日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

もう一つのエピソード

2017-05-16 22:11:07 | ものの見方 考え方
こんばんは。
なかなか早い時間に更新出来ないので、すみません。
お蔭様で、仕事終えて帰ると19時過ぎ。
さすがに少し疲れております(でもお勤めの方なら、このくらいの時間ならごく普通ですよね;、ごめんなさいです)

                           

さて、昨日の続き。
いよいよ出雲大社へ、といいたいところですが、その前にもう一つ、エピソードがありました^^;。
またかい、と思われるでしょうけれど、ま、聞いてやって下さいませ。

コンビニを出て車を走らせていると、道路の真ん中辺りに何やら少し大きめの石が転がっております。
なんだ?と近づくにつれ、それは石ではなく、なんと「カメ」であることに気づきました。
まさか、と思われるでしょうけれど、走っている道路は元々広域農道として作られていた道であり、それが今は県道に
昇格しております。
そのような訳で、この辺りは未だに道路の両脇は田んぼが広がっている地帯でもあります。
そういう場所ですので、カメさんが生息するには必要十分?な水も豊富なわけですよね。
斯様なところで、そのカメさんが、何をどう思ったのか、その道路をこちらの端から向こうの端まで渡ろうと考えたのかどうか、
それは定かではありませんが、ともかくこの道路の真ん中辺りまでは、エッチラオッチラ歩いて来ていたのでしょうね。
とはいえ、こちらは車に乗り、それなりの速度で走っているので、そのカメさんを見たのもほんの一瞬。
すぐにその傍らを通り過ぎてしまいました。
ですが、そのカメさん、そのど真ん中辺りで首をすくめる様にして、さてここをどうしようか、と本当に危険に身を晒しながらも
それ以上は動けずにいるようでした。
この時は、まだ交通量もそれほど多くなく、自分の後続車は少し遠く、対向車もあまり見かけなかったように記憶しています。
咄嗟に、車停めてこのカメさん、反対側の田んぼに逃がしてやろうか、と考えたのですが、ついひるんでしまいそのまま自分自身
走り去ってしまいました。
でも・・・、もういっぺん引き返そうかどうしょうか、と考えるうちにかなり走ってしまい、結局は何も出来ない、しないまま
そこから離れてしまいました。
心の中では、カメさん、どうか無事にそこを渡り終えててね、向こう側へ辿り着いててよね、と祈る気持ちでいた自分でした。

                             

たかがカメ一匹、と思われるかもしれません。
でも、生きている生命(いのち)です、みすみすそのまま通り過ぎてしまった自分をずっと悔やんでいました。
折りしも、出掛けに自分は脱輪したところをたまたま通りかかった方々に親切に助けて頂いた経緯もあります。
その時には、そんなことも全く思いもしませんでしたが(つい二時間半前くらいのことなのに;;)この事を
思い直していると、ああそうだったと改めて感じたのでした。(感謝していたというのは、うそだったのかしらね;;)
帰路もその同じ道路を通って戻るわけですので、その時にそのカメさんを見かけなかったらば、無事渡れたのだろうと
思うようにしよう、と自分に都合良く考えていました、その時点では。

                            

結果からいいますと、そのカメさん、帰りにもう一度見かけました、来た時と同じ道路の真ん中で。
甲羅がひっくり返り、見た目にもかなり干からびたような姿に見受けました。
おそらく通行する車に撥ねられたのか、ひっくり返ったまま動けなくなり、そのままその場で身動きが取れなくなって
しまったのでしょうね。
轢かれてしまい、無残な姿になっていなかったから、わかったのかもしれませんが。
とは言え、もしあの時、自分がほんのわずかの時間を惜しむことをせず、その場に立ち止まり、そのカメさんをほんの数メートル
移動させてやれていれば、今頃は田んぼの中でのんびり過ごせていたかもしれません。
或いは、そんなことをしていても、早晩なんらかの形で命を落としていたかもしれません。
ですけれど、その時、自分自身がそのカメの生命そのものを見捨ててしまったような思いがしたのは否めません。
何故、見殺しにしてしまったのか。
小さくても命は命、そのことに変わりはないはず。
神様云々という前に、目の前のその出来事に真摯になれ、そんな思いがよぎったのでした。
たかがカメ、といわれるでしょうけれど、されどカメさん、そう感じた自分です。

