人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

魂や死について、どのように考えておられますか?

2012年02月14日 | お気に入りの言葉

  荒野の泉2 カウマン夫人著より
  偉大な化学者であったマイケル・ファラデー卿に死が近づいていたとき、数人のジャーナリストたちが、
「魂や死について、どのように考えておられますか」と質問しました。
すると、「・・・・・・考えていますか。」という質問に驚いた化学者は、
「私は考えなど持っていません。確実なものを信頼しているのです。」と答えたそうです。

  テモテ第二1:12
  わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、
その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。

 私も死ぬ時には、確実なものを信頼して逝きたいと思う。


信仰なしには、人生の意味はない

2012年02月13日 | お気に入りの言葉

    マザー・テレサ 日々のことばより
   私は主を、御言葉のままに受け止めています。
信仰は神の贈り物です。
   信仰なしには、人生の意味はないでしょう。
私たちの働きが実り多く美しいものであるためには、
それらが信仰の上に築かれている必要があるのです。
愛と信仰は共にあるべきものです。
それらは互いに完成し合うのです。

   ヨハネによる福音6:28-29
  そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。
「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

   第 一コリント13:2
山を動かすほどの信仰があっても愛がなければむなしい

 
  「信仰なしには、人生の意味はない」
「信仰がない」ということは、神の存在を認めないこと。
神が無しに、人生の意味はないと思う。


 


自分の栄光(誉れ)を求める者 神の栄光を求め者

2012年02月12日 | 聖書

   ヨハネによる福音書7:18
 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。
しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。

 自分の栄光(誉れ)を求める者は、自分の知恵を語り、真実とは言い難い。
自分をお遣わしになった方(神)の栄光を求める者は真実な人である。
人の栄光を求めずに、神の栄光を求めるのがクリスチャン。


図書館おはなし会

2012年02月11日 | 日記

   図書館おはなし会
   今日は孫二人の子守に、おはなし会につれていった。
(赤碕分館で町内にお住まいのウェスリー・マーケットさんによる英語のおはなし会)
  英語によるお話、ゲーム、工作と工夫してやっておられた。
  二人の孫も最初は恥ずかしがっていたが、好きな工作では楽しそうにしていた。



琴浦町の文化財である、桐谷家住宅にて碁を打つ

2012年02月10日 | 日記

  今日は午後から碁を打ちに行った。
場所は琴浦町の文化財で、町民の交流場所となっている桐谷家住宅である。
この住宅は明治に建てられたということで築100年位といわれている。
もとは耳鼻科の医院で子供の頃はよく通ったものである。
玄関や待合室を見るとなつかしく当時を思い出す。
碁はりっぱな床の間で打った。


自分の行いで健康を害するな みずから罰を与えることはない 自分の体には責任を

2012年02月09日 | お気に入りの言葉

 シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日 鈴木秀子著より  
 自分の肉体は自分なのです
  私たちは自分の行いで健康を害してしまうことがあります。
 たとえば運動不足、過食や拒食、たばこやアルコール、麻薬中毒など、
自分の肉体を弱めてしまう行いです。
  これらは自分の行いが原因となって、みずから罰を与えているようなものです。
 また私たちは環境を汚染していますが、その結果、
いのちの法則を無視したことへの当然の報いを受けることになります。
   こうした事実に気がつけば、あなたは自分をもっと健康にする行動をとることができます。
あなたはもともと自分の肉体に責任を負っているのですから。
   
 ヨハネの手紙三 1:2
  愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、
健康であるようにと祈っています。

「自分の行いで健康を害する」とは、ある意味では小さな自殺といえると思う。

 

 


自分に示す態度には敏感 他人に示す態度には鈍感 弁護することには饒舌 擁護することには口下手

2012年02月07日 | お気に入りの言葉

  モタさんのいい人生をつくる一日一話 斎藤茂太著より
 人というもの
  他人が自分に示す態度には敏感。
自分が他人に示す態度には鈍感。
自分を弁護することには饒舌。
相手を擁護することには口下手。

 フィリピ信徒への手紙2:3-8
  何事も利己心や虚栄心からするのではなく、
へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
 互いにこのことを心がけなさい。
それはキリスト・イエスにもみられるものです。
 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

 


自分の声の質と調子に驚く 自分に意識を向ける、自分に気ずくこと

2012年02月07日 | お気に入りの言葉

  シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日 鈴木秀子著より  
 子供と一緒にいる時、どう話していますか
子供をよく育てようと願うあまり、子供の言動に全注意を注いでいませんか。
子供とよい人間関係を築くコツは、子供と一緒にいる時の自分の言動に、意識を向けてみることです。
「子供に自分の心を開いているだろうか」「自分の思う通りに子供を動かそうとやっきになっていないか」
「子供の心を自分に向けたいために、甘えに落ちこんではいないか」
自分の言葉に耳を傾けてみます。どんな調子で話していますか。
どんな質の声を出しているでしょうか。
どんな表情をしていると思いますか。
体の動作はどんなメッセージを伝えていると思いますか。
人間はいつも完璧ではいられません。
しかし不完全な言動であっても、それに「意識を向けていれば」、
つまり、「自分に気ずいていれば」、子供に害は及びません。


  最近の携帯電話は、会話を再生して聞くことができる。
再生して聞いてみると、自分がどんな調子で話しているか、
どんな質の声を出しているか良く分かる。
 この年になって、自分の声の質と調子に驚く。
あらためて自分の姿は分らぬものだと思う。
子供に対する言動など、もし録音してあって、後で聞いたら皆が驚くと思う。
自分に意識を向ける、自分に気ずくことは大切なことである。


