現代社会での人とのつながりは、パソコン、スマホ、SNSなどで遠距離の人たちと繋がり、特に Facebook は一応匿名ではないこともあり、お互いの人格まである程度は分かり合えるツールとなっている。
俺きよかんは、ライヴハウスでのローカルなテリトリーや閉鎖的なコミュニティから飛び出し、路上における出来る限りの「見知らぬ人たち」にたいし、自分の歌の評価を厳しくしてもらうなかで、路上音源を youtube にアップし、その音源で全国の見知らぬ人たちを歌世界のお客さんとして活動している。
youtube では、この数年間で、ライヴハウスの歌好きな人たちの前にほとんど出ないきよかんが、全国で56,000人もの視聴者が「きよかん」という田舎の路上者の歌を聴いてくれたのが大きな励ましだ。
この視聴者の中には、6月、国道で拾ったカナダ・バンクーバーから来日したバックパッカー、トレヴァーさんが映したきよかんのリアル動画配信による彼の世界中の友人たちがいる。
食事をおごって、キャンプできる屋根付きの場所に連れて行っただけですが・・・
***** ***** *****
Maverick Wolfe
Thank you Very Much for helping our friend. You are a very kind soul, you are also a very talented Musician. Twelve hundred people were watching while you performed and took him to the place to eat.
(私たちの友人を助けてくれてありがとう。 あなたはとても親切な人です。あなたはまた非常に才能のあるミュージシャンです。 あなたが演奏している間に1200人が見守っていて、そして彼を食事の場所に連れて行きました。) (注) ガストですけどね…
<きよかんの返信>
I am a street musician in Akita City.
Today, I played two songs at the request of Trevor Daneliuk while I was singing on the street.
I found Trevor Daneliuk walking on the road when I returned home by car and took me to the park where there was a roof and a large bench in the park.
We old people commit the future to young people all over the world.
Trevor Daneliuk, who travels from Vancouver to Japan to hitchhike and travel, is one of the young people who make the future.
God speed
Blessed of Saint Christophoros.
***** ***** *****
そしてその youtube を聴いて声をかけてくれたのが、会ったこともない Facebook 友達。かなり遠いけど……佐藤シンさん(釧路)、皆川美保さん(石狩)に声をかけられて、電車・バイク・車で20回近く北海道をくまなく走った思い出の北の大地に行くことにした。
● 6月28日
気温29℃の秋田、J-200 2本、アンプ2個、スタンド・ケーブル・マイクなどを積んでそろそろ出発だ。
まずは、去年以来会っていない北秋田市鷹巣の旧友ヘルニアンの仕事場によって行く。
次は津軽の友人、おとちゃと仕事を抜けてきた中村さんと道の駅なみおか「アップルヒル」で待ち合わせ。中村さんから高い弦らしい2セットをプレゼントされた。
小型の青函フェリーで函館へ。
ちなみに津軽海峡フェリーは何倍も大きく設備も充実しているが料金も高い。
到着して一服してからは、深夜の函館市内を徘徊。
新選組関連の場所には、何回も来てほとんど訪ねていたのだが、土方歳三最後の地にはいっていなかったので、怪しげに市内をうろつくことになった。
函館戦争で唯一といっていい負け知らずの土方隊(新選組ではない)は、松前藩領内から攻めてきた新政府軍とゲリラ戦、塹壕戦を繰り返し、函館に戻れとの命令で退却し、この一本木関門の通りを馬で戦闘中撃たれて死亡した。薩長軍に降伏し命を永らえた蝦夷共和国幹部だが、土方は唯一の幹部の戦死者だ。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」は、あまりにも土方を美化しすぎなのだが、幕末、それぞれの環境で敵味方に分かれ、動乱を命がけで駆け抜けた若者たちに思いを馳せる。
その中では、前半の新選組における冷酷非情な土方から、この函館での部下たちへの温情あふれる土方への変貌に興味が増す。
当時、戊辰戦争での刀による殺し合いとそして、近代銃砲戦における最も傑出した戦闘司令官が土方歳三だと思う。
● 6月29日
さて、そんなこんなで夜が明け、朝早く函館で東京から北海道新幹線できた新宿のミナミさんを迎えていよいよ釧路へ向けて出発だ。
秋田から東京ほどの距離を道央道・道東道の高速道だけで一気に走りぬく。
通勤時間帯での五稜郭では、まだまだ元気いっぱいなミナミさん、。
この後、彼女を苦しめる苦行が待ち受けているとは知らずに・・・
そして釧路までは」一切の写真が無い旅だ。
写真を撮るどころではない車酔いのミナミさんの苦しみを横目で見ながら、釧路に向けてひたすら激走。
外は1日中小雨が降っていて、道路は霧で見通しが悪い。
夕方、ようやく釧路に到着。
まずは、ほとんどぐったりとして動けなかったミナミさんが、路上で吐く背中をさすることが停車して最初の仕事だった。
ライヴ会場の「ミミズクの時間」に到着。
会場は、ストーブが赤々と燃えている。
