今日は、琴浦町児童陸上競技大会が八橋小学校であり、
孫(4年生)が、出場するので応援に行って来た。
町内の小学校(赤碕、成美、以西、安田、八橋、浦安、東伯、古布庄)の4年生以上が
一同に会して行なわれる陸上競技大会である。
私も50年前に参加した記憶がある。
走っている時に、転んだ為、よく覚えている。
今、こうして孫の応援するようになった歳月を思うと感慨無量である。
山頂めざして L・B・カウマン著より
ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。
(箴言六・六)
大音楽家ルビンシテインは、かつてこう言った。
「もし私が一日練習をやめたならば、私がそれに気づく。
もし二日やめたならば、私の友人がそれに気づく。
もし三日やめたならば、大衆がそれに気づく」。
「練習をすることによって完全となる」とは、古くからある原則である。
私たちは信じ続け、祈り続け、みこころを行い続けなければならない。
技術のどのような分野においてであっても、もしだれかが練習を中止するならば、
どのような結果がもたされるか、それは私たちが知っている。
もし宗教の分野においても、私たちの日常生活におけると同程度に常識を働かすならば、
私たちは完成を目ざして進み続けなければならないということがわかるであろう。
谷間の泉 カウマン夫人著より
「わたしたちはどう祈ったらよいかわからない。」ロマ八ノ二十六
祈りの答えということほどクリスチャンの経験においてわたしたちを困惑させるものはない。
わたしたちが忍耐を祈るとき、わたしたちの父は極度までも
わたしたちに負担をかける人々を送りたもう。
それは艱難は忍耐を生ずるからである。
ヨハネによる福音書8:31-32.34
真理はあなたたちを自由にする
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
真理とは、福音(十字架、神の愛、復活)である。
自由とは、罪の奴隷、死からの解放。
人はすべて罪人、罪の奴隷である。
イエスの十字架を信ずる信仰により
罪の奴隷から解放され自由になれる。
聖く(きよく)なりますように。
私たちはだれでも、
聖くなる可能性を秘めているのです。
そして聖くなるための道は、祈りです。
山頂めざして L・B・カウマン著より
ヨハネによる福音書15:16
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、
また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。
神の驚くべきご計画
私たちの理解力を越えたご計画
死すべき人を
王なるおかたの仲間とする!
「私たちの内に働く力によって」
神の強大な力によって
変化はもたらされなければならないのだ。
「きよく傷のない」者となるために
私たちはその時から
神にあって選ばれた。
イエスが死なれ、
勝利のうちによみがえられたとき、
彼はその計画を完成された。
彼は罪から救うために死なれたのだ。
聖霊は来られた
信仰によって
私はここに奥義的な結合を見る。
愛において
神に結合されている人の魂!
あがなわれた魂は
崇敬の念に満たされて、御座の前に立つ。
彼の魂は、地上においてあがなわれた。
しかし、終極のホームは上なる天である。
V・E・H
山頂めざして L・B・カウマン著より
人にふりかかる最悪のわざわいは、揺りかごから墓場まで
自分の思いどうりにして暮らすということ、
ほしいものはなんでも与えられ、
また買うことができるということ、
そして、「私はこうしたいができない。
ああしたいがそれをしてはならい」と
言わざるを得ないはめに追い込まれることが
決してないということ、決して自己を否定することがなく、
決して働くことがなく、決して欠乏を感ずることがないということ、
である。このような人の魂は、大きな罪を犯すときのように、
非常な危険にさらされているのである。
チャールズ・キングズリ
きょうを生きる言葉 一日一篇 大宮薄・小塩トシ子・関正勝・深田未来生編より
あなたの家 あなたの心に 水野源三
あなたの家 あなたの心に
愛のみ足を向けられる
主イエス様をお迎えする
備えを急いでせよ
あなたの家 あなたの心に
愛のみ声で呼ばらるる
主イエス様をお迎えする
扉今すぐあけよ
あなたの家 あなたの心に
愛のまなざし向けられる
主イエス様をお迎えして
食事を共にせよ
あなたの家 あなたの心に
愛のみみうでのばされる
主イエス様をお迎えして
すべてのことをゆだねよ
谷間の泉 カウマン夫人著より
彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。ローマ四18
神はすばらしいことをしようとされるとき、
神は困難から始められます。
それがとてもすばらしいことであるときは、
神は不可能から始められます。
チャールズ・インウード牧師
山頂めざして L・B・カウマン著より
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ・・・・・。(ヘブル12:2)
あなた自身を見つめてはならない。
自我に支配されてはならない。
あなたは、自分自身の魂の絵を見つめることによっては、
自分自身を絶えず再生し続けることができるにすぎないのである。
イエスを見つめなさい。彼を見つめるならば、あなたは栄光から栄光へと変えられるであろう。
私たちのうちには、よいものは何もない。
しかし、彼のうちには、神のすべての栄光と聖潔とがあるのだ!。
還暦祝いの同窓会が三朝温泉の斉木別館であった。
約280人中、50人程度の出席であった。
すでに亡くなられた方も数人おられ、この場にいることに感謝。
先生方も3人出席され盛り上がる。
顔見知りだった人が、同窓生だったことが分りびっくり、
全然記憶になかった人(同じクラスにならなかった為)とたまたま隣席し、話がはずんだり
良い思い出となった。
久しぶりにビールを飲み酔い、泊って帰ってきた。
きょうを生きる言葉 一日一篇 大宮薄・小塩トシ子・関正勝・深田未来生編より
恐れるな
聖書という巨大なドームの中に、「恐れるな」というこの神の言葉がたえず響きわたる。
それは、いける神が恐怖と不安におののく者たちの傍らにい給い、彼らの友となり、
いかなる不安の中でも勇気と落ち着きを生みだす励ましの言葉を与え給うということを、
意味しているのではなかろうか。
神は、不安と恐れにおののく者たちがいる場所に、とくに好んで共にいて下さるのであろうか。
それとも、われわれは大変いかがわしい性急さで神を天のかなたへ押しやり、
その結果、不安におののく者が神に臨在に気づかないことになってしまったのであろうか。
マザー・テレサ 日々のことばより
「あなた方の心、魂、精神のすべてをあげて
主である神を愛しなさい」
これが、私たちの偉大な神の
お命じになったことです。
神は、決して不可能なことを
お命じになりません。
マルコによる福音書12:28 -31
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。
『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。
『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
今日は天気予報通りで一日中雨であった。
この雨を見越して昨日は、夏野菜の苗を少し植えた。
これからは、夏野菜の成長が楽しみである。
雑草も成長するので草刈も大変になる。