せめて、次に生まれてくる時には、過ごしやすい池の中で、さながら大社の池の亀のようにゆったりした時間を持てる、そんな
生き方をして欲しい、そう心の中で今一度願い祈ったのでした。


エピソードというには、あまりにお粗末な顛末かもしれませんが、自分にして頂いたことと同じようなことを、おまえは人に
対して、或いは生き物に対しても出来ておるのか、そう言われ試されたような気がしております。
全くもって何にも学習出来ていない自分だな、そう思ったりもしております。
例大祭前後でのこの出来事、何かしらの自分の教訓にしたいと思います。

最後は自分で自分を戒める、そんな反省文になってしまいましたね、すみません。
なんとか明日には大社まで辿り着きたい、そう思います;。
今日もお付き合い頂きまして、有難うございました。





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出掛けの出来事

2017-05-15 19:49:25 | ものの見方 考え方
こんにちは。
申したように、昨日14日に参りました出雲のことを書いてみます。
1回では、また自分のことですので長くなるようですし、何回かに分けたいと思います。
しばらくお付き合い下さいませ。

                            

さて、出かけるその朝、実は結構なアクシデントがありました^^;。
自宅を出てしばらくすると、細い道に差し掛かります。
これは広島インターに向かい車を走らせるなら、どうってことはない普通の道なのですが、昨日はそちらからではなく
二つ先の西風新都(せいふうしんと)というインターから乗ろうと考えたからです、つまりはうちからですと、ちょうど
山をぐるりと廻る峠道を通って行こうとしていたんですね。
時間的にも、また高速代も多少は節約出来ますので。
峠道はクネクネではありますが、しょっちゅう通っていますので、それは慣れもあり全く問題ありません。
ですが、その峠に差し掛かるよりも遥か手前、アクシデントというのはうちを出て、ものの5分ほど走ったところで
起こりました。
そこは先ほどから申す如く、狭い道で離合もちょいと難しく、その上かなりの坂道でもあります。
そんな場所に差し掛かると、折りしも前から1台車が。
自分が下がろうとバックした途端、それこそガタンッと衝撃を受けました。
そう、お察しの通り、側溝に左前のタイアを落としてしまったんです;。
これまた昨日はレンタカーでして;、いつもより車幅が狭いにもかかわらず自分の車の左側の認識が甘かったというのか、
見えてなかったというのか;。
きちんとドアミラーを下向きにして確認してけばよいものを、そんなことにも気づかず、かなり焦ってしまいました。
思いっきりアクセルふかしてみても、エンジンが唸るばかり;。
そうしていたら、対向車に乗っていたオジサンが降りてきて下さいまして。
「こぉりゃ、なんかかませんと、上に上がらんのう」
といいつつ、近くにあった直径20センチほどの丸太を側溝に差し込んで下さるも全く埒が明かず。
そんな時、先ほどワンちゃんを散歩させていたオニイサンを追い越していたのですが、その彼がこの「現場」に差し掛かり
その彼を見たオジサンが
「あんた、ええとこ来たの、ちょっと手伝う(てつどう)てや」
と声を掛けてくれ、その彼も手伝ってくれることに。
「これ、FF車?なら思いっきりハンドル右に切ったら車上がりますよ」
とアドバイスしてくれるので、車体をそのお二人に抱えてもらいながら、自分は言われたようにしてみましたが、やはり
持ち上がりません。
どうしたものか、と思っているとそこへまたもやバイクに乗ったオジサンが通りかかりました。
この状況を見て、こりゃドゲンカセントイカン、と思って下さったのか、これまた加勢して下さり、もう一度男の方3人で
車体を持ち上げ、自分がアクセルふかしながらステアリングを右に切ると
おお、ようやっとこれで側溝脱出!!
「すみませんでした!ありがとうございます!!助かりました!!」
と大声でお礼を申すと
「気ぃつけて行きんさいよ、出雲まで行くんじゃろ」
と先ほど出雲まで行かねばならない旨をオロオロしながら話していたのを覚えていて下さり(そりゃ、つい今しがたですもんね;)
他のお二人も、やれやれという様子でこんな自分を見送って下さいました。
この間、確か十数分のことでした。
                           