青森では30℃近かった気温が、ここでは11℃だという。
うん、釧路に来たという実感が半端ない。
招待してくれた「佐藤シン」さん🎵
優しい声の清冽な歌声が静かに、強く弱く響き渡る。
5分前まで控室で倒れていた「新宿のミナミ」さん🎵
強烈なミュージシャン・シップで、今日1日何も食べていないハンディをものともせず、相変わらずの全力プレイだ。
きよかんは、相変わらずいつもの通り🎵
会場を提供してくれた家主さん。
● 6月30日
ホテルに迎えて今日の会場、帯広に向かう。
当初は、阿寒湖あたりを観光する予定を立てていたが、ミナミさんの再びの車酔いで帯広直行。
到着したキレイな帯広駅前には繁華街が無い。
お堅い銀行などのビル以外何も見当たらない。
駅前を歩いていた学生に聴いてようやく見つけたのが「ふじもり」。
車を降りたら回復したミナミさんと海鮮系を食べる。
目指す「ギャラリー光影」は、大きなアーケード街にあった。
時間までかなりあるので路上者の二人はムズムズし、会場ののスタッフから許可をもらい、アーケード路上でのきよかんの拓郎まつりとミナミさん🎵
いよいよライヴが始まりました。
初めて会った東京の湖春さんは、この会場のセッティングをすべて行ってくれた。
彼女の心の中を日常的でシンプルな言葉で表現する、独特な歌の世界🎵
本調子を取り戻したミナミさん🎵
彼女の知らないオリジナルにアドリブでお邪魔する。
きよかん🎵
佐藤シンさん🎵
ミナミさんがハープでセッション🎵
実はきよかんよりもはるかにハープが上手いのだ。
シンさんにギターとギターパーカスで参加🎵
近くの屋台で打ち上げで盛り上がる。
● 7月1日
迎えに行ったホテルでは元気なのですが、乗って動いたとたん、車酔いのミナミさん。
天気はやはり霧。
山の中を走っていると、占冠の霧の中に変な建物がぼんやりと見え隠れする。
バベルの塔?
札幌まではあっという間で、途中から天気はようやくあがった。
北海道初めてのお日様だ。
ミナミさんは東京に帰るし、きよかんは翌日に石狩市でライヴがあるので、帯広からそんなに遠くはない札幌で別行動になる。
「お疲れさん、またどこかで会おうねー」と別れながら、ホテルでうつらうつらしているとミナミさんから電話が。
「パチンコで大勝ちしたから夕ご飯奢るから出ておいで。」に誘われて、札幌ラーメン(豪華版)をご馳走になりご機嫌で再会を約す💓
● 7月2日
朝はゆっくりとホテルで疲れをとってから、最後のライヴのために石狩市に向かう。
何度もバイクで走った国道231号線。
このままひたすら日本海側を北上すると稚内、日本最北端に行きつく。
閑散とした道で北海道の大地を感じたいバイクツーリングは、内陸の富良野他の観光地ではなく何もないこの道を北上する。
グーグルアース(ストリートビュー)で確認していた「カフェ カミルレ」は簡単に見つかった。
呼んでくれた美保さんに声をかけ、挨拶をしてさっそく簡単な機材を降ろすが、会場の状態から結局ギターを小さなアンプで出して、あとは生声で唄うことにした。
素敵な看板を出してくれました。
会いたかったスージー
触らせてくれなかったニャン。
タコシャブで打ち上げ。
美保さんには、本当にお世話になり、ライヴも真摯に聴いていただくお客さんで感謝ばかりです。
時間が無くてお客さんとの交流は出来なかったのですが、特に「永遠の15ちゃい」さんと話ができたのが印象に残っています。
● 7月3日
最終日、美保さんの案内で石狩で一番という日本海の景色を見に行き、いろいろなよもやま話をしながらそこで別れを告げることに。
ツーショットも取らせてもらったが、大事なモノなので誰にも見せない。
美保さんが持たせてくれたおにぎり弁当、うまかったぁー。
函館では、時間が無くて、近くの大きくて豪華な津軽海峡フェリーに間に合ったがお高い。
● 7月4日夜明け前、自宅到着。
※ 予定通りギター・ベースを売った10万円をキッチリ使い果たしましたが、何といっても海峡を渡るフェリーで往復4万円は負担が大きいので、次回は・・・(次回を考えている~少なくてもメンテしたスズキのギターがある石狩「カミルレ」までは行きたい)・・・フェリーが安いバイクや、車で新幹線新青森駅まで行って車を置いて、函館まで北海道新幹線、札幌まで特急で行こうと思う。
今回のミニツアーでお世話になったすべての方々には、心より感謝を申し上げます<(_ _)>
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俺きよかんは、ライヴハウスでのローカルなテリトリーや閉鎖的なコミュニティから飛び出し、路上における出来る限りの「見知らぬ人たち」にたいし、自分の歌の評価を厳しくしてもらうなかで、路上音源を youtube にアップし、その音源で全国の見知らぬ人たちを歌世界のお客さんとして活動している。
youtube では、この数年間で、ライヴハウスの歌好きな人たちの前にほとんど出ないきよかんが、全国で56,000人もの視聴者が「きよかん」という田舎の路上者の歌を聴いてくれたのが大きな励ましだ。
この視聴者の中には、6月、国道で拾ったカナダ・バンクーバーから来日したバックパッカー、トレヴァーさんが映したきよかんのリアル動画配信による彼の世界中の友人たちがいる。
食事をおごって、キャンプできる屋根付きの場所に連れて行っただけですが・・・
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Maverick Wolfe
Thank you Very Much for helping our friend. You are a very kind soul, you are also a very talented Musician. Twelve hundred people were watching while you performed and took him to the place to eat.
