚して同姓同名になった。

 

母親を病室に残し屋上庭園に上がる。

  

冬空だが陽射しを受け暖かい、西に丹沢山塊が黒くたたずみ、手前の大山の後ろに

雪富士が見える。

 

東には横浜ランドーマークが小さく、くっきり見える。

 

   

中学生時代 冬空の早朝、中学校に通う山林道から丹沢山塊が見え

鼻水垂れ、霜柱の道を走りながら手拭で鼻水拭いて遅刻ぎりぎりで教室に飛び込んだ。

 

高校生になり桑畑の先に青黒く連なる丹沢に憧れ登った。

 

大学生になってからは本格登山で登る機会は少なくなったが

50代後半からは麓に住む友人を訪ねがてら丹沢に登る。

 

屋上から見渡す景色は少年期を過ごした青春無頼の想い出なのだ。

 

部屋に戻り、母親に3時のおやつを持って女性看護士さんがきた。

ゼリー状のお菓子をスプーンで飲む。

食欲はあるのだ。

体に病があるわけではなく、日毎に老化しているのだ。

心も脳も断片的な記憶と遠い想い出が錯綜

 

16時、排尿の世話をして、看護士さんが痰の吸水を始めたので

部屋を出た。

 

お袋のいない実家まで歩くことにして

夕暮れが迫る丸子茅ヶ崎線街道を歩き始めた。

 

新田義貞の鎌倉攻めの道でもあった。

夕闇迫る木枯らし街道を歩くのは私だけ

40年前、深夜、街灯の無い細い道筋を車で通ると

樹林から飛び出すウサギを車で轢いて、車輪下でゴリンと骨が折れる音と

感触は未だ忘れられない。

  

少年時代仰ぎ見た黒い丹沢山塊に向かって

途切れ無き自動車が行き交う道路の歩道をひたすら歩く。

横浜郊外 海抜75メートルの木枯らし街道は冷たい風が体を吹き抜ける。

 

今年の夏820日 炎天下の家路のブログを書いた。

 

1650分実家に到着

徒歩50分 10月にハゼ釣りした時護岸で滑って腰を痛めたが

その痛みが未だ残っているので歩くのが遅い。

弟がいたが嫁さんは留守。

 

実はお袋の見舞いもあったのだが、沢庵を漬ける手伝いに来たのだったが

弟が一人で漬け込んだ。

1月後半になると絶品の沢庵が食べられるのだ。

毎年、お袋が柿の葉、りんごの皮等を入れて丹念に漬け込むのだ。

旨さは絶品、漬物好きの知り合いが食すと必ず唸る!

18時 弟は施設の母親の所に行くので

車に同乗して駅で降ろしてもらった。

18時半 横浜駅ジョイナス地下街の札幌屋

横浜駅に来た時は必ず寄るのだ。

味噌ラーメンを食べる。

朝昼、飯を食べていなかった。

 

20時船橋駅着、居酒屋一平で生ビールと煮込みで10分間立ち寄り。

海老川沿いを歩き川面に向かってマーキング。

それから、居酒屋あんこう、で熱燗とマグロ刺身。

22時自宅着。