その悲しみは
心を濡らした
原題 SHOOTING DOGS/BEYOND THE GATES
製作年度 2005年
製作国・地域 イギリス/ドイツ
上映時間 115分
脚本 デヴィッド・ウォルステンクロフト
監督 マイケル・ケイトン=ジョーンズ
出演 ジョン・ハート/ヒュー・ダンシー/クレア=ホープ・アシティ/ドミニク・ホルヴィッツ/ニコラ・ウォーカー
ルワンダのフツ族対ツチ族の抗争に端を発する大虐殺事件を題材にしたシリアスな社会派ドラマ。
『氷の微笑2』のマイケル・ケイトン=ジョーンズが監督を務め、ルワンダ事件の真実を白人の視点から描く。
海外青年協力隊の英語教師としてアフリカのルワンダへとやってきた英国人青年のジョー・コナー(ヒュー・ダンシー)は、クリストファー神父(ジョン・ハート)が運営する公立技術専門学校に赴任。おりしもルワンダでは、フツ族とツチ族との民族間対立が激化しており、フツ族出身の大統領が殺される事件をきっかけに、フツ族によるツチ族への虐殺が始まってしまう。国連治安維持軍が駐留していた学校には、ツチ族の人々が難を逃れて続々集結してくるが……。
昨日、夕方のラッシュにはまだ少し早い山手線の車内広告が私の目を釘付けにした。
”シニア海外ボランティア 募集"その横に
"海外青年協力隊 募集"不自然な笑顔の初老の男性と、明るい笑顔の女性の写真があった。
それで、先日の『闇の子供たち』の宮崎あおいちゃんを思い出し、『ラストキング・~』のマカヴォイくんの演じた青年医師を思い出し、
この書きかけのまま放置状態の記事に今、向き合っている。
94年のこの事件の報道を覚えている。正直に言うと(またか、、)といった思いもあった。
まだ子供が小さく、子育てと家事に明け暮れていた。・・・日本人で良かったと思った。
事件当時、英BBCのニュース取材記者として実際に虐殺の現場に立ち会ったデヴィッド・ベルトンが、
自らの経験を基に本作を共同脚本・製作し、またプロデューサーの一人でもあることで、かなり客観的ともいえる、ニュース映像のように撮られている印象。
舞台がルワンダであり、原題は「SHOOTING DOGS」とくれば、想像力を働かせればこの作品の主題の予測はつくのではないか。
なかなか手に取れなかった作品で、なかなか記事にも出来なかった。
この作品の主な登場人物は、アフリカ民族と白人、と書けない。
この作品の登場人物は、ツチ族とフツ族と、白人神父と、白人英語教師と、白人の国連治安維持軍。
そして村の家畜や野生化した犬たち。
同じアフリカの民族同士でありながら、血で血を洗う凄惨な大量虐殺。
この時は虐殺する側はフツ族であるけれども、こういう抗争を営々と繰り返し、
政権を取った側が、もう一方の民族を虐殺するという歴史をぬりかえてきたルワンダだった。
94年。発端は、フツ族出身の大統領が殺される事件。
クリストファー神父は不穏なものを感じるが、国連治安維持軍が駐留して居る限り最悪の事態は免れると期待を寄せていたし
青年教師ジョー・コナーに至っては、現実感に乏しく、虐殺自体を信じられずにいたようだし。
国連治安維持軍も、無線による交信で状況を把握するのみで、緊迫感は持ち合わせていまい。
なにしろ彼らは治安維持軍であり、虐殺の加害者であるフツ族に対して発砲を禁止されていたのだから。
武器を携帯している、装備している軍人の集団でありながら、戦わない国連治安維持軍なのだ。
彼らの銃は護身用なのだ。
ここで、正義感や憤怒に駆られて、虐殺されるツチ族を援ける為に発砲することは、
後にもっと大きな問題を引き起こす事になるだろう事は、国連は学習しているのだ。()
だがしかし、治安維持軍は発砲する。
ツチ族が屍となる前に、フツ族に向けてではない。
惨劇の後の衛生維持の為に――。
私たちはきっと、絶望という言葉の意味を、本当は知らないのだ。
この作品が、希望や善意を信じる、白人男性の目線で描かれていることの意味は大きい。
先進国と呼ばれる国にいて、平和を当たり前として生活している観客に最も近い
ヒュー・ダンシー演じる青年ジョーのジレンマが伝わってこよう。。彼の恐怖も絶望も。。。
「人はなぜ、異なるヒトを憎むの?」といったセリフが思い出される。
先日終了したドラマ「学校じゃ教えられない!」に出てきた、元はディズニーの「ノートルダムの鐘」の主人公のセリフ。
しかし、渦中の彼らフツ族やツチ族に、その答えはあるのだろうか、、、。
この年ルワンダで起きたジェノサイドでは、100日で100万人もの人が殺された。
私が観たニュースではそのほんのひとかけらの映像だった。