(私たちの友人を助けてくれてありがとう。 あなたはとても親切な人です。あなたはまた非常に才能のあるミュージシャンです。 あなたが演奏している間に1200人が見守っていて、そして彼を食事の場所に連れて行きました。) (注) ガストですけどね…
<きよかんの返信>
I am a street musician in Akita City.
Today, I played two songs at the request of Trevor Daneliuk while I was singing on the street.
I found Trevor Daneliuk walking on the road when I returned home by car and took me to the park where there was a roof and a large bench in the park.
We old people commit the future to young people all over the world.
Trevor Daneliuk, who travels from Vancouver to Japan to hitchhike and travel, is one of the young people who make the future.
God speed
Blessed of Saint Christophoros.
***** ***** *****
そしてその youtube を聴いて声をかけてくれたのが、会ったこともない Facebook 友達。かなり遠いけど……佐藤シンさん(釧路)、皆川美保さん(石狩)に声をかけられて、電車・バイク・車で20回近く北海道をくまなく走った思い出の北の大地に行くことにした。
● 6月28日
気温29℃の秋田、J-200 2本、アンプ2個、スタンド・ケーブル・マイクなどを積んでそろそろ出発だ。
まずは、去年以来会っていない北秋田市鷹巣の旧友ヘルニアンの仕事場によって行く。
次は津軽の友人、おとちゃと仕事を抜けてきた中村さんと道の駅なみおか「アップルヒル」で待ち合わせ。中村さんから高い弦らしい2セットをプレゼントされた。
小型の青函フェリーで函館へ。
ちなみに津軽海峡フェリーは何倍も大きく設備も充実しているが料金も高い。
到着して一服してからは、深夜の函館市内を徘徊。
新選組関連の場所には、何回も来てほとんど訪ねていたのだが、土方歳三最後の地にはいっていなかったので、怪しげに市内をうろつくことになった。
函館戦争で唯一といっていい負け知らずの土方隊(新選組ではない)は、松前藩領内から攻めてきた新政府軍とゲリラ戦、塹壕戦を繰り返し、函館に戻れとの命令で退却し、この一本木関門の通りを馬で戦闘中撃たれて死亡した。薩長軍に降伏し命を永らえた蝦夷共和国幹部だが、土方は唯一の幹部の戦死者だ。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」は、あまりにも土方を美化しすぎなのだが、幕末、それぞれの環境で敵味方に分かれ、動乱を命がけで駆け抜けた若者たちに思いを馳せる。
その中では、前半の新選組における冷酷非情な土方から、この函館での部下たちへの温情あふれる土方への変貌に興味が増す。
当時、戊辰戦争での刀による殺し合いとそして、近代銃砲戦における最も傑出した戦闘司令官が土方歳三だと思う。
● 6月29日
さて、そんなこんなで夜が明け、朝早く函館で東京から北海道新幹線できた新宿のミナミさんを迎えていよいよ釧路へ向けて出発だ。
秋田から東京ほどの距離を道央道・道東道の高速道だけで一気に走りぬく。
通勤時間帯での五稜郭では、まだまだ元気いっぱいなミナミさん、。
この後、彼女を苦しめる苦行が待ち受けているとは知らずに・・・
そして釧路までは」一切の写真が無い旅だ。
写真を撮るどころではない車酔いのミナミさんの苦しみを横目で見ながら、釧路に向けてひたすら激走。
外は1日中小雨が降っていて、道路は霧で見通しが悪い。
夕方、ようやく釧路に到着。
まずは、ほとんどぐったりとして動けなかったミナミさんが、路上で吐く背中をさすることが停車して最初の仕事だった。
ライヴ会場の「ミミズクの時間」に到着。
会場は、ストーブが赤々と燃えている。
青森では30℃近かった気温が、ここでは11℃だという。
