日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

熱中症について

2017-07-21 21:51:22 | 身体について
こんばんは。
どうにも暑くて、どうなってるんでしょうね;。
山陰、北陸等はフェーン現象により軒並み35度以上の気温だったようです。
その昔、自分がまだ小学生頃、今日は30度になりました、とニュースで報道していたのを何故かよく覚えております。
その位、昔はそれほどまでには気温も上がらなかったということなんでしょうね。
少しだけ、そんな当時に戻りたい気分になります。
今朝は曇っておりましたが、じきにカンカン照りならぬガンガン照りになってきた一日でした。

                               

そんな暑い日の今日でしたが、よく自分でも熱中症について申しておりますが、以前救急車で運んでもらうほどの酷い状態になったことがありました。

                               

主人を介護していた頃のことで、今から10年とは申しませんが、それに近いくらいの以前の話です。
確か5月の31日だったと記憶しております、何故かというとまだその日付であるにもかかわらず、相当に暑い日だったので覚えていたのでした。
その日、自分は仕事の依頼者の方の車で、その方の案内して下さる場所まで出掛けておりました。
自宅から車で一時間半くらいでしょうか、初めのうちは相当にきつめのエアコンを車内で効かせて下さっていましたが、そこまで暑くないですし、
と提案してエアコンは切って走ってもらいました。
最初は車も結構な速度が出ておりますし、窓を開けて走れば、かえってその風が心地よく感じるくらいでした。
案内して下さった場所に着きましたが、外へ出るとかなりの暑さでした。
場所は、ある墓所で、そこでその依頼者さんのご先祖の方に、お伺いさせて頂くために参ったのでした。
伺う最中は、自分自身は烏帽子という神主の被っておるあの黒い帽子のようなものを頭に着けておりましたが、いつもそのお伺いの最中は不思議と
暑さや寒さは感じないでおります。
その時もそのように覚えておりますが、伺い終わると、途端に暑い!と感じるほどの陽射しを浴びておりました。
そこへ小一時間ほどもいたでしょうか、さすがに暑くて、車に戻るとエアコンを掛けて頂こうかと思いながらも、結局はそのまま次の場所へ移動した
ように思います。
時刻も昼近くだったかなと思います。
どこかでお昼は食べたのだと思うのですけれど、そこのところは何故か記憶がありません。
ともあれ、その後もあちこちへ移動して、参考になる場所を訪れて頂いていたように思います。
その頃からか、どうも頭が痛くなってきているのに気がついていました。
ですけれど、そのようなことを申してもと思い、全く平気な顔をして過ごしておりました。
一通り、回るべきところは周り、では帰りましょうか、と帰路についたのですけれど、来しなと違い、帰りはかなりの渋滞になっておりました。
申すごとく、窓は全開で走っておるのですが、なんせ殆ど前進しないようなノロノロとした渋滞で、普段ならものの10分で抜けるようなところを、
その時は、一時間経ってもさほど距離が進んでおりませんでした。
そのような状況ですので、窓は開けていても風は入って来ず、頭の痛みも増してきているようでした。
どうにも喉だけは潤したいと思い、どこかコンビニがあればお願いしますと言って、やっと見えてきたお店へ入り、お茶を買って車に戻りました。
ご依頼者の方は男性であり、暑さにも強いということがあるのかもしれません。
今更、エアコン掛けて下さいというのも、なんだかなとも感じていたのでした。
頭はますます痛みを増していましたが、それまで同様、そのようなことは口にもせず、主人がデイケアから戻るまでには自宅へ連れ帰って頂きました。

