7月21日、".リストランテ野呂"さんで充実したランチを頂き、その後に神泉苑を拝観しました。














神泉苑は延暦13年(794)に桓武天皇により"禁苑"として造営されました。
南北4町、東西2町の広大な面積を有する苑地でした。
平安時代初頭には、苑地での管弦の宴などに使われ、池には鷁頭(げきす)船や龍頭船が浮かべられ、貴族たちの遊興の地でした。


延暦19年(800)には桓武天皇による行幸が行われ、以降も歴代天皇が行幸されています。
中でも嵯峨天皇はこの地を気に入られ、43回も行幸されたと記録に残されています。




中でも有名なお話は弘法大師による祈雨の行法が行われた事です。
天長元年(824)、日本中が日照りに見舞われた際には、淳和天皇の勅願により弘法大師空海は池畔にて祈祷され、北印度の神さまである善女龍王を勧進されました。
すると日本国中に雨が降り、以降、神泉苑に善女龍王がお祀りされています。



かってこの地には料亭「神泉苑 平八」が営業されてましたが、賃料で裁判となり"月額40万円の賃貸を支払うように"との判決が命じられ、その結果撤退されました。

今は更地となっています。
また、現在の祇園祭の発祥の地としても知られています。
平安時代に疫病が流行し、その原因が朝廷に反抗し非業の死を遂げた桓武天皇の弟で皇太子だった早良親王はじめ六柱の御霊にあるとされました。
貞観5年(863)には、それらの御霊を鎮めるためにここ神泉苑で御霊会(ごりょうえ)を行ったのが現在の祇園祭へと繋がっています。
また、全国各地でも貞観地震や富士山の噴火などの災害が続き、貞観11年(869)には当時の国の数である66本の鉾を建て、神泉苑で祈願が行われています。
祇園祭の起源が今から1200年近く前にまで遡るのは驚きです。
現在のように医学や薬学、地学などの学問が発達していなかった平安時代には"祈り"や"祈祷"など呪術的な事しかなす術がなかった事を思います。