普通だと、出掛けのこの事件?、かなりの意気消沈ものですが自分は全く反対に捉えておりました。
あの状況で、対向車の方が良い方だったのも幸いでしたし、その後も示し合わせたように男性が二人も通りかかり
そのどちらもが手伝って下さったこと。
確かにオバサン一人じゃ、こりゃとてもじゃないが埒が明かんわい;と考えられたのが実のところでしょうけれど
あの場へ、たまたまのようにあの時間に人が通りかかることも、そうないでしょうし(時刻は6時少し前)これこそ
神様がこのアクシデントをどう考えるか、を示した出来事だったのではないのか、そうも感じました。

出掛けにこのことがあったからこそ、その後はもう大きな事故には遭わないし今日は大丈夫だ、そう思え
その後は順調に高速を走らせながら車内でひとり
「あーりがとうございましたー!ほんっと助かりましたー!皆さんの御蔭ですー!本当にありがとうございましたー!!」
と大声で叫びながら^^;感謝しておりました。

物事、何事も捉えよう、考えようで如何様にもなると思います。
こりゃ、幸先悪いぞ、とネガティブに考えるとその後も暗い気持ちで過ごすようになるでしょうし、この自分のように
よっしゃ、これで厄落とし出来た、これで安心!と超の付くほどポジティブに捉えるかでその後の行動にもかなりの違いが
出てくるように思います。
だいたい主人がそんな人でしたので、一見不利に思えることでも、「おし、これで○○にならんで(ならなくて)済んだ」とか、
或いはたとえ道に迷っても「これで、この辺り詳しくなったの、次来るときはなんでも聞いてくれ」などと二度と来ることは
ないであろう場所でも、とにかく良いほうへと解釈する、そんな人でしたので、この考え方はいわば我が家の家訓?みたいなもの
でもあります。

ともあれ、けっつまずいたのはこれで終わりとばかりに^^;、もう気持ちはルンルン気分で参っておりました。

                            

出雲の街へは思った以上に早く着き、日曜ということもあってか渋滞もなくスムーズでした。
写真は、お茶を買おうと立ち寄ったコンビニから写した弥山です。(ボンネット越しですみません)
まさに「雲」が「出」づる場所。
モクモクという表現さながらに次々と山に雲が掛かり流れて行きます。
山陰は、弁当忘れても傘忘れるな、という諺があるくらい雨が多いとも聞きます。
このお山の様子を見ていると、そんなことも思い出しました。
また、それと共に、今日これから始まる、年に一度の出雲大社の例大祭のため、神々がその麓の空気をあたかも清浄に
潤すために雲を湧かせているのかも、そんな風にも感じられました。

そう、昨日はこの例大祭に参列するために出雲へ参ったという次第です。
ここからがその本番の出来事となりますが、それはまた続き、ということにさせて下さいませ。
(別にもったいぶるんではなく、前述の如く長くなりますので^^;)

ということで、今回はこの辺りで。






 

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出雲へ参りました

2017-05-14 21:05:42 | お出かけ
こんばんは。
昨日申しておりましたが、今日は6時出発にて、出雲へ参りました。
その報告を致したいのですが、ちょいとくたびれた^^;。
帰宅すると19時を回っておりまして、今頃夕飯も終わったところ。

そんなわけで、詳細は明日また改めて書かせて頂きますね。
面白い?ことやら、なんでこんなこと?なことまで満載(ほんまか;?)でお送りしたいと思いますですよ^^v。
乞うご期待?!
                             

