9月28日は大阪府大東市と四條畷市にまたがる飯盛城を訪ねました。
JR学研都市線「野崎駅」に集合の後、東に歩きまずは野崎城を目指します。
講師は滋賀県立大学名誉教授の中井均先生です。
「野崎まいり」で名高い"野崎観音慈眼寺"の横を更に登ります。
野崎観音の更に高い位置にあり、飯盛城の出城のひとつと考えられています。
飯盛城は戦国大名・三好長慶の居城として築かれ、その規模は南北650m、東西400mもの大規模な山城です。
三好長慶は将軍や天皇がいる京都を制した最初の「天下人」でした。
この山城に入城後は大阪を中心に四国や瀬戸内、日本海方面にまで勢力を拡大し、国内最大の影響力を持つ戦国大名へと成長します。
約1時間の登山で飯盛城跡の虎口に来ました。
駒札にあるように飯盛城の南側の出入り口です。
もう少し登れば飯盛城跡南丸です。
南側からの攻めに対応する為の最前列で兵士が駐屯する櫓もたったようです。
千畳敷廓と呼ばれる平坦地です。
三好長慶の居住地と考えられています。
一角にはFM3局の中継アンテナがあります。
次に本丸跡へと向かいます。
途中には南北の尾根筋を断つ巨大な堀切が設けられています。
堀切とは敵の動きを牽制・制限させるもので、水堀と空堀とがあります。
空堀には横堀、堀切とがあり堀切は道や郭が繋がる尾根筋を断ち切って敵を遮断する効果があります。
草で見えにくくなっていますが土橋も設けられています。
山頂からは大阪平野から神戸や比叡山、比良山、京都市内、大山崎、高槻、一望でき三好長慶がこの地を本拠に決めた理由がわかる気がします。
こちらで昼食休憩をとります。
周辺には見事な石垣が残っています。
この時代の高石垣は技術的、強度的に二段構造になっています。
帰りは四條畷神社への登山道を下ります。
登頂までの距離は短いですが、その分、勾配が急です。
四條畷神社で休憩し、JR四條畷駅で解散しました。
次回の講座は12月1日「水口岡山城を訪ねる」ですが、仕事の都合で参加出来ないのが残念です。