靄に包まれた「森の時間」。ラジオから温もりと哀愁のある声が流れる。
急行に乗り換え、♪走るように生きるあなたと、歩くように生きていた私。いつの間に、いつの間に離れてしまったの? 私たちふたり、これからどうしたらよいの?♪打ち上げ花火、はしゃぐあなたと、線香花火見つめる私。燃え尽きる、燃え尽きる速さが違ったの?♪
靄に包まれたように明日が見えなかった青春。しかし、靄は晴れて、太陽が燦燦と輝いていることを知った。アサミチユキの「井の頭線」。素直な語りかけに、靄に包まれていたような時代の心理状況が思い起こされる。
「のらくら農場」で鹿肉料理をご馳走になった。田圃を荒らしていた鹿を猟友会に捕獲してもらい、その肉を分けて貰ったそうだ。5-6日ハーブに漬けておいた腿肉をローストして食べた。料理人はS総合病院のお医者さん。奥さんも精神科のお医者さん。収穫祭でもイタリア風を見事に料理されていました。それとたくさんの野菜料理。採れたての牛蒡を使った混ぜご飯。Hさん農場の野菜は、どんな形で頂いても美味しい。
「森の時間」の小さな畑の夏の収穫は終わりつつある。食べきれない程にたわわに完熟した晩夏のトマト、青梗菜などの葉物、それに「のらくら」さんで頂いた野菜を使って夕食・朝食を作った。と言っても、切って、焼いて、味噌味で煮ただけ。秋刀魚は下のスーパー「つるや」で98円。
JAのマーケットで一袋15-16個入りの信州りんごが千円で売ら れていたので、少し工夫して食べた。輪切りにして干ブドウをはさみ、シナモンと少し多めにラム酒をふりかける。アルミホイルに包んで、蒸すように柔らかくなるまで焼く。大人味のりんご焼き。1人で食べるにはもったいない美味しさ。家に持って帰り、家族にも味を分けたが、あまり好評でない。食べ物は舌で感じる味覚だけではない。所詮美味しいと思うのは独断であり、必ずしも人も同じように美味しいとは思わない。気候、空気、風景、温度、環境が違っても味が違う。さらに、だれとどのような精神状態で食べるかによっても美味しさが違う。食べ物は五感で味わうものだと思う。そして、その食物が育った場所で食べる。葉っぱ一枚にも生命が宿る。「いただきます」の感謝の気持ちで食べる。そうすれば、食べ方を無駄にすることもない。自然界の生き物は皆そうしている。だから、生命誕生から38億年の地球の生態系は持続され、進化してきた。
「ちゆきのうた」から、いつの間にか「ちきゅうの詩」に・・・?