主人が戻ると、いつものようにまず主人にだけは先に食事の支度をして食べてもらうようにしておりました。
自分自身、どうにもしんどいなと思いつつも、これだけはしとかないとなと考えながら、なんとか食事もしてもらい、後はベッドに移して、一日の
最後となるヘルパーさんに手伝ってもらいながら、主人の下の世話をするだけとなっていました。
時間の関係上、そのヘルパーさんにお越しいただくのはいつも午後7時半と決めておりました。
それまでの間に、申したように食事を終えた主人をベッドへ移し、自分と息子はその後で食事をしていたのですが、その時ばかりは食欲も無く、頭痛
がするばかりで、ヘルパーさんが来られるまで、自分はゴロンと横になっていたように思います。
しばらくすると、いつものようにヘルパーさんが来られ、二人がかりで主人の世話をするのですが、その時ばかりはどうにも自分の身体がいうことを
ききませんでした。、
これじゃどうしようもない、せめて水を飲もうと一杯のコップの水を口に含んだ途端、吐き出してしまいました。
主人の世話をして下さっていたヘルパーさんもそのただならぬ様子に驚かれ、救急車を呼ぼうと機転を利かせて下さり、自分自身は何も出来ずに
救急車で病院へ搬送してもらいました。
普通は、その搬送する際に家族の同乗が必要らしいのですが、寝たきりの主人がいることですし、不安そうな息子に一応は託す感じで自分は運んで
もらったように思います。
病院へつき、診察を受けると、いともあっさりと熱中症と診断され、点滴の中に吐き気止めも入れてもらい、何時間か後には、まだ吐き気が続く
なら、と頓服の薬を出してもらい、帰宅したのでした。
次の日は町内の一斉清掃でしたが、さすがに前の晩、派手に救急車が我が家の前に停まったのはご近所さんもご承知でしたし、いいよ、いいいよ
休んでおきなさいと言って下さり、その日の主人の世話も、お越しになるヘルパーさんに頼んで午前中はゆっくりしていたと思います。

実は依頼して下さった方は、そんなヘルパーさんのお一人でして、後日その日のことを話すと、その方自身はやはり暑さ慣れはしているので、あの
日は暑かったけれど、それほどにも感じなかった、悪いことをしたとおっしゃっておられました。

                                 

そんなことを経験して、暑い時には無理をしないということを嫌というほど思い知った気がします。
暑さへの順応度合いは人によりそれぞれ違いますし、一概には言えないのでしょうけれど、やはり炎天下での作業等では適度な水分と塩分、ミネラル
補給が欠かせないものだと感じております。
自分のかかった熱中症はそこまで重症ではありませんでしたが、水すら飲めない、吐いてしまうということには自分自身がとても驚きました。
これ以上の重篤となられると、意識が朦朧とし、それを過ぎると意識混濁ともなるようです。
それ以上になると生命の危険も伴います。
その域を脱しても、今度は腎臓がやられてしまうこともあるとかで、それまでお元気であった方がいきなり透析しなければいけなくなるケースもある
ようです。
たかが熱中症と思わずに、先に申したごとく、適度な温度調整、水分塩分等の補給には十二分に注意して今夏をお過ごし下さい。


今日はちょっと話題を変えましたが、健康が何よりと感じます。
どうぞ体調管理に留意しながら素敵な夏、また夏休みとなられますように。


本日もこのブログへお付き合い頂きまして有難うございます。
感謝申し上げます。



ご相談等、承っております。
 
 kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
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何しに行ったの?

2017-07-20 22:17:21 | お出かけ
こんばんは。
なんと言っても、いや言わなくても暑いです;。
言うと余計暑くなるから言わないでくれ、という感じですけれどね;。
今朝は、朝早くから蝉も喧しく鳴いておりました。
朝日も久しぶりに雲なく見えておりましたよ。


                                 

このところ、というより最近ずっとなのですけれど、出かける際には公共機関を使っております。 
車を使わないので自分自身不便ですけれど、その分無駄な二酸化炭素を排出せぬ故、多少は地球に貢献?しておるのか?とも勝手に考えております
けども;。
とはいえ、バス待つ間も暑いこと;。
写真はそんなバス停から撮った写真。
これでもか的に入道雲がモクモクですね、夏本番、真っ盛りといった感じですね。


                                

