ウクライナ紛争を見て3年近くたつと、内政干渉は慎むべきだと思います。ウクライナ紛争は、アメリカの「よこしま」な内政干渉から始まったというのが、一番本質に近いでしょう。アメリカが内政干渉をしなければ、ウクライナ紛争は無かったと思います。ほぼ、イラク戦争(2003年)と同じ構造があります。イラクが弱かったからアメリカはイラクを叩き潰して勝ちました。ロシアはアメリカが考えたほど弱くなかったので、戦争が長引いています。
スラブ民族について過去に日記を書いたことがあります。スラブ民族は、ロシアから東ヨーロッパ、バルカン半島まで広く分布しています。スラブ民族の最初の発祥地は、現在のロシアのベルゴロド州を含めたベラルーシとウクライナの国境付近にあります。
ウイキペデイア【スラブ人】
元々は、バルト海の北の方に住んでいたようです。それが、ポリーシャ地方に移り住みやがてロシアから東ヨーロッパ、バルカンへと広がっていきました。バルト3国に住むバルト人とも近縁です。
ウイキペデイア【ポリーシャ】
東スラブ人が源流であり、ロシア・ウクライナ・ベラルーシは、ほぼ同族と言えます。
ウクライナ紛争は、同族相争う戦争であり見ていて悲しい気がします。
そしてロシアを憎しみ嫌うバルト3国もスラブ人の源流に近い民族だと知ると、なぜこの人たちが同族と近縁で憎み合ったり戦争したりするのだろう❓と不思議な気がします。
しかし、ヨーロッパ自体が全体的に戦争を始終やっています。そもそも戦争が好きなんでしょうね。ヨーロッパなどは、小さな国に分けれていがみ合っているケースが多いです。
我の強いすぐ戦争をするのが、あるいはコーカソイドと呼ばれる民族の特徴なのかもしれません。
ウイキペデイアの記述を読むと面白いですよ。
今のウクライナとロシア南部は、コサックと呼ばれる人々の居住地です。大体、ドニプロ川の東までですね。ロシア帝国に臣従したグループです。これが①【ロシア・コサック】 、ロシアの方は、ドン・コサックが中心です。 ウイキペデイア【コサック】から
②【ウクライナ・コサック】
ドニプロ川付近に住んでいたコサックは、16世紀初頭ポーランドが組織してザポリージャ・コサックとして南部防衛に当たらせます。その後、ポーランド・リトアニア共和国が成立しザポリージャ・コサックは、ポーランドに帰属していることが多いです。
コサックと言えば、全部同じだと思うでしょう?
生い立ちは様々な民族の集合体です。だからコサックと言う民族があるわけではありません。段々とウクライナやロシア南部に住む人々の集合体をコサックと呼ぶようになったと言うことです。
そして、ロシア・コサックとウクライナ・コサックが仲が悪い理由も、ここにあります。
ドン・コサックはロシア帝国に属しています。しばしばロシア帝国の尖兵として多くの戦いに従事しました。
当然、ロシアとポーランドの戦争もあります。
ポーランドの尖兵として戦いの先頭に立つのは、ザポリージャ・コサックです。
昔から戦ってきましたからドン・コサックとザポリージャ・コサックは、敵同士です。
大体、これを分けるのがドニプロ川です。どっちの勢力も長くは反対岸に勢力を築くことは出来ませんでした。
やがてザポリージャ・コサックの子孫たちはポーランドから独立しようとします。
1917年ロシア革命後、二つの国が独立します。
ごく大雑把に言うと西ウクライナのリビアを首都として1918年独立を宣言したのが「西ウクライナ人民共和国」です。しかしドニプロ川西岸の併合をもくろむポーランドとの戦争に敗れて1919年ポーランドに併合されます。
一方、首都キエフで「ウクライナ人民共和国」が成立します。以後、ゴタゴタと権力闘争があり良く分からないですが内戦状態に陥り、あとはウイキペデイアの記述を読んでください。
【ウクライナの歴史】から
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ここまで読んでくると、ウクライナのゴタゴタが分かると思います。ごちゃごちゃ勢力が入り乱れてなんだか良く分からないと思います。分からなくて普通です。分からないんですから。
独立後のウクライナが政権闘争に明け暮れていたのも、これが理由です。とにかくまとまりがなく、直ぐ権力闘争を始める地域性があります。だから、普通に考えるとウクライナ人と呼ばれるグループが政府を構成すること自体が間違いだと思います。上手くいくわけがありません。
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そしてポーランドに制圧されたグループ(リビウ派)は、独立闘争を組織します。
ウイキペデイア【ウクライナ民族主義者組織】
そこから派生した【ウクライナ蜂起軍】ウイキペデイア
そもそもテロと破壊工作を手段とする独立運動から発展した組織ですから、かなり色々な事をやっています。
一時は、ナチスドイツに協力しました。
ヴォルイーニとガリツイアに住むポーランド人に対する民族浄化(ジェノサイド)
ナチスドイツのホロコーストへの協力
この組織が、ソ連のスターリンがポーランドに西ウクライナを割譲させたためソ連に帰属することになりました。
このウクライナ蜂起軍の残党がソ連時代を生き延びて、現在の西ウクライナ過激民族主義になりました。
そして、アメリカの支援を受けて2014年、暴力クーデターでウクライナの政権を乗っ取りました。
これが、現在のキエフ政府です。
こうやって歴史を見てくると現在のキエフ政府が、今でいうウクライナ全体を代表するものではないことが理解できると思います。
この流れを見るならウクライナは、西ウクライナ・中央ウクライナ・東部=南部ウクライナに分かれます。あるいは違う国と言ってもいいかもしれません。
ウクライナ化と言う言葉も違っていて、「西ウクライナ化」の意味です。
だから東部や南部を差別して弾圧支配します。
このうちの西ウクライナの過激民族主義者と米CIAのつながりは歴史が古いです。1950年代からCIAが浸透したようです。その関係が延々と継続し、アメリカが主導した2014年暴力クーデターとして完結しました。
完結したという意味は、西ウクライナ過激民族主義者の長年の野望が一時的に達成されたと言うことです。
ロシアがネオナチと言うのは、この西ウクライナの過激民族主義者を指して言っています。
ロシアにすると南部と東部のウクライナ人を、西ウクライナのナチの手先から解放していることになるのです。
何故なら西ウクライナが、東部と南部のロシア支持の市民を差別して弾圧したからです。
ごく大雑把にこれがウクライナ紛争を取り巻く歴史的・国際政治的環境です。
新聞やテレビの解説と比べて、どう思いますか❓
※関連記事目次
「中立の視点で見るウクライナ紛争」の目次⑦
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/e/e2c67e9b59ec09731a1b86a632f91b27