心を尽くし、思いを尽くし<、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。マタイの福音書22章37節
どんな人の心も深く探れば、人生の目的を切に求める思いがきっとある。
息をするのと同じくらい確実に、いつの日か、こう思うはずだ。 「私の人生の目的はいったい何だろう」 ある人は職業に、その意味を見いだそうとする。 「ぼくの目標は歯医者になることなんだ」 すばらしい仕事にはちがいないが、とうてい自分の存在の証(あかし)にはなりえない。
彼らは人間として存在することよりも、人間として何かをすることを選ぶ。 自分が何をしているかが、自分の存在を表すものなのだ。
その結果、彼らはすべきことをたくさん抱え込む。長時間働き続けるのは、仕事をしなければ自分の存在証明を得られないからだ。
また、何を持っているかで自分の存在を示す人もいる。彼らは新しい車や新しい家や新しい衣服に意味を見いだす。
こうした人たちは国の経済には貢献しても、家計は火の車になってしまう。常に自分の持ち物に意味を見つけようとしているからだ。(中略) ほかにも、スポーツや娯楽、新興宗教、セックスなどなど、さまざまなことに手を出す人々がいる。
すべては人生の目的という砂漠に現れる蜃気楼だというのに・・・・・。(中略)
ぼくたちは真実と向き合うべきではないか。神を認めなかったら、ぼくたちは宇宙に漂う塵芥(ちりあくた)にすぎないのだから。『グリップ・オブ・グレース』
マックス・ルケード 「みことばの宝石」より