ところで何しに出かけたのかというと、この写真を撮っているのはガラケーとお伝えしておりますが、そろそろスマホにした方が何かと便利かと思い、それも含めて出かけてきました。
別に近くのショップもあるわけですし、遠くまでいく必要もないのですが、その近くといっても車であればものの10分で行く所を、歩けば約小一時
間程も掛かり、ましてやこの炎天下、とてもではありませんが着くまでに熱中症になりそうで、ならばいっそのことバスで街中までとなった次第。
その行きのバスで、途中からしばらく会っていなかった叔母が乗ってきました。
どこへ行くのか尋ねると、知り合いのお見舞いに行くのだとか。
叔母自身、腰も曲がり、かなりしんどそうなのですが、まだこうしてバスに乗ってひと様の見舞いに行けるだけ多少は元気と言えるのかもしれません。
その叔母とも別々のバス停で別れ、自分は今度は路面電車に乗り換えました。
え、ショップって街に幾らでもあるじゃん、とこれまた言われそうですが、他の用事も一つところで済ませようとあるショッピングモールまで出掛けたわけでした。
さて、電車に乗ると座席は向かい合わせとなります。
ちょうど自分の斜め向かいに若いお母さんとお子さんが座っておられました。
そのお子さん、かわいいお嬢ちゃんなのですが、これまたいつかの赤ちゃんのようにロックオンされてしまいました;。
どうやら幼いお子さんの気を引く何かがあるのでしょうか;。
自分では、眉間に皺の寄ったこんな可愛げの無い;オバサンにどうして興味持ってくれるんだろう?と不思議なんですけれどね。
その可愛い彼女と座席のこちらとあちらで、特に彼女の方がチラチラと視線を送りますので、自分もつい目を合わせて口の端を上げてニコッという
顔をしておりました。
だんだん彼女は楽しくなってきたんでしょうね、こちらを見ながら最初ははにかんでいただけだったのが、そのうちにケラケラと笑い出したようで、
お母さんはその様子を見て、どうもすみませんと頭を下げられるのですが、悪いことをしているわけでもなく、結局はその彼女のご要望にお応え?
して自分が下りるまでお相手をさせて頂いておりました。
最後はこちらが下りる時には、ニコニコした顔でバイバイと手を振って見送ってくれました。
ほんの2、30分の出来事でしたが、楽しいひとときではありました。
和ませて頂いたのは、やはり自分の方だったようです。

肝心のスマホの方ですけれど、今日は一応話を聞かせてね、と言って最初に申しておりましたので、あれこれと機種やらプランやらを提示して貰い
、他も見てみますと言って、ちょっと保留にしておきました。
そこまで行っておきながら、一体なにしに行ったんだ?とこれまた言われそうですけれど;。
一度で決められない、優柔不断なオバサンでもあります、すみません;。

ところで今使っている携帯会社、実は20年以上、同じ会社で変わらず継続しております。
長いからといって取り立てて特典があるわけでもないのですけれど、今更他へ変更するのもな、という気がしておりまして。
最初は阪神大震災の少し前に、主人がやはり携帯があった方が便利だろうというので使いはじめたものです。
確かに、あのような災害時には非常に便利であり、あのような事があったがために、その利便性も世に知らしめられる結果となったのだろうと思い
ます。
その頃は、確か携帯とPHS、その前はピーピーとなるポケットベル、通称ポケベルでしたよね、確か。
そのもっと前は、町の公衆電話をテレフォンカードを使って話すという時代があったかと思います。
連絡一つ取るのにも、公衆電話を探して車で走るということも、営業をされていた方は多かったのではとも思います。
こう考えると、この20数年の間に、家の電話と公衆電話しか無かったものが、今では個人で小型のパソコンを持ち歩いている状況になっているわけ
ですから、相当な進化と言えるのだと感じます。
最近の若い方にしてみれば、現在のこの有り様が当たり前のことでしょうから、考えられないことだろうな、とも思います。
とつい、そんなことを考えてしまいました。

 
                                  

