日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

夏が来れば思い出す?

2017-07-26 21:30:36 | 身体について
こんばんは。
夏というのに、カラッと晴れた空になかなかなりませんね。
暑くても湿度が低ければ、まだ過ごしやすいのですけれど、どうにもこの蒸し暑さには参ります。
そんな日の朝は、此方。
厚い雲の上にちょうどお日様が顔を覗かせたところだったようです。

                                   

そんな暑い暑いといいつつ、日々冷たいものを取り過ぎていたのか、朝からお腹がキリキリと痛くて、結局一日しかめっ面をして、ゴロゴロして
おりました、イカンです;。
生来、胃腸が弱い性質でして、冬もですがどうも夏場の方がお腹を冷やしてしまうのか、こんなことによくなります;。
そういえば、子供の頃、我が家には祖母が漬けた梅干と梅酒がありました。
普通は、その梅干の方を食べて夏場を乗り切るんでしょうけれど、自分の場合は何故か、この梅酒の中の梅そのものを取り出しては食べるのが好きで、
夏になると祖母にいい加減にしなさいと叱られつつも、その梅を幾つも取り出しては食べておりました。
案外、梅がよいということをわかってたのでしょうか。
それにしては、何も梅酒漬けのをわざわざ取り出さずとも、と自分でも思うのですけれど、今にして思えばどうやらあの独特の甘酸っぱさがすきだっ
たのかもしれません。
今はそんな梅も漬けてくれる人もなく、ならば自分でしてみればといわれそうですけれど、自分一人そんなに梅ばかりを、とも思いますしね;。
確かに家族の中で、梅酒の梅を食べてたのは自分だけだったようにも記憶しています(当たり前でしょうけれど;)


                                  

そんな小学生の頃、先に書いたように夏場になると体調を崩す子供でしたが、今思うと自分で自分に暗示をかけて、あそこへいけば絶対治るという
場所がありました。
それは田舎の伯母のところでした。
長い休みになるたびに、その伯母の家に一週間ほど自分達兄弟は遊びに行かせてもらっておりました。
今思えば、その伯母の家に一番最初に行った記憶は、先ほど梅酒を造ってくれていた祖母がまだ私が物心ついたかどうかの頃に、幼い自分の手を
引いてその伯母のところへ連れて行ってくれたことでした。
その当時は、バスを下りると一面田んぼが広がり、その中を歩いていくと従兄弟のお姉ちゃんやお兄ちゃんらが、ちょうど下校時刻頃だったので
しょうか、自転車に乗りながら、「おばあちゃーん!」と大声で呼びながら走ってくる光景を今でも覚えております。
あまりに古い記憶で、もしかすると自分の頭の中でかなり脚色してしまっているのかもしれませんが、何故かふいに蘇る、そんな景色でもあります。

その後、自分が小学三年になる直前の春休みに、実母が患っていた胃がんで早世したこともあり、不憫に思った父親や祖母が休み毎に、その伯母の
ところへ一週間程預けてくれたのだと思います。
これもまた今にして思うと自分を筆頭に弟二人、計三人の子供らを、伯母の所へも三人の子供、自分からいえば年上の従兄弟たちがいるにも関わらず
快く引き受けてくれていたものだと感謝の念が沸いてきます。

伯母の家の前には小川が流れ、夏はその中に入ってめだかやハヤと呼んでいた小魚を捕まえたり、畑になっている大きなきゅうりやトマトをもいで
きたり、井戸水で西瓜を冷やして食べてみたり、真っ黒になって遊んでいました。
冬は大きな雪だるまを作った覚えもあります。
春は近くの里山へ登ったり、晩ご飯のおかずになるほど土筆を取ってきたりしていました。
そんな風に、あそこへいけば、自分の大好きなお兄ちゃんやお姉ちゃん、それに伯母ちゃんも伯父ちゃんもいて楽しい、そう感じ、自然に囲まれた
中にいるだけで気持ちも心もリフレッシュされ、いつの間にか元気になっていたんだろうな、と感じております。
そんな夢のような一週間が終わり、自宅から父が迎えに来る頃はいつも寂しく感じ、気持ちは早や次の休みが来ないものかとそればかりを考えて
いたのでした。