うん、釧路に来たという実感が半端ない。
招待してくれた「佐藤シン」さん🎵
優しい声の清冽な歌声が静かに、強く弱く響き渡る。
5分前まで控室で倒れていた「新宿のミナミ」さん🎵
強烈なミュージシャン・シップで、今日1日何も食べていないハンディをものともせず、相変わらずの全力プレイだ。
きよかんは、相変わらずいつもの通り🎵
会場を提供してくれた家主さん。
● 6月30日
ホテルに迎えて今日の会場、帯広に向かう。
当初は、阿寒湖あたりを観光する予定を立てていたが、ミナミさんの再びの車酔いで帯広直行。
到着したキレイな帯広駅前には繁華街が無い。
お堅い銀行などのビル以外何も見当たらない。
駅前を歩いていた学生に聴いてようやく見つけたのが「ふじもり」。
車を降りたら回復したミナミさんと海鮮系を食べる。
目指す「ギャラリー光影」は、大きなアーケード街にあった。
時間までかなりあるので路上者の二人はムズムズし、会場ののスタッフから許可をもらい、アーケード路上でのきよかんの拓郎まつりとミナミさん🎵
いよいよライヴが始まりました。
初めて会った東京の湖春さんは、この会場のセッティングをすべて行ってくれた。
彼女の心の中を日常的でシンプルな言葉で表現する、独特な歌の世界🎵
本調子を取り戻したミナミさん🎵
彼女の知らないオリジナルにアドリブでお邪魔する。
きよかん🎵
佐藤シンさん🎵
ミナミさんがハープでセッション🎵
実はきよかんよりもはるかにハープが上手いのだ。
シンさんにギターとギターパーカスで参加🎵
近くの屋台で打ち上げで盛り上がる。
● 7月1日
迎えに行ったホテルでは元気なのですが、乗って動いたとたん、車酔いのミナミさん。
天気はやはり霧。
山の中を走っていると、占冠の霧の中に変な建物がぼんやりと見え隠れする。
バベルの塔?
札幌まではあっという間で、途中から天気はようやくあがった。
北海道初めてのお日様だ。
ミナミさんは東京に帰るし、きよかんは翌日に石狩市でライヴがあるので、帯広からそんなに遠くはない札幌で別行動になる。
「お疲れさん、またどこかで会おうねー」と別れながら、ホテルでうつらうつらしているとミナミさんから電話が。
「パチンコで大勝ちしたから夕ご飯奢るから出ておいで。」に誘われて、札幌ラーメン(豪華版)をご馳走になりご機嫌で再会を約す💓
● 7月2日
朝はゆっくりとホテルで疲れをとってから、最後のライヴのために石狩市に向かう。
何度もバイクで走った国道231号線。
このままひたすら日本海側を北上すると稚内、日本最北端に行きつく。
閑散とした道で北海道の大地を感じたいバイクツーリングは、内陸の富良野他の観光地ではなく何もないこの道を北上する。
グーグルアース(ストリートビュー)で確認していた「カフェ カミルレ」は簡単に見つかった。
呼んでくれた美保さんに声をかけ、挨拶をしてさっそく簡単な機材を降ろすが、会場の状態から結局ギターを小さなアンプで出して、あとは生声で唄うことにした。
素敵な看板を出してくれました。
会いたかったスージー
触らせてくれなかったニャン。
タコシャブで打ち上げ。
美保さんには、本当にお世話になり、ライヴも真摯に聴いていただくお客さんで感謝ばかりです。
時間が無くてお客さんとの交流は出来なかったのですが、特に「永遠の15ちゃい」さんと話ができたのが印象に残っています。
● 7月3日
最終日、美保さんの案内で石狩で一番という日本海の景色を見に行き、いろいろなよもやま話をしながらそこで別れを告げることに。
ツーショットも取らせてもらったが、大事なモノなので誰にも見せない。
美保さんが持たせてくれたおにぎり弁当、うまかったぁー。
函館では、時間が無くて、近くの大きくて豪華な津軽海峡フェリーに間に合ったがお高い。
● 7月4日夜明け前、自宅到着。
※ 予定通りギター・ベースを売った10万円をキッチリ使い果たしましたが、何といっても海峡を渡るフェリーで往復4万円は負担が大きいので、次回は・・・(次回を考えている~少なくてもメンテしたスズキのギターがある石狩「カミルレ」までは行きたい)・・・フェリーが安いバイクや、車で新幹線新青森駅まで行って車を置いて、函館まで北海道新幹線、札幌まで特急で行こうと思う。
今回のミニツアーでお世話になったすべての方々には、心より感謝を申し上げます<(_ _)>
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