心を濡らした
原題 SHOOTING DOGS/BEYOND THE GATES
製作年度 2005年
製作国・地域 イギリス/ドイツ
上映時間 115分
脚本 デヴィッド・ウォルステンクロフト
監督 マイケル・ケイトン=ジョーンズ
出演 ジョン・ハート/ヒュー・ダンシー/クレア=ホープ・アシティ/ドミニク・ホルヴィッツ/ニコラ・ウォーカー
ルワンダのフツ族対ツチ族の抗争に端を発する大虐殺事件を題材にしたシリアスな社会派ドラマ。
『氷の微笑2』のマイケル・ケイトン=ジョーンズが監督を務め、ルワンダ事件の真実を白人の視点から描く。
海外青年協力隊の英語教師としてアフリカのルワンダへとやってきた英国人青年のジョー・コナー(ヒュー・ダンシー)は、クリストファー神父(ジョン・ハート)が運営する公立技術専門学校に赴任。おりしもルワンダでは、フツ族とツチ族との民族間対立が激化しており、フツ族出身の大統領が殺される事件をきっかけに、フツ族によるツチ族への虐殺が始まってしまう。国連治安維持軍が駐留していた学校には、ツチ族の人々が難を逃れて続々集結してくるが……。
昨日、夕方のラッシュにはまだ少し早い山手線の車内広告が私の目を釘付けにした。
”シニア海外ボランティア 募集"その横に
"海外青年協力隊 募集"不自然な笑顔の初老の男性と、明るい笑顔の女性の写真があった。
それで、先日の『闇の子供たち』の宮崎あおいちゃんを思い出し、『ラストキング・~』のマカヴォイくんの演じた青年医師を思い出し、
この書きかけのまま放置状態の記事に今、向き合っている。
94年のこの事件の報道を覚えている。正直に言うと(またか、、)といった思いもあった。
まだ子供が小さく、子育てと家事に明け暮れていた。・・・日本人で良かったと思った。
事件当時、英BBCのニュース取材記者として実際に虐殺の現場に立ち会ったデヴィッド・ベルトンが、
自らの経験を基に本作を共同脚本・製作し、またプロデューサーの一人でもあることで、かなり客観的ともいえる、ニュース映像のように撮られている印象。
舞台がルワンダであり、原題は「SHOOTING DOGS」とくれば、想像力を働かせればこの作品の主題の予測はつくのではないか。
なかなか手に取れなかった作品で、なかなか記事にも出来なかった。
この作品の主な登場人物は、アフリカ民族と白人、と書けない。
この作品の登場人物は、ツチ族とフツ族と、白人神父と、白人英語教師と、白人の国連治安維持軍。
そして村の家畜や野生化した犬たち。
同じアフリカの民族同士でありながら、血で血を洗う凄惨な大量虐殺。
この時は虐殺する側はフツ族であるけれども、こういう抗争を営々と繰り返し、
政権を取った側が、もう一方の民族を虐殺するという歴史をぬりかえてきたルワンダだった。
94年。発端は、フツ族出身の大統領が殺される事件。
クリストファー神父は不穏なものを感じるが、国連治安維持軍が駐留して居る限り最悪の事態は免れると期待を寄せていたし
青年教師ジョー・コナーに至っては、現実感に乏しく、虐殺自体を信じられずにいたようだし。
国連治安維持軍も、無線による交信で状況を把握するのみで、緊迫感は持ち合わせていまい。
なにしろ彼らは治安維持軍であり、虐殺の加害者であるフツ族に対して発砲を禁止されていたのだから。
武器を携帯している、装備している軍人の集団でありながら、戦わない国連治安維持軍なのだ。
彼らの銃は護身用なのだ。
ここで、正義感や憤怒に駆られて、虐殺されるツチ族を援ける為に発砲することは、
後にもっと大きな問題を引き起こす事になるだろう事は、国連は学習しているのだ。()
だがしかし、治安維持軍は発砲する。
ツチ族が屍となる前に、フツ族に向けてではない。
惨劇の後の衛生維持の為に――。
私たちはきっと、絶望という言葉の意味を、本当は知らないのだ。
この作品が、希望や善意を信じる、白人男性の目線で描かれていることの意味は大きい。
先進国と呼ばれる国にいて、平和を当たり前として生活している観客に最も近い
ヒュー・ダンシー演じる青年ジョーのジレンマが伝わってこよう。。彼の恐怖も絶望も。。。
「人はなぜ、異なるヒトを憎むの?」といったセリフが思い出される。
先日終了したドラマ「学校じゃ教えられない!」に出てきた、元はディズニーの「ノートルダムの鐘」の主人公のセリフ。
しかし、渦中の彼らフツ族やツチ族に、その答えはあるのだろうか、、、。
この年ルワンダで起きたジェノサイドでは、100日で100万人もの人が殺された。
私が観たニュースではそのほんのひとかけらの映像だった。