結局、目的のスマホ自体が保留案件となり、後は日常の細々とした買い物をついでにし、本屋さんを覗いて、いつも買いもせずに(すみません;)
図書館で借りて読む車の月刊誌を立ち読みし、その編集者の方々の軽妙洒脱ながらも読み手に物の本質を掴み取らせて貰える文章の書き方に毎度
ながらも敬服し、なんとなく車のことをわかったようなつもりで;、本棚の前から立ち退いたのでした。

全く何しに行ったんだか;。

それでも、そのモールに幾つもあるお店の一つで、お、これは散歩用にいいなという感じの帽子を、セールでもあり半額でゲットしてきました。
普段は化粧もしないオバサンのこと、せめて帽子被って日除けくらいはしとかねば、という思いもあってのことでした。

                                  
                                

帰りは、これまた電車とバスを乗り継いで帰るわけですが、その乗り換えのバス停で、今度はご近所の方と一緒になりました。
この方は市内の女子中、高校で英語を教えておられる先生で、青い目の方です。
とはいえ、こちらでご結婚し日本語もある意味、広島弁の達者な先生です。
先日腰が悪いと言われて、それこそ朝晩に借りておられる畑にお越しにならないなと思っていると、どうやらヘルニアになってしまわれたようで
つい先だって手術をし、なんとか歩けるようになりました、とおっしゃっておられたところでした。
今日はそんなわけで、これまでだと自転車で通っていたところを、こうしてしばらくはバス通勤になりそう、と言って帰られるところでした。
バスを下りてからは、道々、アメリカの現職大統領への思いを彼の視点から聞かせて頂いたりして、これもまた興味深いものでした。


と、そんなこんなで半日を過ごしてしまっておりました。
本当にもう、丸々オバサン全開な日ではありましたね。


どうにも日常生活、というよりも始まったばかりの夏休みの子供の日記のようなブログになってしまいました、いつものことながら申し訳ござい
ません。
そんなブログへのお付き合い、今日も有難うございました。
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雲見の滝

2017-07-19 21:03:44 | お出かけ
こんばんは。
どうやら中国地方、梅雨が明けたようですね。
朝はまだぐずついたような空でしたが、昼過ぎにかけてはその暑さもムシムシからジリジリという暑さに変わった気がします。
それにしても半端ない暑さ、南極の氷、一兆トン!?が海へと切り離されたと先日報じられていましたが、その大きさは三重県ほどだといいますね。
温暖化は違うとどこぞの大統領が言っておられますが、果たしてどうなのか、いずれにしても毎年のように気温が上昇しているのは間違いないよう
です。
そんなことを思いつつ、今朝の様子がこちら。
降っていたのかと思うような空でした。

                                  


さて昨日、飯石神社について少し書かせていただきましたが、その際此方へ参る折に、この道沿いにある「雲見の滝」と呼ばれる地元の滝に案内して
下さいました。
道路沿いからは、現在はその姿を見ることは出来ませんが、滝の落ちるような音は確認出来たように覚えております。
ですけれど、此処とて知らなければちょっと見落としてしまいそうな場所にあります。
それでも行ってみたいなと言う自分を快く案内して下さり、駐車場へ車を停めてその滝まで歩いてみました。
その昔は地元の人しか知らない場所ではありますし、それほど足元もよくなかったとのことでしたが、今はきちんと整備され歩きやすい遊歩道となって
おられます。
多少のアップダウンを繰り返しながら、さて15分から20分というところでしょうか。
季節が申したごとく晩秋の頃でしたし、水量もそれほど多いわけではありませんでしたが、落差20メートルほどだったでしょうか、とても清清しく
気持ちのよい滝でした。


                                   

あ~、とととっ;。
これですね、当然縦にして見ないといけない写真なのですけれど、実はこの写真撮った時と今写している方法が違うので、このブログの中でこれを
縦にする方法を探したのですが、よくわかりませんでして;。
ですので、後にやり方がわかりましたらば、これをごく普通に見えるように修正させて頂きます(当たり前ですけれど;)