金銭の要はこれを有益に消費するにあり

2012年02月06日 | お気に入りの言葉

  続一日一生 内村鑑三著 
 金銭の要はこれを有益に消費するにあり。
消費すべきものを蓄積すれば腐蝕(ふしょく)するはもちろんなり。
他物の腐蝕は、その物自身の腐蝕にとどまれども、金銭の腐蝕はひいて精神に及ぶ。
もし憂鬱的(ゆううつてき)思想を去らんと欲せば、
もし常に快活にして生命の真意を味わわんと欲せば、吾人は守銭奴を放棄し、
銭を捨て想を得るの道を講ぜざるべからず。(信十九・五一)

 テモテへの手紙1 6:7-12
   なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、
世を去るときは何も持って行くことができないからです。
食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。
金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。
その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。
金銭の欲は、すべての悪の根です。
金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、
さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。
しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。
正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。
信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。
命を得るために、あなたは神から召され、
多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。


優しい気持ちがないときは"言わぬが花" 愛の心から言う批判は人を成長させる

2012年02月05日 | お気に入りの言葉

  やさしさの愛につつまれて バレンタイン・デ・スーザ著より
 わたしたちはどのような気持ちで真実を伝えるでしょうか?
相手に真実を伝えるとき、じょうずに言う自信がないときは、
すぐに言わないで祈ってごらんなさい。
優しい気持ちがないときは"言わぬが花"がいいようです。
言ってしまって後悔するよりも・・・・・・・・。
愛の心から言う批判は人を成長させます。

  コロサイの信徒への手紙4:6
「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。」
 
 いくら真実でも伝え方には工夫を、どんな心で言うかが肝心。


気まぐれな流行によって魂の満足を得るか? 永遠の真理を啓示する聖書を読むか?

2012年02月04日 | お気に入りの言葉

    山頂めざして L・B・カウマン著より
   大部分の人々は、神の啓示の重要さを忘れ、
気まぐれな流行によって魂の満足を得、
自分の心を啓発しようとする。
しかし、私たちは聖書---巡礼者の道を照らす灯火であり、
キリスト者なる水夫を導く海図である聖書---
にすがりつくのである。

 テモテへの手紙二 3:15-17
  この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。

 気まぐれな流行によって魂の満足を得るのではなく、
永遠の真理を啓示する聖書を読もう。


愛はゆるすこと ゆるすことは忘れること 毎日、新しい人として素直な心で見ること 

2012年02月03日 | お気に入りの言葉

  神様は私たちと共にいる バレンタイン・デ・スーザ著より
  愛はゆるすことです。
ゆるすことは忘れることです。
一度まずい人間関係になっても、完全に、
次にはまったく何もなかったように忘れることです。
周囲の人を毎日、新しい人として素直な心で見ることです。
(to forgive and to forget)。
この愛がキリスト信者として、他の人と違う点です。
これがないなら信者とはいえません。
ゆるす愛がなければ、むなしい。

 マタイによる福音書18:21-22
 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、
何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」

 まずい人間関係になっても、完全に、
次にはまったく何もなかったように忘れること
毎日、新しい人として素直な心で見ること 
  イエスはとにかく徹底的に許しなさいと言われました。 


人の心は目に見えない 人を分け隔てしてはならない

2012年02月02日 | お気に入りの言葉

  神様は私たちと共にいる バレンタイン・デ・スーザ著より
  人の心には目に見えない部分がたくさんあります。
だから、簡単にあの人はこう、この人はこう、と結論を出すことはできません。
人を型にはめて見てしまったら、その人からの恵みが受け取れなくなってしまいます。
分隔てのない愛を持つようにしてください。

  ヤコブへの手紙2:1
 わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、
人を分け隔てしてはなりません。

 人の心は目に見えない部分がたくさんある。
あの人はこう、この人はこうと思ってしまったら、恵みが受け取れない。
 


すべての門が真珠 傷みなくして真珠はなし どんな不幸も贈物に

2012年02月01日 | お気に入りの言葉

 荒野の泉2 カウマン夫人著より
 すべての門が真珠である、というのです。
天上の生活に入る門は、すべて真珠を通ってというのです。
一体真珠とは何なのでしょうか。
それは、貝が傷つくところから始まるのです。
例えば、一粒の砂のようなものがその傷の中におしこめられたとすると、
貝は傷口を治そうとして必死になります。
やがて、傷口がふさがりすべてが完全に癒されると、
真珠が傷のところにできあがっているのです。
傷つけられることによって、貝の思いもよらない力が引き出され、
こうした方法でしか完成しない美しいものが造りあげられるのです。
傷つけられることなしに、真珠はありえないのです。・・・・・・・

   「すべての門が真珠であります」
どんな不幸も、失敗も、損失も神は変えられます。
また、どんな不幸も贈物に変える力を持っておられます。
イエス・キリストは犯罪人の辱めの印である十字架を、
神の愛のあらわれに変えてくださったのです。
しばしば、ペテロのように主を否む人を、
大胆な「岩」のような人にするのは、傷や痛みです。
「傷みなくして真珠はありません」
打ちのめされるような人生の経験は、
もっとも豊かな報いをもたらし得るのです。
「人生がその人をすり減らすか、磨きあげるかは、
その人が何によってできているか(生きているか)によってきまるものです」