京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

瓢亭x無鄰菴 秋の南禅寺界隈を味わう和ろうそく茶会

2020年11月17日 07時51分00秒 | 日記
 11月13日は「瓢亭x無鄰菴 秋の南禅寺界隈を味わう 和ろうそく茶会」に参加しました。





先ずは瓢亭別館で点心を頂きます。
(本館ならばなぁ、、、とは思いますがミシュラン三つ星の名店、、、無理ですね)









鯛のお刺身には天然クロカワと菊の花を塩漬けにしたものを戻したものが添えられてらいます。











松花堂弁当を彷彿とさせる八寸です。
季節感たっぷり、京料理(和食)の王道ですね。

海老芋に湯葉、海老、モロコの山椒焼に焼栗、銀杏、鯛と海老の菊花寿司。
シャインマスカットに千枚漬け、には豆腐ベースのごまクリームがかけられています。
鰆の柚庵焼に名物"瓢亭玉子"、、充実の内容です。







ご飯は栗ご飯、、、もち米が何割か入っているのでしょうか?もちもち感たっぷりです。
香の物は小かぶらの漬物にじゃこえのき。





腕物は紅ズワイガニの真薯です。
真薯と言っても殆どは蟹の身です。甘味と言い、食感と言い、ぶぐとともに冬の味覚の王様ですね。

若い頃には毎冬に城崎温泉に蟹のフルコース、温泉巡りをするのが恒例の行事でしたがもう何十年もご無沙汰です。





最後に水物です。
渋柿の大城柿にシロップ漬けにしたラ・フランスに洋酒のジュレと一緒に頂きます。
柿をここまで完熟に出来るのですね?葉と皮以外食べる事ができ濃厚な甘さでした。

食事が終わり無鄰菴へと移動します。
主屋二階で無鄰菴の指定管理者植彌加藤造園の山田プログラムディレクターより名勝無鄰菴庭園のガイドがありました。
詳細は省略しますが日本庭園の特徴のひと「飛泉障り(ひせんさわり」の解説もありました。
この庭園の主山は背後に連なる東山であり、そこから水が流れるの光景がメインとなっています。最も東にある三段の滝に「飛泉障り」の手法が用いられています。
つまり、滝の流れ出るところをかえでなどの植栽で一部を隠し、見る者の想像を掻き立てる手法です。
最も分かりやすい例が南禅寺本坊の「滝の間」(お抹茶席)です。

無鄰菴の水は琵琶湖疏水の一次水を使っていて、蹴上との高低差を利用し自噴しています。無鄰菴を流れた水はお隣りの瓢亭さんへ、、、と言うように二次、三次とネットワークを形成し活用されています。



しばし二階からの紅葉を眺めます。







次に主屋一階で「和ろうそく」茶会です。







風情ある和ろうそくの中、お抹茶と主菓子を頂きます。
贅沢なひと時を感じます。

今や和ろうそくを製造しているのも二件になり、そのひとつ"中村ろうそく"さんの物が使われています。









わずか10名のアットホームな雰囲気の中、心和む"和ろうそく茶会"でした。

茶会の時の座布団が小さく、すぐに脚が痛くなりました。改善をお願いしたい点です。
















妙心寺塔頭 大法院

2020年11月15日 08時02分00秒 | 日記
 妙心寺大法院は通常非公開の寺院ですが紅葉の綺麗な11月の1ヶ月公開されています。







拝観料は700円ですが庭園を見ながらお抹茶とお菓子が頂けるのでむしろ安い拝観料です。



お寺では"且坐喫茶(しゃざきっさ)を大切にされていて毎年このスタイルを守られておらます。
(禅語でまあ、坐ってお茶でも召し上がれ。と言う意味合いです。)









山門を入るとドウダンツツジの紅葉が迎えてくれます。左に折れると昭和の大横綱千代の富士の碑があり、檀家さんの墓地には幕末の兵学者佐久間象山の博士があります。







本堂に入ると5部程度ですが色付き始めた紅葉を背景に見事な庭園が開けます。
来週くらいが紅葉の見頃でしょうか?