ともあれ、この雲見と付いている名前の由来は、その昔、滝に住む龍が天に昇ろうと岩の上から空を見上げ、雲が通るのを待ちこがれていたという言い伝えからその名がつけられた、と地元の観光案内に出ておられます。
なるほど、この滝を見る場所からだと空を見上げても、それほど広くは見渡せません。
それが年月を経てこうなったのかは定かではありませんが、昼間でもどことなく日の光が遮られ、どことなくそのような龍が潜んでいたとしても不思議ではないような、そんな雰囲気のある処でした。
そんな滝ですが、ご案内頂いた方は、自分達が子供の頃は、よくこの滝つぼで泳いで遊んだもんだと言っておられました。
さすがに現在では、泳いだりは禁じられているようですけれど、この滝を眺めていつまでも此処に居たいなという思いを抱かせる場所でした。


                                  

すみません;。せっかくの雰囲気も台無しですけれど;。
此方も、訂正できるようでしたら、後日きちんとさせて頂きます。

道すがら、普段は見ることの出来ない景色を堪能しながら、だんだんと滝の音が近づいてくるのは面白い体験でした。
またこちら側から対岸に見える屏風岩というものは、その絶壁からして確かに此処なら龍が隠れるにはもってこいの場所といえるかも、と思わせる
ような佇まいでした。
それほど大きな滝ではありませんが、自然の息吹満載といった感じでありながら、割と手軽に行ける場所のように思えました。


これからの季節、お子さん方も夏休みに入られます、ちょっとしたドライブがてら涼を求めに此方を訪れてみられるのも如何かと思います。
ただし、この滝へ至るまでは先ほども申したように遊歩道となっておりますが、時節柄、様々な生物が歩く傍らに出てくるかもしれません。
また地面そのものも濡れている箇所もあるかもしれませんので、軽装でお越しになるにせよ足元だけはスニーカー等のしっかりとした履物にされ、サンダルのようなものは滑ったりすると危険ですので、お考えになられた方が良いかと思います(老婆心ながら;)


なんだか昨日から、この辺りの観光案内のようになってしまいましたが、まぁたまにはいいですね。
それほど遠くへ行かずとも素敵な場所は沢山あると思います。
リフレッシュしに、お出かけになってみてはどうでしょうか。
案外、あの岩の上から、龍が密かにこちらを覗き込んでいるかもしれませんよ。


今日も、こんなブログへお付き合い頂きましてありがとうございました。
感謝申し上げます。

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飯石神社

2017-07-18 22:05:51 | 神様等について
こんばんは。
このところ、どこと限らず大雨が降ったり、今日などは東京で雹が降ったりしたようですね。
日本列島、どこでなにがどうなってもおかしくない感じで、気をつけないといけないと改めて感じております。
そんな今朝は、雷と激しく降る雨の音で目が覚ました。
梅雨明けたんじゃない?とか申しておりましたが、まだそうでもないのかもしれませんね。 

                                 
                                  
しばらく神様から遠ざかって?おりましたので、今日は少し以前お訪ねさせて頂いた神社さんについて書かせて頂こうかと思います。


とはいえ、参らせて頂いたのはもう二年も前のこと。
季節は十一月くらいだったかと思います。
ご依頼者の方にお連れ頂いたので、もしそうでなければ、地図上では確認出来ても実際に参るとなると難しかったのではと感じます。
カーナビがあれば大丈夫でしょうけれど、その今時のカーナビにご縁のない車でして;、まぁ載ってなくはないのでしょうが、車を走らせる分には
難しかったのではと感じるような、そんな場所でした。

                                  

その場所とは島根県雲南市に在ります「飯石神社」という神社さんです。
今は雲南市となっておりますが、いわゆる平成の大合併前までは、このあたりは飯石郡と称されており、その名前の由来となった神社ともされてお
ります。
古くは出雲国風土記に飯石社、延喜式に飯石神社と記される式内社であるとのことで、その昔からある神社であり、それ故鳥居はありますが狛犬や
灯篭といったものは無く、社殿も非常に簡素といえるほどの造りであります。
ですが、境内に入ると、その空気はまさにご神域ともいえる雰囲気が感じられます。
境内の傍らを川が流れ、非常に清らかな感じを受けます。

