馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

再び、福島原発被災地からの注文。

2011-12-18 14:28:50 | 日記

1214日(水)福島原発被災地 南相馬の方から注文が再び手紙できた。

蒔絵ボールペン、万年筆、スターリングシルバーボールペン、万年筆

個人としては大量、多額だ。

  

10月にも同じ方から注文だった。

避難した山形、新潟、群馬でお世話になった方にお礼として贈り物。

元々通販雑誌に掲載していたが4月で蒔絵筆記具の掲載が終了

通販会社からの紹介であった。

弊社からの直接購入は格段に安い。

又被災者でもあるので特別価格で提供。

LEDキーホルダーはプレゼントした。

 

11月にはやはり被災した宮城県の仮説住宅から

イタリア製羽根ペンの注文がきた。

やはり、避難先でお世話になった方へのプレゼントだと聞いた。

震災という災難に遭われて困窮しているのに人情に報いる行為

復興回復が進まない現状に苛立つ。

 

本日のランチ 余った野菜で鍋。

 

 

 

 


只今、苦闘中!

2011-12-15 18:16:07 | 日記

1214日(水)夕方、彼に久しぶりに会った。

今年4月デザイン版下の会社を閉じて

葬儀関係の仕事を始めた。

息子の結婚祝いを持ってきた。

彼が持ってきた酒とつまみで飲む。

今までと全く関係ない仕事について八ヶ月

痩せた体を見ると苦労が滲み出ている。

妻とまだ学生である子供3人を抱え

育てるためには辛抱しかない。

 

ひと月の半分は泊まりで病院内夜中に患者が死亡した場合

30分以内に駆けつけ霊安室に運ばなければならない。

風呂やトイレに入ろうが片時も携帯電話は離せない。

入浴中でも死亡連絡があれば中断して直に駆けつける。

葬儀の舞台裏仕事を聞くと興味津々だ。

このブログで内幕を暴露する訳にはいかない。(殺されてしまう)

 

私と仲の良い方々つまり自営業者やサラリーマンでも殆どが不遇というか

能力ありながら冷遇され隅に追いやれる。

 

しかしパーソナルの歪んだ人間に限って出世や金儲けがうまい。

誠実な人間関係など脳には持っていないので

お人好しの人を見つけ利用する。

心身が空になるまで搾り取ってしまえば

ハイ、ご苦労さんも言葉もなく捨てていく。

九段本店 長野のように

被害者は一杯いる。

 

 

彼は私のブログを読んでいて、私が妻子抱えて苦闘した時代の日記に

励まされ耐えている。

私が苦闘時代は高度成長の右肩上がりだったから幸運だった。

現在、明るい展望のない日本を覆う不況を思うと

彼に励ましの言葉もない。

23時まで柳橋事務所で飲んだ。

谷川岳 一の倉

 

 


隅田川と神田川合流点 ハゼ釣り。

2011-12-14 16:34:44 | 日記

1214日(水)本日のランチ焼きそば

食べ終わって、窓辺から釣り人がいるので

寒かったが見に行く。

隅田川と神田川の合流点

この時季 何が釣れるのか聞くとハゼを釣っていると言う。

魚籠を覗くと型の大きなきれいなハゼが一杯だ。

この場所でこんなに釣れているのを見るのが始めてだ。

仕掛けとか潮流、時間帯を教えてもらった。

 

「食べるのですか」?

「いやー 浅草の料理屋さんに出すんです」

なるほど、セミプロの釣り師だった。

    

 

 

素人の私は ハゼ釣りは夏場だと思ったが

なるほど、江戸前ハゼ天麩羅を料理屋さんで食べるには

大きさはこの時季まで成長したハゼなのか

 

私もハゼ釣りしたいが、又ホームレスに間違えられそうだ。

 

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/69cab56817460898e69b714926a64dc0

 


子供になったお袋。

2011-12-13 18:13:27 | 日記

1212日(月)夕方 お袋がいる大学病院へ17時着

緊急入院したため6人部屋にいた。

明日退院して施設に入れることになった。

私を見るなりベッドを少し下げてくれ、

痰を取るから背中を叩いてくれ、

トイレに行きたい。

続けざまに要求する。

看護士さん呼び出しブザーを押す。

少し認知が始まっている。

突然 「腹が出ている、ボタンを留めなさい」

正気になって昔の凛とした母親になる。

 

子供に返ったお袋を見るのは辛い。

27年前 越後湯沢の旅館で客死した親父の元へ

行かしたほうが ?

 

幼い頃滑り台のてっぺんから落ちて左足を骨折した時

整骨院へ毎日私を背負って行った頃を思い出す。

当時はいい加減な治療だったので少しびっこになっている。

お袋はその事実を知らない。

 

18時、外で軽い食事をして戻ると

この大学病院の副院長である妹が私服に着替えて病室にいた。

続いて弟も来たので今後のこと聞いた。

静かな住宅地に一人で昼間置いておくことは無理なのだが

お袋は自宅に帰りたいと言う。

 

私が これで帰ると言うと涙を流す。

 

妻も実母の介護で心身疲れている。

昨年 秋 妻は子宮頸癌発症入院、私も前立腺癌疑いで入院

友人の癌に付き添い、死を看取った。

自営業の苦境にも遭遇。

 

心折れてはならないと自分に言い聞かせる。