まぁ、自己暗示を掛けては元気を回復させていた、そんな子供だったんでしょうね。
自然一杯な中での、ある意味、転地療養?だったのかもしれません。


                                


そうえいば、小学生らを対象にした各地でのキャンプ等の催しが何か法律に触れる?とかで相次いで中止せざるを得なくなったと少し前のニュース
で取り上げていましたね。
安全が担保出来ないのに云々だったかと思います。
確かに、自然の中では危険も沢山あります。
ですけれど、何でも危ないからと先回りしてさせないのではなく、ある程度は子供らの自由にさせながら自然の中で過ごさせるというのも、長い夏
休みの中では、貴重な体験となるのではとも思います。
最近は蝉取りもしない子の方が増えているのかもしれませんね。
先日申した危ない蟻や蜂なども身近に増えてきており、安易に外で遊べば、とも言い難くもなっているのはこれもまた否めない事実です。
それでも、やはり夏はその季節にしか出来ない体験を自分達でしてもらえればな、とその昔お転婆であったオバサンは思います。
子供らの声が響く季節、そんな夏であってほしい、そう感じます。

                                

自分のお腹イタから;こんな話に発展してしまいましたね。
ところで皆さんはどんな夏を過ごされたのでしょうか。
お子さんのおられる方は、そんな話をしてみられるのも楽しいのではないでしょうか。


今日もこのブログにお付き合い頂きましてありがとうございました。


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祇園祭とか

2017-07-25 21:41:04 | 神様等について
こんばんは。
一日のうちで、二回ほど雷雨に見舞われました。
これで少し涼しくなりかな、と考えましたが全くそのようなことはなく、むしろ蒸し暑さが増しただけのようです。
どうにも戻り梅雨という感がしないでもありません。
この雨、降ってほしいところには降らず、もういらないということろにはこれでもか的に降っておりますが、いい加減平均してほしい、そう思うこの頃です。
そんな日の朝はやはりこんな曇り空でした。

                                   


そんな憂鬱なお天気を吹き飛ばすかのような祇園祭の写真が京都の知り合いから届きました。

                                    

これは一昨年のものということですけれど、毎年このような山鉾といわれる提灯に火を灯して山鉾巡行というものがなされるとのこと。
京都の方は、コンチキチン♪という音が聞こえると、居ても立ってもいられないなどとよく聞きますがまさにそのようなお祭なのでしょうね。
それでも、盆地である京都の街が一番暑い盛りに行われるこのお祭、かなりの迫力ともうかがいます。
そのようなお祭、写真をお送り頂いたその方のお言葉をお借りしてご紹介させて頂くと

「祇園祭の混沌としているところが好きです。
 メイン通りを入り込んだ小さな道に山鉾が待機しています。
 西陣呉服関係の問屋のすぐ横に今風のビル、町の人たちの変わらないプライド、観光客のような顔をして中京のお高い敷居をこの時とばかりに上がらせ
 てもらい、宝物を拝見させてもらいます。
 宝物も混沌としています。
 京都の日本のものだけではなく、ヨーロッパへシルクロードや・・・一体何がいいのん?という感じです。
 結局のところ、京都人は新しもん好きで、しかも自分の京都はもちろん平安時代からの立派なところと思っているんでしょうね 」

