京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

比叡山延暦寺③ 東塔エリア

2022年10月15日 08時27分00秒 | 日記
 比叡山峰道レストランで「平和丼」を頂き、最後に東塔エリアへ。









先ずは参道の直ぐ左手にある"国宝殿"を見学します。「開館30周年記念特別展」が12月4日まで開催されています。

織田信長の比叡山焼き討ちで全山が焼けてしまった境内ですが、当時の僧侶の方々が必死でお守りしたのでしょう!平安時代や鎌倉時代、室町時代の宝物が多く残っています。





大講堂(重文)

昭和39年(1964)に坂本講仏堂を移築したもので、ご本尊は大日如来像です。

左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像がお祀りされています。







根本中堂(国宝)

比叡山延暦寺の中心となるお堂で、最澄が延暦7年(788)に創建した"一乗止観院"が元となっています。
ご本尊は薬師瑠璃光如来ですが絶対秘仏の為、公開される事はありません。





ご本尊の前にある「不滅の法灯」は開創以来1200年以上にもわたって灯し続けられています。

現在、屋根の銅板や栃(とち)葺きの葺き替え、彩色の復元工事中ですが、通常通りお詣りができ、修学ステージからは修復の様子を見学する事が出来ます。



最後に法華総持院東塔を巡ります。







と言うのも比叡山延暦寺山内と坂本の寺院とでスタンプラリーをされていて9個集めるとクリアファイルが貰えます。





やはり台紙にスタンプを頂く方が充実感があって昭和世代にはいいですね。

京都駅への帰りにウェスティン都ホテルのラウンジで喫茶を楽しみました。



















比叡山延暦寺② 横川エリア

2022年10月14日 07時49分00秒 | 日記
 西塔を後にし比叡山延暦寺三塔の中で最も北エリアにある横川(よかわ)に来ました。








横川中堂と呼ばれ、エリアの中心になるお堂です。



ご本尊は聖観世音菩薩立像です。

横川中堂でご本尊さまにお詣りを済ませ、元三大師堂(四季講堂)へと参道を進みす。  
参道の両側には西国三十三所観音霊場のご本尊さまの石仏がお祀りされています。







元三大師良源は第18代天台座主になられた高僧で"比叡山延暦寺中興の祖"として知られ、死後は"慈恵大師"と諡号されています。 



また、中世以降は民間において「厄除け大師」として独自の信仰を集めて今日に至っています。



角大師

図には2本の角を持ち、骨と皮とに痩せた"夜叉の像"を表したものです。
「元三大師縁起」などの伝説によると良源が夜叉の姿に化けて疫病を追い払った時の像とされ"魔除けの護符"として比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られています。