                            
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痛みと、そのケアとか

2017-05-13 15:44:05 | ケアの方法
こんにちは。
こちらは、朝方まで曇っておりましたが、その後段々と回復してきて、今は青空が広がっております。
しかし、全国的にはまだぐずついたお天気のようですね、皆さんお気をつけられますように。

                          

そんな今日ですが、明日はちょっと遠出の為、これまた少しのんびりしております。(結局いつもじゃん、と
 いう声、聞こえますが、確かに、ですね^^;)

昨年11月に、家のなかで何にもないのに滑ってしまい(どんくさい;)神殿に入る手前の場所で、あっと思う間もなく
左腕を下にしてその場へ倒れてしまいました。
手をつく暇もなかったので、全くのそのままの状態で倒れたわけで、今までに無いかなりの激痛が走りました。
咄嗟に、二日後の仕事のため、運転していかなくてはいけないけれど、まさか骨折してないよね?と思いながら
左手の平を、ニギニギしてみると・・・。
その瞬間、左腕の上腕部辺りから、「パキッ」という乾いた音が。
これ、よく骨折した人が自分だけが聞こえてる、その骨折とか筋が切れた時の音とからしいですね。
それでかどうか、ともかく相当に痛い;;。
ショックを受けると顔色が悪くなるとも聞くので、鏡を覗き込むと、ああ確かに土気色になってます。
こりゃぁ、ヤバイかもと思いながらも、家には自分ひとり。
折りしも日付は、3日の文化の日の夕方。
とてもどこかの病院へ行くことも出来ようはずも無く、その後帰宅した息子に経緯を話すと
「骨折しとるんじゃない?」と言いつつも、冷ややかな反応。
まぁ、馬鹿のことした母ちゃんを、仕方ないねぇといった目で見ておりました。

早速次の日に整形外科を受診し、イタイイタイを連発しながら服をようやっとのことで脱ぎ、レントゲン撮影をしました。
あがってきた写真を見た医師が、「ああ、これは大変ですよ、立派に折れてます、ほらここね」と何が立派なんだか
わかりませんが、その箇所を示してくれました。
これがそうかなぁ、と思えるような写真ですが、言われる様に2ミリほどの小さな筋が入っているようです。
それでも、「これから、まだ腫れて来ますからね、内出血も段々酷くなって、時間が経つとそれが手のほうへ下がってきます。
 動かしちゃ駄目ですよ、下手にすると、今度はボルト入れて固定しなくちゃいけなくなりますよ、最低でも二ヶ月かかりますよ」
と、ご丁寧且つ脅しとも取れる(自分にはですよ^^;)説明を受け、ハァァ、やっぱり骨折かぁ、と半ば諦めと、
その半分怪我の状況がわかって安心したのとの両方の思いをしながら、腕を吊ってもらって帰宅したのでした。

骨折というと、昔ギプスでガチガチに固定していたように思ったのですが(息子も3歳のとき、腕骨折でギプス、親子で何やってんだか;)
今回の自分の時は、腕を固定するのにそのようなことはなく、とにかく腕が動かないようにしておく処置だけでした。
しかし、これがやはりかえって良いのでしょうね。
確かに、ごく初期は動かしてはいけないし、どうにも出来ぬほど固定すべきですが、ギプスするような大掛かりでもなく
第一に、蒸れない。
季節が寒い時期だったのも幸いしましたが、かなり楽ではあったかと思います。
本来は、しばらくしてまた受診して下さいといわれておりましたが、この母ちゃんのこと、行っても経過観察じゃんね、と嘯いて
(このひねくれた性格;)結局その後は受診することはしませんでした。
おいおい、大丈夫なんか;??と非難されそうですが、書いた通りのあまのじゃくな自分。
ひと月くらい、否もう少し前から、段々とその吊っていたものも簡略化していき、12月半ばには完全に取り払い、もう大丈夫
だろう、と自分に高をくくり、運転も始めました。
先に書いたように、11月頭に伺う方を、この自分の状況でお待たせしておりましたので、これ以上はお待たせ出来ないと思い
そうしたものです。

ま、無謀っちゃ無謀なおバカな自分ではあります(当たり前か;)
運転するのに、どうしても左腕は使いますしね、ギアチェンジするだけで、かなり響きます;。
それでも、どうにかこうにか、いわば騙しだましそんな腕を使いつつ、今に至っておる次第です。
結局、今でもまだ痛みますし、疲れが出たりすると、更に辛いですね。
こうしてキーボード叩いてても、結構こたえておる始末。
だから、ちゃんと治療受けときなさいという声が聞こえております、今^^;。
反省しておりますです。

                          