と綴られておられましたけれど、京都に住まわれてご自身方の伝統、文化を誇りに思われながらも、ちょっとどこか突き放して感じておられる部分もおありなのかもしれません。
ですけれど、それだけの長い歴史を持つ祭や街は今は自分たち日本人のみならず、世界中の人々が訪れてみたいと感じられるのは、これは至極当然のことなのだと思います。
おそらく雅な雰囲気を醸し出しながらも、その熱気と共に古からの風流をも現在へと受け継がれておるのでしょう。
ただ、このように華やかに見える京都やその祇園祭もその歴史を紐解いてみると、
「神仏習合の時代から八坂神社が比叡山に属して祇園社と呼ばれていたことに由来しており、祇園社の祭神の牛頭天王が仏教の聖地である祇園精舎の守護神であるとされていたので、祇園神とも呼ばれ、神社名や周辺の地名も祇園となり、祭礼の名も祇園御霊会となったのである。」
と記されております。
つまりは最初は仏教とも相まって行われてきていたものが明治の時代の神仏分離令により、神社の名前も八坂神社とされた折に祭礼名も仏教色を排除するため「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」から「祇園祭」に変更されたとあります。
そして、この祇園祭、そもそもはその頃に流行った疫病や或いは死者の怨霊となった魂を鎮めるためのものであったとされておるようです。
祇園社の神輿渡御を中心に行われておったものに山鉾が伴うようになったのは、それがいつ頃からかは定かではないようです。
いずれにしても、千年以上の間、連綿として続けられてきたであろうお祭、歴史的にもその規模的にも壮大であるのには間違いありませんね。
機会があるなら、拝見してみたいものです。


                                   
 
そんな写真が送られてきた今朝、自分は野暮用にて;、横川あたりへ出掛けておりました。
こちらの写真は、いつかご紹介した三篠神社さんです。
帰りのバス停に行くまでの道すがらにありますので、ご神前にて手を合わさせて頂いて参りました。
此方の神社さんでは、先月うちで斎行致しました夏越の大祓いをこの二十八日に執り行われるようで、その幟も出しておられました。
何故ひと月ほどずらして行うのかのご説明を、前回こちらの宮司さんにお伺いさせて頂いたのですが、如何せんその理由を忘れてしまいました;、すみません;。
旧暦でいえば、この日は六月六日と今年はなっております。
つまりはまだ水無月であり、ある意味理に適った日付の頃といえるのかもしれません。
近隣の方々でまた賑わうお祭となられるのかもしれませんね。

ところで、先ほど手を合わさせて頂いたと申しましたが、その際頭の中に
「その方、二と八の日に参られい」
とかいうような?お言葉が入ってきたような気がしたのですけれど;。
御祭神には大国主大神も坐しますし、もしかして大神様に、ちょっとは顔を出せといわれたのでしょうか;。
そうであるかどうかわかりまねますが、時間が許せばそのように致してみたいとも思います。

                                 


もう一つ、ちょっと面白いことがありました。
行きのバスで信号待ちの際、ふと窓の外を見るとガラス張りの店舗がありました。
店舗というよりも入り口の扉にはダイアモンドのマークが描かれており、遠目でよくわかりませんが、どうも宝石の鑑定をされる事務所のように見受けられました。
その事務所の奥の棚の上には、どうやらどこかの神社さんの御神札が祀られておられました。
お仕事如何にかかわらず、きちんと祀られておられるんだなぁと思うと共に、事務所の方の横顔が拝見できましたので、こっち向いてください、とつい出来心で;そう念じてみました。
と、そう思った瞬間、前を向いて仕事されておられたその方が何か感じられたのか、ほんの一瞬此方を見られ、ちょっとだけ目が合ったように感じました。
バスの窓からですので、その方ご自身がおわかりになられたかはわかりませんし、直ぐに視線を戻されたのですが、なんだかテレパシー?が通じたようで面白いと思ったと同時にこんなことして遊んではいけません;な気持ちになったのでした。
いい大人がすることではありませんね、反省しております。

                                 

頂戴した写真から京都の祇園祭をほんの少しお伝えさせて頂きました。
雅なだけでは決してない、そんなお祭なのだと感じた次第です。

本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。



 ご相談等、承っております。
 
 kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。                                 
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汗をかこう

2017-07-24 21:29:52 | 身体について
こんばんは。
今日は一日曇り空でした。
まるで梅雨に戻ったみたいですが、こちらなどよりも東北は遥かに深刻な状況が続いているようですね。
早くこの事態が収束に向かってもらいたいと願うばかりです。
そうかと思うと、関東は未だに水不足のようですし。
日本全体で、平均に降るということ自体、今は少ないのでしょうか。
なんとも、この天候だけはいかんともし難いものがあります。
そんな日の朝は、このようにやはり曇っておりました。


                                  

