油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

せっせと草刈り。  (1)

2024-09-10 21:10:15 | 随筆
 九月十日。晴れ。
 この日は、草刈り。
 おおよそ二日か三日に一度と決めている。

 もちろん体調をおもんばかってのことだ。

 あと数年で喜寿。使いに使った身体だ。
 いつなんどきどんな変化がみられるやもしれぬ。

 母方の祖父が、脳卒中を発症したのは、彼が七
十歳になる寸前のこと。
 昭和でいうと四十三年だった。

 わたしはその日、たまたま、勉学のために下宿
していたY県T市から郷里に帰った。

 「なんやお前、誰もじいちゃんのこと、知らせへ
んのに。ほんま不思議なことがあるもんやな」

 知らせを聞いて、自分の生家にかけつけていたお
ふくろが彼女の姉とおしゃべりしている最中だった。
わたしを見るなり、目を丸くした。

 「これってな、きっとムシの知らせっていうもの
やで」

 いっしょにいたおふくろの姉が、自信満々にそう
言うと、
 「そうやなあ。じいちゃん、K夫のことが大好きやっ
たし、ずいぶん心配しとったからな」
 おふくろは納得したげにそう言った。

 「ええっ?じいちゃんが危篤。なんちゅうことや」
 一瞬、私は言葉につまった。

 ひとつためていた息を吐いてから、
 「ちょうどな、定期テストが終わったところやった
んや。アルバイトで稼いだお金があったし。なんや
知らんけど帰りとうなったんや」

 三代目に、子から孫へと、体質がつたわると聞く。

 そのため、この間ずっと、私はその切り目のいい
歳を意識して暮らして来た。

 七十歳になり、そして七十一歳になったところで、
ひと安心した。

 そんなこんなで、つねづね、からだの声に耳を傾
けようと思っている、

 わたしはわたしであって、そうでもない。
 こちらの思惑通りにいかない。

 人には定命があるらしい。
 神さまに
 「こっちへ来なさい」
 と言われたら、
 「はい、わかりました」
 と言うしかないと心得ている。

 先ずは草刈りの身支度。

 陽ざしが出てくれば、大量に汗をかくのが決まっ
ている。
 子どもの頃に観た「スーパーマン」よろしく、ベッ
ドから起き上がるとすぐに、それなりの下着や上着を
身に付ける。

 シャツは少し厚手のもの。
 アブに刺される恐れがあるからだ。
 下半身は冬物のももしきでおおう。
 こちらも、ダニや毒虫を防ぐためだ。

 マニュアルの軽トラックはあるが、ヘルニアのことが
ある。左の脚をあまり動かしたくない。

 田んぼまで歩いて十分くらい。
 時間はかかるが、一輪車に、水入りのペットボトルと
鎌ひとつ、それに砥石をのせた。
 さあ、出発である。

 もう数回試みている仕事だ。
 要領はだいたいつかめた。
 あとはケガをせぬよう、気をつけること。

 草刈り中、いろんなことを考える。
 田んぼは、「自己保全」。

 ほかの田んぼは、米がたわわに実っている。
 しかし、うちのはひえや水草、それに雑草ばかりだ。

 なんだか悲しくて、ときどき、涙が出そうになる。

 苗を植える機械がない。
 それに収穫の際のもろもろの機械や器具が、長い月日の
うちに、紛失してしまった。

 「頼むぞ」と言い残して逝った義父には申し訳ない。
 
 何よりも人手がない。
 せがれがいても農業をやらない
 常時、従事しているのは私ひとりだ。
 
 昔とは大違い。
 ひとつかふたつのコメ専業農家が大きな機械で、広い圃
場で稲作に励んでいる。

 この秋はたまたま米の値段が高い。
 だが、これはたまさかのこと。

 課題の多い、こんにちのコメ農家である。
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せっせと草刈り。