茶庭を思わす路地庭園で、紅葉したかえでと常緑樹、苔の緑との対比が素晴らしいですね。

お寺のご由緒について少し、、、
信州初代松代藩主の真田信之公の菩提寺で信之の遺名により孫娘の長姫(おさひめ)が寛文二年(1662)に創建された妙心寺の塔頭寺院です。

本堂内から眺めると見事な額縁庭園になります。縁側から眺めるのもいいですが庭園はお堂の中心から眺めるのが最も綺麗に見える様に作庭されています。
是非、試してみてください。また、違った庭園が見れる事と思います。





茶室の"有隣軒"です。
先程の露地庭園はこちらの茶室の為の庭園でもあります。



次に無鄰菴へと向かいます。





秀吉築城 聚楽第ゆかりの地を歩く

2020年11月13日 08時14分00秒 | 日記
 10月24日にJR東海「そうだ 京都、行こう。」の聚楽第ゆかりの地を歩くのイベントに参加しました。







まずは日蓮宗大本山妙顕寺からです。
お寺の一室をお借りして立命館大学の谷徹也先生による時代背景の解説が約1時間ありました。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛を果たしたのは大河ドラマ"麒麟がくる"の通りです。

当時の京都は上京と下京に人が住んでいる状況で、その他の土地は田んぼか畑が拡がっていました。
幾多の戦乱から自身の身や町を守るために"総構(そうがまえ)"と呼ばれる堀や門、塀で町を囲み、夜には町の出入口の門を閉めて自衛している非常に治安の悪い町でした。












織田信長や羽柴秀吉が日蓮宗寺院を宿舎にしたのは何故でしょう?
当時、日像上人による布教活動で都人の多くが日蓮宗に改宗する状況でした。
その事を快く思わない延暦寺を始め既存の仏教勢力が天文5年(1536)に天文法華の乱を起こし法華宗徒を洛外に追放する事件が起こりました。

それ以降、日蓮宗寺院は周りに堀をめぐらし防御を重視した言わば"平城"のような城郭構造になったわけです。織田信長が本能寺はじめ日蓮宗寺院を常宿にしていた主な理由です。

しかし、天正4年(1582)本能寺の変で織田信長、信忠父子が明智光秀に討たれます。

以降、急速に勢力を、拡大した秀吉は妙顕寺を現在地に移転させ、妙顕寺城を築きます。
やがて天正13年(1585)関白に任じられると翌年に聚楽第の造営を始めます。

講座の後は聚楽第の痕跡を求めての町歩きです。





妙顕寺の北側にある妙覚寺の大門で聚楽第の遺構と言われています。







次に訪れたのが京都市考古資料館です。昭和51年に開設され考古学の見地から京都の歴史が良くわかる様に展示されています。
上の写真は本能寺跡から発掘された瓦です。一部は赤く変色していて炎を浴びた事がわかります。
下の写真は地下鉄烏丸線の発掘調査で出土した石仏で石垣の一部に使われていました。

もとは西陣織会館で設計は本野精吾です。





松林寺は外郭南濠跡の窪地と言われて来ましたが最近の研究では違う見解が通説になっているようです。









最後に訪れたのが佐々木酒造さんです。
蔵の中を案内して頂きました。
ご存知の俳優佐々木蔵之介のご実家で現在は弟さんが跡を継がれています。



聚楽第は僅か8年で秀吉により徹底的に破却されその痕跡を見つけるのは難しい城ですが今も残る町名や最新の調査により濠の位置が確定されつつあります。




曼殊院門跡 夜間拝観

2020年11月12日 08時03分00秒 | 日記
 京都洛北にある曼殊院門跡は京都五箇所門跡のひとつで大変に格式のある寺院です。







平成24年には当時の明仁天皇陛下、美智子皇后陛下が行幸されています。

もとは伝教大師最澄が比叡山西塔北谷に東尾坊を草創したのが始まりで後に曼殊院と寺名を改めています。





明暦2年(1656)に桂離宮を造営された八条宮智仁(としひと)親王の次男良尚(りょうしょう)法親王の代にこの地に移転しています。
上の写真の大妻屋根の額「媚竈(びそう)」は良尚法親王の筆によるものです。