さて毎日みたいに暑い暑いと書いておりますが、皆さん汗はかいておられるでしょうか。
何を馬鹿なことを聞くんだ、といわれそうですけれど、この夏場、または人生の中で(というと大げさなようですけれど)きちんと汗をかくことをしていないと、後々しんどいことになるようです。
これは片山洋次郎という方が著された「整体から見る気と身体」という本(筑摩書房)に書かれておるのですけれど、殊にリューマチの素因がある方等は
その方が汗をかくことにより炎症が収まり、関節が動くようになってくるといっておられます。
詳しくはその著書をご覧頂く方が、自分の拙い下手な解説より遥かにマシだと思うのですが、汗をかくことにより随分と改善されることもあるようで、これはすごいことなのではと感じます。
自分自身、以前にも申しましたが、せずともよい拒食症をしたせいか、若い頃は殆ど汗をかくということがありませんでした。
夏の盛り、うだるような暑さの中でも一人殆どというほど汗をかかない自分を見て、周りの人は暑くないのか、と怪訝そうにしておられましたが、実際その頃はさほど暑さを感じることもなく、いえ別に、と今思えば全く可愛げのない;返答をしていたのでした。
もっとも、その頃は今のように異常な暑さまでにはなりませんでしたので、それでも済んでいたのだと思います。
ですけれど、年々暑さもその度合いを増し、また自分自身が既に更年期を迎えると、これはものの見事に解消?されました。
つまりは、それまで全くというほど汗をかかなかったのが一転、なんにもしなくてもカァッと暑くなる、いわばホットフラッシュという更年期特有の暑さを感じるようになり、こうなると時もところも選ばず、首から上がワッと汗をかくようになりました。
よくお年を召したオバサマ(ええ、自分もその一人ですのよ;)が、冬場でも急にハンドバッグから扇子を取り出し、バタバタと扇ぎだすのは何故なんだろう?と若い時分には思っておりましたが、まさにそれこそ更年期の症状ともいえますね。
今は大分それもなくなってきましたが、身体全体で汗をかけるようになり、むしろ今はその方が自然になってきて、やはり汗をかく方が気持ちいいと感じるようになってきております。
この時期に夕方散歩に出掛けて戻ると、Tシャツの背中一面、汗をかいて帰ってきます。
どなたもそのようなのでしょうけれど、自分にしてみれば、これまではそのようなことは少なく、むしろ今は新鮮に感じておる位、汗をかけていない期間が長かったのだろうなとも感じております。

また先ほどの話にも関連しますが、この更年期にリューマチが出てくる方もおられるようで、しかしながらこの時期に汗をかけるようになると、リューマチそのものにもなりにくいようです。

                                  
                                  
汗をかくと後が気持ち悪いと感じる方もおられるようですが、汗をかくことにより体温調整をはかったり、上記のような病を未然に防ぐことにも繋がるわけですので、特にこの夏場には必要なことなのだと思います。
ただ、それもやはり過ぎれば、これもまた考えものですし、それこそ先日も申したように熱中症ということにもなりかねません。
適度な汗をかきつつも、これもまた適切な水分、ミネラルの補給などをして、今夏を乗り切りたいものですね。
その昔は、いくらきつくても特に野球選手などは水も飲まない、飲ませない練習をしていました。
さすがに現在はそのようなことはありませんが、汗をかいたらその分、というよりもかく前に飲めともいわれているようですし、若い方に限らず、殊にお年を召した方は積極的にミネラル等の入った水分補給等をしていただきたいものです。


                                  

なんだか、夏場を乗り切る健康法みたいなことになってしまいましたけれど、お互い十分に留意して今夏を過したいものです。


本日もこのブログにお付き合い頂きまして、有難うございました。



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思えば叶う

2017-07-23 22:12:19 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今日は、暑いは暑いでも、案外曇り空でしたので、そこまでがんがんに暑さは感じませんでしたね。
というより、これまでが暑すぎた?
とはいえ、今日は暦の上では大暑、これから八月七日の立秋を迎えるまでは一年で一番暑い時期といわれているようです。
その暑さもですけれど、先日九州で豪雨災害があり、まだ大変なころというのに、今度は秋田等の東北で同じような酷い被害が出ているようです。
何故、このように日本を地震や豪雨が襲うのか、なんとも心が痛む思いです。
早く収束してほしい、そう願います。

