「森の時間」のある地に初めて足を踏み入れた7年前、なだらかにうねる馬の背状の土地は草 原の一部のようにほぼ全面が草に覆われて、森の土が削り取られた平坦な部分は草の疎らな剥き出しの赤土だった。林分の遷移で言えば、「二次遷移」の「林分成立段階」。土地を手に入れた開発業者は、3-4百坪10区画ほどに分けて別荘地として分譲しようとしたらしい。西側の半分は土地投機目的の東京在住者に売って、
売れなかった残り半分を開発しようとした業者の名義になっていた。登記簿にはバブル時代に2億円弱の担保設定された記録がある。その後、田中長野知事時代に大規模開発は厳しく規制され、町でも厳しい環境条例を制定したこと、農業用水ため池の隣地にあるため地元の強い懸念があった等で開発は実現されなかったらしい。
周囲の深い樹林はカラマツを中心とするアカマツ、コナラ、クリ等の二次林。近代史において日本の森は二度壊滅的に伐採された。一度目は明治維新。江戸時代まで、「木一本、首一つ」と言われ各藩によって守られた樹林が、無秩序状態の明治新政府時代に薪炭用に大量に伐採され、里近くは禿山になった。その後再生が図られ森林は回復したが、第二次世界大戦後の物資不足時代に再び過剰に伐採され、経済復興、高度成長期、輸入木材が解禁され、さらに燃料革命によって薪炭・木炭生産が衰退する1970年頃までは集中的森林伐採が続いた。日本林業の全盛期ではあったといえる。辺りのカラマツ林は、70年代以降に集中的に植林されたと思うので、樹齢は凡そ30歳前後だろう。 太いのは50-60歳。近くに間伐した森がある。太い切り株の年輪を数えたことがあった。私の歳と同じだった。一緒に薪拾いをしていた息子が、同じ年月を生きた貴重な木なのだから切り株でも大切にしたらと言った。人の手が入った二次林は生態学
的には本当の自然ではない。二次林の近くには必ず人が住んだことがあり、原野や原生林を切り開いて作った田畑がある。人の活動は、暗い原生林を明るい雑木林にして、色々な生き物の生活の場を作り出してきた。深い森から明るい場所へと移行する環境に、それぞれの明るさを好むさまざまな植物と動物の生息場所・空間が形成される。人は生きるために自然に手を加え変えてきた。しかし、自然は人に干渉されなくなると押し返してくる。人と自然が凌ぎ合い、生物種の移行帯である人の手の入った里は「エコトーン」なのだ。
5時過ぎになると鳥が囀り始める。寝ていられない程うるさい色々な鳴き声。強制的な目覚まし、起床ラッパのように眠い眼をこすりながら起きざるを得ない。この日は、さらに騒がしい朝だった。この季節の日曜日、佐口湖の土手が地元の消防団によって「野焼き」される。朝早くから軽トラがたくさん終結し、大声と枯れ草の燃える音が賑やかに聞こえる。時には10メートル程も炎が舞い上がり、枯れ草を焼く音が爆竹のように響き渡る。野焼きによって人為的攪乱が与えられた枯れた草叢に、明るい場所を好む色々な草花が蘇る。埋土種子、風散布種子、地下茎、根萌芽から芽が出て、花を咲かせる。
井戸掘りの業者を探した。月曜日に現場に来て打ち合わせることになったので、予定外に土曜・日曜連泊した。里奥にある「森の時間」はエコトーン。私のロジックと先住の生物達のロジックがぶつかり合う。