こちらのご祭神とされる伊毘志都幣命(いいしつべのみこと)といわれる神様は、天照大神の御子・天穂日命(あめのほひのみこと)の御子神とも
されております。
つまりは、出雲大社国造家の祖先にあたる神様であられ出雲伊波比神とも称されます。
毎年十一月四日の年に一度の例祭は、その出雲大社より国造御参向の上執り行われます。
神社としては鄙びているという言い方は相応しくないのかもしれませんが、その御神格ともいうものは非常に高いといえるのかもしれません。

実際こちらへお参りさせて頂いた折には、その御神氣ともいえる様な、何ともいえぬ厳かな雰囲気でありながら、それと同時にこれもまた非常に
大らかな感じを受け取らせて頂きました。
普段は、地元の方も滅多にお越しにならないのではないかと感じるほど、人気(ひとけ)は全くありませんが、葉っぱの一枚落ちているでもなく、
おそらく毎日此方を清掃されておられるのだろうな、とも感じられました。 

また境内には、ご祭神であられる伊毘志都幣命が天降ったとされる磐石が御神体として祀られています。         


                                 

写真では上手く写せておりませんがこの石垣の内側に磐石があり、この前まで来ると、そこだけ空気が違うように感じられました。
その磐石の前にて、この神様、伊毘志都幣命のお言葉をお伺い致したのですけれど、先にも述べたように、なんとも大らかで次元の違う光に包まれ
ているような、そんな感じを受けました。
言葉を伺うというのは、自分の場合、その場所にて目を閉じておりますと頭の中にそこの神様なりがおっしゃる事がそのまま頭へ入ってくるという
のか、説明が難しいのですけれど、そのような感じで受け取っております。
この時は、常に眩い程の光に包まれながら、異次元に誘われているようでした。
言葉というのか、自分で思うのに神様がおっしゃるのか、何かを伝えてこられた時、自分の頭の中で言葉に置き換えるというのか翻訳するというの
か、ともかく自分自身が一番受け取りやすい形で、その事を受容しているといった感じなのだと思います。
ともあれ、その時にこの神様からそのオーラのような光のような言葉を受け取った後は、目を開けてもしばらくはボーッとした感じで、いつも以上
に浮遊感があったように思います。

                                 
                                 

この場所、車で走っておりましても、余程注意していないとわからないような場所にあります。
また、車を停める場所そのものもさして広くは無く、せいぜいが2、3台も停めれば一杯になるような、そんな場所です。

近くにお店があるわけでもありませんし、非常に静かで幾度も申しますように鄙びたところにある神社さんです。
ですけれど、その処は正に神坐す御神域であると思しき場所でもあります。


大勢の方に押し寄せてこられても、申すごとく場所がそれほど広くも無く派手なわけでは決してありませんけれど、何かを感じ取られる、そんな
場所のように思えます。
山懐に抱かれた人知れぬ神社、そんな処です。
                                  

                                 
                                  
今日は、以前参りました神社さんについて書かせて頂きました。
何かを感じ取られました方は、一度お越しになってみられては如何でしょうか。
夏には、喧しいほどの蝉時雨が迎えてくれるかもしれませんよ。


今日もこのブログにお付き合い頂きまして、有難うございました。
感謝申し上げます。


ご相談等、承っております。
 
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空を見上げながら

2017-07-17 21:39:57 | 
こんばんは。
日々、その日の最高気温を更新するような暑さですね。
朝方こそ曇っていますが、じきに雲が取れてきて夏の日射しになります。
そろそろ梅雨明けかと思うのですけれど。
そんな朝は、こんな風。
どんより感が漂っています。

                              
                               

世の中は三連休の方も多かったようで、ご近所でも普段はお越しになれない、ちょっと遠方の親戚の方とか、あるいは友人方と連れ立ってお出かけに
なられていたところもあったようです。
うちは相変わらず、取り立てて変わったこともなく、ご依頼のありましたご祈願等をさせて頂いておりました。
着物の上に衣装を付けると、それだけでもう汗だくだくな感じですけれど、そうも言っておられませんし気持ちだけでもシャキンとさせて頂きながら
祝詞奏上を致しました。(当たり前じゃろ、ですよね;)