そんな今朝は、こんな感じのお日様、どことなく電柱にぶら下がっているようにも見えますね。

                                
                                 


最近、いえ前からそうなのかもしれませんけれど、思っていることは直に現実化するというのが、自分自身が感じていることです。
以前にも同じようなことを書いたかと思いますが、思ったり、或いはその思いを口にすることで、そのことが実際にそうなるということです。
しかも、その速度、感じる度合いが段々と早くなってきているように思います。
自分の場合は、良いにせよ悪いにせよ、何かの事について考えると、同時に頭の中でその事自体を映像化もしているように思います。
こうなればいいのに、ということばかりを考えていればいいのですけれど、どうも自分の場合、ともすれば、こうなるとどうしょう、とつい
悪い方へ考えてしまうことが多いようで、それも後で考えると、あれ、これってこんなことになると困るなと思ってたよな、ということが結構あるように感じます。
いけませんね;。
これもかなり以前の話ですけれど、自分が車を乗る際に、どうも事故りそうだな、と頭の片隅で考える時がありました。
その時は、今思うと、こうなったら嫌だとか大変だというその状況そのものを先取りするようにして、いわばシミュレーションするように頭の中でその事を作り出していたのでした。
つまり、車に乗るたびに、あれ、危ないな、どうかな、と自分で自分に無意識に自己暗示を掛けてしまい、結果的にはそのような現実そのものを自分で引き寄せていたように思います。
そうなった後で、ああやっぱり自分の思っていたようにアクシデントは起こるんだ、もしかして自分には予知能力があるのか?などとおかしな方向へ自分の考えを引っ張っていき、自分で自分のことを秘かに、これはすごいぞなどと自画自賛していたのでした。
はっきり言って、馬鹿です。
なんのことはない、そうなるように自分で自分を仕向けていたに過ぎません。
自分の思いを現実化しただけの事でした。
こんな例を挙げるときりがないくらい、出てきそうです。
                                 

そうかと思うと、良い方へ事を思っていると、それはやはりそのように叶うということも自分で感じております。
こちらは、また古い例を挙げてみると、自分でもどうかいな;な話なのですけれど、振り返ってみて面白いことでしたので、書いてみたいと思いす。
それこそ、結婚して間なしの頃のことですけれど、この頃から夏になると暑いねぇ、といいながらよく夜にあちこちをドライブしておりました。
そう、以前も申しましたが、何かにつけ夫婦で車に乗ってはフラフラしておったわけです;。(子供出来てからじゃなく、前からでした;)
そんな頃、よく行っていたのが、まだ広島空港が観音にあった頃、駐機している飛行機を見るのが何故だか面白く、元はといえば主人が乗り物全般
が何でも好きな性質だったようで、暑さにことかけては、毎晩のようにその辺りまでうろついていたのでした。
そんなある晩、いつもは飛行機を眺めては、特になにがあるわけでもなく帰るのですが、その時はふと自分が柵の向こうに停まっているその飛行機を見ながら、その柵にしがみついて
「飛行機、乗りたいーーーっ!!」
とまるで子供みたいに叫んでおりました。
まぁ、話はそれだけのことなのですけれど;。
その姿を隣で煙草を燻らせながら見ていた主人は、コイツ大丈夫か?と、呆れていたようでした。
しかし、そんな風にして叫んで後、それこそあんなバカなことをしていたのも忘れた頃に、急に仕事で飛行機に乗る仕事が舞い込みました。
その頃、お腹には息子がいたのですけれど、搭乗出来なくなる八ヶ月かもう少し前くらいまで、月に一度か二度の頻度で飛行機に乗っておりました。
後々、その頃の事を思うと、あの乗りたいーーっと叫んだ時は、心底自分がそう思っておりましたし(ふざけてなんてなかったんですよ、本気でした;)、ですけれど、一回だけそうした後はそんなこともコロッと忘れて日々を過ごしていたのでした。