根本如法塔

2014年初夏のJR東海「そうだ 京都、行こう。」のポスターにもなった塔です。

駒札にあるように現在の塔は大正14年(1925)個人の方おひとりの寄進により建立された塔です。

周りはかえでが多く、秋には一足早く紅葉が楽しめます。



御朱印を授与して頂き、次に東塔へと向かいます。






途中に比叡山峰道レストランで"平和丼"の昼食を取りました。

湯葉丼と温かい蕎麦、香の物のセットで、比叡山延暦寺境内にあるだけに丼の中身は精進料理で豆腐の代わりに胡麻豆腐が入っています。
















比叡山延暦寺① 西塔エリア

2022年10月13日 08時13分00秒 | 日記
 10月6日は京都仲間 3人と計4名で比叡山を巡りました。

比叡山内にはシャトルバスも運行されていますが、やはり自家用車が便利です。



昨年から今年にかけて聖徳太子ゆかりの寺院では、太子1400年大遠忌を記念して通常は非公開のお堂が公開されたり、秘仏が公開されています。

比叡山延暦寺でも西塔にある太子ゆかりの椿堂が12月4日まで公開されています。

何度となく比叡山を訪れていますが、にない堂と浄土院との分岐点の下方にあり、今までその存在すら知りませんでした。







お堂のご由緒については駒札をご覧下さい。







にかい堂です。

常行堂と法華堂とからなり中央は回廊で結ばれています。

今の天台宗の修行のお堂のひとつでこの日も法華堂では"行"が行われていました。







釈迦堂(転法綸寺・重文)です。

駒札にある様に延暦寺に現存する最古の建築物です。

織田信長による比叡山焼き討ち以降、豊臣秀吉の命により大津市にある園城寺(三井寺)の本堂を移築したお堂です。

平成29年(2017)には内陣の公開とご本尊釈迦如来像がご開帳されました。

鐘楼がある高台は大きな釈迦堂が見下ろせる
絶景の場所です。











次に横川エリアへと向かいます。



















【どぼく】②工学博士と東海道中膝栗毛

2022年10月12日 07時14分00秒 | 日記
 府道143号線を右に外れると旧東海道です。







江戸時代の主要街道であった東海道ですが、慶応3年(1867)に現在の三条通に付け替えられました。






粟田口名号跡

日ノ岡峠を改修した木食正禅は刑場で亡くなっています。
罪人の魂を供養する為に江戸時代1717年に建立された碑です。

遺棄されていた碑を昭和8年(1933)の京津国道改修に伴い移設された碑です。





京津国道改良記念碑

江戸時代の東海道と重なる三条通は、日本で国道が制定された明治18年(1885)に国道2号線に指定されました。
その後、昭和8年(1933)に大規模な改修工事が行われました。









日ノ岡11号橋

明治36年(1903)建設の日本最初の鉄筋コンクリート橋です。

建設時は国産セメントの試験用で、ほとんど忘れられた存在でしたが、昭和5年(1930)の疏水決壊修復工事の中で田邊朔郎がこの橋の由来を話し、昭和7年(1932)に「本邦最初鉄筋混擬土橋」が建立されました。





南側には昭和4年(1929)建設、鉄筋コンクリート造の栗原邸があります。設計は建築家・本野精吾。
現在は2億円で売りに出されています。





疏水第二トンネル西口扁額

第三代京都市長を務めた西郷従道「過雨看松色」(時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑を見ることができる)








山の谷橋

明治37年(1929)建設の日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋です。橋脚には技師の名前が刻まれています。







地下鉄東西線御陵駅の地上にある「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」の石碑です。

今回、高橋先生の解説を聞きながら旧東海道を巡り、普段は目に付かない小さな石碑や痕跡が多数存在するのを知り大いに勉強になりました。














【どぼく】①工学博士と東海道中膝栗毛

2022年10月09日 08時42分00秒 | 日記
 9月24日は"まいまい京都"の表題のツアーに参加しました。



ガイドは京都大学の高橋良和先生です。

先生曰く「土木とは、我々の社会をより良いものに改善しようという営みです。私たちの身の回りは、普段気づかない"どぼく"に囲まれています。その"どぼく"を再発見し、愉しむことができるのは、大人ならではの嗜みです。」

① ねじりまんぽ

組積造による斜めアーチトンネルです。
扁額「雄観奇想」は第三代京都府知事・北垣国道によるものです。

ここまでは知っていましたが、トンネルの上の煉瓦には「疏」の刻印があります。

今の地下鉄東西線「御陵」駅付近に造られた煉瓦工場で造られた煉瓦が使われています。







② インクライン

蹴上船溜と岡崎船溜との高低差を解消する為に設置された傾斜鉄道で明治24年(1891)から昭和23年(1948)まで共用されました。

ここから三条通・京都府道143号線を滋賀県方面へと向かいます。





③ 東山ドライブウェイ





当時の日本道路公団による有料道路でした。(1959〜1979)
その名残りの石柱が残っています。

④ 日岡峠修路碑



東海道の日岡峠は急坂の難所として知られていた所です。

明治10年(1877)に急坂を緩やかにする工事が京都府により行われた事を示す石碑です。

⑤ 車石







東海道の難所を牛車で越えるため車輪の幅に刻まれた敷石が歩道の石垣に使われています。

その向かいには平成9年(1997)の地下鉄東西線の開業に伴い廃止された京阪電鉄京津線の軌道跡に整備された牛車道が復元整備されています。

続編に続きます。