                              

                          
                              

夕方は、いつものようにちょっと歩いてきたのですけれど、遠く東の空、県央辺りでしょうか、かなとこ雲と思しき雲が出ていました。
あの雲の下は、もしかするとかなりの雨?とも思いましたけれど、どうなんでしょうね。

                              



しかし、目を他に転じると夏空というよりも空が高く感じられ、どことなく秋の空を思わせるような雲もありました。
そう思うと、この自分の見えている空というのは、一体どのあたりまで見えているのでしょうね。
時間によっては、その空のはるか上空を飛行機が飛んでいく様を見て取れることもあります。
高度1万メートル付近と聞きますが、10キロということですね。
でも、10キロ向こうの物体を地上で視認出来るかというと、う~ん、どうなんだろうと思うのですけれど。
それでも、あ、飛行機だと気づくのは雲以外に障害となるものが空には無いからという単純な理由によるのかもしれませんね。
その飛行機、自分自身、遠視(今は老眼;)のせいか、ずいぶん遠くまで追いかけて見ることが出来ます。
遠く離れていく機体ですが、その機体も果たして自分の見ているこの位置からどの程度離れているんだろう、と毎回どうでもいいことに疑問を感じ
ております;。
つまりは、自分の視認出来る空の範囲自体、一体どれほどの広さが見えているんだろう、と思うのです。
これとて、昼間に見えている空ならば、数値で表される程の距離なのだろうとは考えられます。
いわゆる成層圏といわれてる範囲までの空を見ているからですね。
ですが、夜空となると、これまた話が変わってくるように思います。

                             

夜空となれば、当然昼間に見えていた青空ではなく、地球の外にある星々が見えてきます。
こうなると、その距離は近くても何光年、というように光の速さで数える単位の距離に変わってきます。
ですけれど、そのように遠い距離にも関わらず、飛行機よりも遥かに遠方にある星がともすれば、自分達の間近に感じられるのはとても不思議な気
がします。
手を伸ばせば触れられるとは申しませんが、場所によればかなり近くに感じられるのは、皆さんにも経験がある方もおられるのでは、とも思います。

それを言えば、夜に見る景色も、昼間に見えるそれと比べるとかなり近くに感じられますよね。
我が家は、割と高い場所にあるため下に広がる町が結構、見渡せます。
昼間はかなりの距離があると見た目にも、また頭でもそのように認識できるのですが、これが夜間になると途端に近くに感じてしまいます。
先ほど申したごとく遠視(老眼です;)のせいか、あれ、あの道どこだ?というくらいに灯りが道に沿って連なっているところが見えたりします。
おかしいな、あんな道あったっけ?とその時は思うのですが、昼間にそのように感じた場所を改めて見てみると、かなりの距離があることに気づか
されます。
よく夜に遠くにあるはずの島の明かりが、その時には近くに感じられるのと同じことなのかもしれませんね。

                             

そう考えると、明るい場所で見えている空や地上の距離も、夜になるとその空自体もが一層近くに感じられるようになるということなのでしょうか。
毎回取るに足らぬことばかりに思いを馳せている自分ですけれど、空を見上げる度に、何やらいつも空からの声無きメッセージを受け取らせて頂く
ようにも感じます。
夏と秋が同居したような、そんな空を眺めながら、まるで小学生のような疑問に自問自答しながら見入っていた空でした。

                             


三連休の終わりとはいえ、そろそろ子供たちは夏休みの始まる頃、どのような夏になるのでしょうね。
皆さんにとりまして、良き思い出に残るような夏になって頂ければ、と思います。

ますますオバサンの独り言の相を呈してきたブログとなってしまいましたね、毎回すみません;。
明日はちょっと路線を変えていってみようと思います。
今日もお付き合い頂きまして、ありがとうございました。


ご相談等、承っております。
 
 kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
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