思いを実現化するには、自分でそのことを現実のように思い描いて、そして次にはそのことを忘れること、そういわれます。
やがて、それは現実として自分の目の前に現れるとされています。
確かにそうだ、とそう感じております。

もう一つ、これも恥ずかしい話ではありますが、別の例を挙げてみます。
結婚する前、ある会社に就職し、その研修として一日だけ、その当時の所長と共に新幹線で本社へ出向きました。
中途採用ということで、研修といってもその本社をぐるりと見て回る程度で済み、夕方にはまた新幹線で広島へ戻って来ました。
その帰路の車内で、どうしたものか、本当ならば今日見て回ってきた本社のことに思いを馳せてもよかろうものを、車窓から景色を眺めながら、自分はひと様の役に立たせて頂ける者になりたい、必ずそうさせて頂きたい、そうなれる人間になりたい、と不思議なほどのこみ上げるような気持ちが沸いてきて、一人座ったそのシートで涙まで出てきていたのでした。
何故、その時にそのような心境になったのか自分でも不可解なほどですし、たまたま所長とは離れて座っていたので、そんな人目も憚らぬように泣いている自分を見られることも幸いにしてなく、結果的には良かったのですけれど、本当にどうしてそんな風に思ったのか今でもわかりません;。
その会社であっても社会貢献は出来るわけですし、そのように考える方がむしろ当然なのですが、その会社での自分ではなく、もっと大きな視点での自分の行いのようなものを、その時には感じていたように思います。
結局、その二年後には今の主人と知り合い結婚し、今の神主という仕事に就くことになったわけですから、もしかするとこの時の自分の心から湧き出たような思いが、引き寄せた結果だったのかもしれません。
ただし、これはあくまでも自分がそのように思ったまでの事ではありますが。


                                  

こう書いてきながら、案外自分で思いを現実化させてきていたんだと、今また感じております。
ただし、それには本気で、心底その事のみを思うこと、実現しないんじゃないかとかのマイナスな思いは一ミリも持たないこと、そうして思った後はそのことは一旦、心の中から忘れ去っておくこと、これが大事なのでは、とも思います。
反芻するようにして思い続けることも大事かもしれません、ですけれど、そうすると今度はそこへ色々な別の思いも付加価値?のようにしてくっつけることになってしまい、最初の純粋なこうしたい、こうありたい、の気持ちや姿からは少し離れてしまうのかもしれない、そうも思います。

思うことは、はっきり言って自由です、誰にも邪魔されません、第一お金も一切かかりません、なんせ自分の頭の中、或いは心の中の事なのですから。
ならば思いっきり、自分のなりたいような自分になりきってみること、それが一番なのでは、とも思います。

               
                                  

フフフ;、どうやら自分が文章を書くと最後はどうにも演説モード?になるのでしょうか;。
力説してますね、毎度ながらすみません。
それでも、こんなブログへのお付き合い、いつもありがとうございます。
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仕事のその先は

2017-07-22 21:27:32 | ものの見方 考え方
こんばんは。
寝苦しい晩でしたが、明けてもやはり暑い一日でした。
日中、いきなり雷がガラゴロと鳴り出して、すわっ雷雨か?!と期待したのですけれど、多少はポツパラ来たものの殆ど降る事もなく、むしろ蒸し暑さ
が増したような、そんな日となりました。
日が落ちて今の時間、また雲が出てきたようですが、さてこれで降ってくれるかどうか。
それでも朝は暑い始まりを思わせる、こんなお日様でしたよ。

                                 

世の中の仕事って、物を作っていく方面と、物ではない事に携わる方向と大まかにいえば、この二通りになるのではと考えます。
大概は、皆自分で何がしかに従事して、自分の求めるものを手に入れるがために仕事というものをしていると思います。
まずその一番が、なんといっても食べること、殆どの方がここ抜きにはできない部分だと思います。
自給自足だとしても、まず自分で畑を耕すなりして、物を作らねば自分の口には入りませんね。
食べることが出来て初めて、次のことを考えられるようになると思います。
ただ、ふと思うのですけれど、この「食べる」という行為そのものが自分たち自身がしなくてもよいとなると、どうなのでしょうか。
世界の大半が、この「食」そのものに大きな力を入れていると思うと、その部分がすっぽり抜けてしまうとすれば、これまでそこに注がれていたエネ
ルギーの大半、相当量なものが不必要となるということで、そう考えると一体どれほどの仕事量が減るのだろうかと思ってしまいます。