親王の美的感覚が生かされた建物、庭園で大変に見応えのある寺院です。







虎の間の襖は狩野永徳と伝わります。
竹の間の襖は江戸時代の版画です。
孔雀の間の襖絵は岸駒(がんく)筆です。





堂内にお祀りされている元三大師の像です。
お名前は良源、諡号は慈恵大師ですが、正月三日にご誕生になられた事から元三大師の名で親しまれています。
第18代天台座主で比叡山延暦寺中興の祖、
また、"おみくじ"を始められた僧としても名が知られています。







大書院、小書院の前には鶴島、亀島を配した枯山水庭園(名勝庭園)が広がります。



小書院前には有名な「梟の手水鉢」があり四箇所に梟が、下の台石は亀、傍の石は鶴をかたどっています。













夜の帳も降り、ライトアップされた庭園は幻想的ですね。















寺宝もたくさん所蔵され、その一部は堂内で公開されています。



曼殊院門跡では明治に接収されて以来無かった宸殿の再建を始められ工事の関係でこの秋のライトアップは今月13日までとなっています。



堂内や寺宝の写真はネットから転載させて頂きました。







法然院 秋季伽藍内特別公開

2020年11月11日 07時24分00秒 | 日記
 次に哲学の道近くにある法然院をたずねました。
法然院の伽藍内は通常非公開ですが、毎年4月と11月のそれぞれ第1週間の7日間、伽藍内が公開されます。

梶谷ご住職とはFacebookで繋がっているので凄く身近に感じるお寺です。



風情ある山門を潜ると両側には白砂壇があります。水を表していて心身を清めて境内浄域に入ることを意味しています。





季節季節に色んな砂紋が引かれています。



庫裏玄関で受付を済ませ伽藍内へ。







本堂北側の中庭には珍しい椿(五色散り椿・貴椿・花笠椿)が植えられていて毎年3月の下旬から4月中旬にかけて咲き誇ります。



ご本尊の阿弥陀如来坐像さまです。
前には25の花が散華され阿弥陀如来さまにお供される25菩薩を表しています。



本堂の4室には京都画壇の巨匠堂本印象の抽象画の襖絵があり、当時は檀家さんから不釣合いと疑問の声があったようですが今ではすっかりと本堂襖絵として馴染んでいる感がします。



狩野光信筆の「桐に竹図」です。





方丈庭園です。
中程には阿弥陀如来さまに見立てた石を中心に観音菩薩さま、勢至菩薩さまの三尊石が配され、「善気水」が湧き出し庭園の水を潤しています。
山号の「善気山」もこの湧き水名から取られています。





紅葉も始まり花手水とともに錦秋の庭に変わって行きます。
コロナの影響で手水鉢の使用が中止される中、いい有効利用ですね。



西側には"黒谷さん"と呼ばれ親しまれている金戒光明寺が遠望できます。










茶室です。
照明設備はなく自然光だけの茶室です。
大きく取られた吉野窓が印象的です。





一昨年の台風21号で甚大な被害を受けられましたが檀家さんを始め多くのボランティアの方々の尽力ので復興されています。

庭園には一部倒木がそのままにされています。台風の教訓を記憶に留める為でしょうか?
よくもお堂を直撃しなかったものですね。



次に曼殊院門跡の夜間拝観へと向かいます。

(伽藍内は撮影禁止なのでネットから転載させて頂きました。)