手当てという言葉がありますね。
ひと様によく手を当てることがあるのですが、皆さんの痛いところや患部にそうさせて頂くと不思議と
温かくなってきた、痛みが取れたと言われたりします。
今、よく聞かれるレイキというものにあたるのでしょうけれど、こういうことがいわれる以前、自分自身が自覚しない頃から
こういうことは出来ていたようで、特に習ったということもありません。
ただ、その患部と思われる部分に手をかざすと、そこが磁石のN極とS極のように反発したり、或いはチリチリしたりします。
そういうところへ、ずっと手をかざしていると、ふっとその感覚が軽くなったりしてきます、それが大体そこがある程度
良くなったという合図のように感じております。
それで、お、これは自分で自分にしてみるべ、自分で自分に実験じゃ、とその痛みの酷いときにしてみたのですけれど。
う~ん、結論からいうと、あんまり出来ませんでした^^;。
している自分も痛いと感じるし、もちろん患部も痛いような、熱いような、で早々に止める羽目に;。
ま、それでも時折思い出しては、自分で自分に手を当てたりしていますよ。
一番効く?のは、温泉入って、まったりのんびりすること、ですかねぇ(って、サボりたいだけじゃんね^^;)
いつかお話した「佐藤式リンパケア」こちらで、もっと本格的に勉強すれば、より効くのかもしれませんね。
物事、なにごとも精進ですね。

                                                

と、そんな感じの今日でした。
明日はかなり早起きして、ちょっと行って参ります。
皆さん、佳い週末を。

                                                 


 
 
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月の神様

2017-05-12 17:37:24 | 神様等について
こんばんは。
今日は、仕事も休みで一日家に居たのですが、ちょっと疲れが出たのか、何もする気が起こらず。
ただただ、ボケーっと過ごしてました。
え、いつもそうだろ、って?
なんでわかるんでしょうね^^;。

                             

昨夜は、少し薄雲が出てきていましたが、それでも綺麗な満月が見えていました。
そういえば、ウエサク祭だったのでは?
「ウエサクとは、ウェーサク、べサック、バーサクなどとも呼ばれるヒマラヤ山中のウエサク渓谷で始まったブッダの記念祭です。
ウエサクは1999年、国連が認定した平和の祭典で、毎年5月の満月に世界中の人々がウエサクを祝うことを国連がサポートしているそうです。」
ちょっとググッて拝借してきましたが、そういうことなんですね。
日本では、京都の鞍馬寺がなされる、知ってる人は知っている有名なお祭のようですね。

神道では、月の神様は月読命(つくよみのみこと)一柱が、それであるとされてります。
ただ、この神様を御祭神としてお祀りしておられる神社は、全国でもあまりないようです。
主なところでは、皇大神宮別宮 月讀宮(こうたいじんぐうべつみや つくよみのみや)、皇大神宮別宮 月讀荒御魂宮(こうたいじんぐう
 つくよみあらみたまのみや)、豊受大神宮別宮 月夜見宮(とようけだいじんぐう つくよみのみや)松尾大社摂社 月読神社(まつお
 たいしゃせっしゃ つきよみじんじゃ)、月山神社(がっさんじんじゃ)等となっておられます。
(これらの神社もググらせて頂きました)

月は、誰でもいつでも見ることが出来るのに、何故日本ではこのように祀られている神社が少ないのか。
それは、天照大神が太陽神として表立っているのに対し、月は夜の世界をつかさどる、いわば陰の働きがあるとして、その働きを
示す神社も少ないのではないのか、とも云われているようです。
とはいえ、やはり太陽に次いで一番身近に感じ、地球の衛星でもある月、その神秘的な美しさは古からの人々の心を癒し慰めてきた
のではないでしょうか。
月に関すること、もう少しまた書いてみられればと思います。
                       
                         

そんな月夜も今朝は、こんなナミナミ雲の空に変わり、天気は夕方になって崩れてきました。
この後、かなりの雨量も予想されていますね。
九州地方では、既に相当な雨が降ったようで、被害が出ていないことを願うばかりです。
皆さんのお住まいの辺りは、如何でしょうか。
どうぞ、何事もあらぬことを祈っております。

                         


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