とはいえ、「食」を考えると、まず先ほど挙げたように、最初は種を植えることから始まるのではと思います。
家畜を育てるとしても、その家畜にも餌を与えなくてはいけません、そうなるとその餌、飼料そのものもまずは育てるところから始まります。
その飼料となるものは、まず種であり、これも今の社会の大きな産業の一部となっているようです(この部分は、ご存じのように結構色々あるようです
ので今回は割愛致します)
その次に、その育った飼料となる穀物等を刈り取る機械も必要となります。
ここで、餌そのものの周辺にもそれに付随する機械を作るという、一つの仕事、産業が必要になるのだと思います。
次に、その飼料を運ばねばなりませんね、そうするとそれを運搬するもの、車のようなものが必要となります。
これもまた、車という機械が必要であり、それを作る産業も発展してきているのは周知の事実です。
ですけれど、ただ作っても人に知られなければ、その餌も無駄になることもあるでしょうし、そうするとそこでこれを売るために宣伝もしなければなら
なくなります。
となると、ここでその飼料なりを売り込むセールスマンや、あるいは商業的に宣伝をするのに、何がしかの媒体を通じてコマーシャルをせねばならず、
その部分を担う人たちの手も借りねばなりません。
そうして、その飼料がやっと先に申した家畜のところに届いて、初めて彼らもその飼料、餌を口にすることが出来るのでは、と思います。
ここまではしかし、まだ自分達の食料となる前の段階ですので、本来はそれ以上にまだ様々な多岐に渡る事柄が複雑に入り組んでくるものと思います。

と、ここまでは、自分のオバカな頭を捻りながら、なんとなくこんなもんかなぁ、と考えてみたものです。
本来はこんなこととは全く違うことかもしれません、いえ違うと思います。
ですけれど、自分たちの口に入る食べ物一つ取ってみても、自分の元へ届くまでには相当な人々の仕事がその間には入り込んでおり、そのうちの一つ
が欠けても、決して上手くは運ばないだろうなと思えます。

                                  

食に限らず、何事に於いても、今目の前でこうして自分が文字を打って使っているパソコンにしても、その部品一つ欠けても当然使えないわけ
ですし、その部品一つを作る原材料を考えると、これはもうどこから考え始めたらよいのか検討も尽きません。
そのようにして考えると、世の中の、あるいはこの地球のどこか知らない人であったとしても、もしかすると今自分が使っている何がしかの製品やら
または食べ物は、その人たちがその原材料調達の行程の一部なり、製造過程なり、或いは生産そのものに携わっているのかもしれません。
地球の裏側のブラジルで採れたコーヒーを飲んでいたり、或いは、これは少し突飛な例かもしれませんけれど女性の貴女がしているネックレスのそのダイアモンドは、元はアフリカの鉱山で露天掘りをされたものが、今その胸に光っているのかもしれません。
自分の乗っている車でも、その一つ一つの部品、例えばネジ一個を取ってみても、元は世界のどこかで採れた石油から作られた製品かもしれません。

こんな風にして考えると、全く知らない人なのに、どこかで誰かが何かに携わっているように感じます。
全く関係ないようなのに、何かが関連している。
そう思うと、見知らぬ誰かが自分に何らかの形で関係しているようで、少し不思議な思いがすると共に、知らない自分に関連してくれて、どうも有り難う、とそんな風に思えてきたりもします。

                                 


本当は、全然別のことを書かせて頂こうと考えていたのですが、書いていくうちにこんな感じになってしまいました;。
ですけれど、知らないようでもどこかで誰かが、自分に関係してくれているのかもしれない、そう思えることはとても素敵な事に感じられた、今日の
ブログとなりました。


こんなブログへのお付き合い、本日もありがとうございました。


ご相談等、承っております。
 
 kimikimiblue13@gmail.com

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