2024-09-08 19:15:08 | 随筆
 生まれて初めて、おなかにメスを入れた。
 ほんというと切りたくなかった。

 「親にもらったからだ。傷つけたくないで
すよ」

 大きな声で叫びたかったが、
 「オペしないと症状がおさまらないんです
よ」
 とのお医者さまの返事。

 そけいヘルニア。

 外科的には軽いオペだといわれたが…。
 オペなど受けたことがない。
 
 まったく実感がわかなかった。

 オペ以来、常時、おなかに力が入らぬよ
う心がけている。

 あまりに重いものが持てない。
 ゴルフなどご法度である。

 むりすると、反対側のそけい部も脱腸を
さそう恐れがあるらしい。

 左側だったから、リンパを外した。

 右側もヘルニアになってしまうと、足の
むくみがひどいらしい。

 いとこが右側にヘルニアをわずらった。
 彼女の話を聞いて、良くわかった。

 人のからだはよくできたもの。
 そう実感する日々である。

 高齢者の七人にひとりがなるという。

 年老いた身体であるからには、あちこち
古くなってきている。
 そういうことである。

 みなさまもくれぐれもご注意あれ。

 この五月に発病。
 最初、ただの筋肉痛くらいにしか、思っ
ていなかった。

 ぽっこり部分に、シップを貼ってみたり
したが、まったく役に立たない。

 七月初めに、ようやく外科医をたずねた。
 階段を降りる際、激痛が走ったからであっ
た。

 田畑を所有していて、野良仕事に精出す
必要にせまられていた。

 しかし、見て見ぬふりをせざるをえない
日々を過ごした。

 田んぼの代かきやくろぬり。
 とうとう、人に任せた。
 お金はありがたい。
 つくづく、そう思った。

 この先、どうしよう。
 不安がわたしの胸をさいなむが、
 「その時は、また、その時で、考えればい
いや」
 そう割り切ることにした。
 精神衛生上、良くないからである。

 耕運機やトラクターをうごかせないのが
つらい。
 しかし、無理して動かして、病が再発。
 再びの「まな板の上の鯉」。
 そうは決してなりたくはない。

 二十年ほど前の韓ドラ「チャングム」を
期せずして想いだしてしまった。

 物語の終盤。
 (切開すれば治るかもしれない)
 王様にそう進言したチャングム。

 だが、当時の医療事情からすれば、とん
でもない話だった。

 外科手術。
 いままで、これほど真面目に考えたこと
がなかった。
 
 歴史的事情やら、いろんなことがわかっ
て、とても勉強になった。

 今は、おなかに力をこめないよう、地面
にすわりこみ、手鎌でせっせと草を刈る日
々ではある。

 人間、動けるうちは動かなくては。
 
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残暑に、ひと言。

2024-09-06 17:26:15 | 随筆
 九月六日。この日も暑い。

 残りの夏といったお天気なのだろうが、午
後二時あたりで、気温が摂氏三十五度を記録
しそうな勢いである。

 いま、二階の書斎にいて、この記事を書い
ている。

 首からひたいにかけて、たちまちのうちに
汗ばんでくる。

 早くおわそうと思うが、暑さのせいで頭が
ぼんやり。書き終えるまでに、どれほどの時
間がかかるか見当がつかない。

 パソコンのわきに、一冊の文庫本。
 「ベスト・エッセイ」
 著者は、今は亡き向田邦子さん。

 みなさん、よくご存じの直木賞作家。
 「渡る世間は鬼ばかり」
 テレビドラマで人気を博した。
 随筆や短編小説の名手でもある。

 わずかなりとも、向田さんの語り口を学べ
たらと思い、折に触れては読ませていただい
ている。

 しかし、書きものはやはり才能。
 何やかやと書き出して早や、十三年。
 ちょっぴり作文力がついたくらいでは、も
ののかずではないらしい。

 天才といえば、瀬戸内晴美さん。

 昨年だったか、逝去された寂聴さんのこと
だが、いま、彼女が書かれた本を読もうと一
所懸命である。

 ここまで書いて、急に喉の渇きをおぼえて
階下に降りた。
 グラス一杯の水を、ごくごくと飲みほした。

 エアコンのきいた一階のソファにごろりと
身を横たえてしまい、いいや、もう、今日の
ところは、などと不届きな気持ちになったが、
思い直して、足取りおもく、階段を上がって
来た。

 書き始めておよそ一時間。
 書斎の温度はいかほどだろう。

 少しは低くなったろうか。
 だが、さにあらず、パソコン前の椅子にす
わり、五分も経たないうちに頭がぼんやりし
てきた。

 (つまらない随筆は書きたくないな。できる
だけ中身の濃い、みなさんの興味をひくもの
がかけますように)

 いつだって、そう願い、ない知恵を絞りに
しぼっているが、何しろ浅学の身である。

 「水分補給を忘れずに」
 この猛暑の中、親しい友人のひとりの助言
がありがたかった。

 今朝も七時から草刈りに精出した。
 二週ほど前に、手鎌で、きれいに刈り取っ
た旧塾の駐車場あと。

 長梅雨が明けたと思ったら、今度は真夏の
お天気。

 今年はめずらしく、盆踊りが再開されると
聞き、運動公園近くにある、田畑の除草に力
を入れようと励んだ。
 
 しかし、天は我に味方せず。
 猛暑とゲリラ豪雨が入れ代わり立ち代わり
やってきたから、いったん草をきれいに刈っ
ても、二週間も経たないうちに、また元どお
りになる始末だった。
 
 県内では佐野市がこの夏最高気温を更新。
 四十度にせまった。

 以前は熊谷が注目され、そして舘林へ。
 北方の街へとつづいた。

 ついに佐野市が関東の雄になった。

 明日は義妹の十三回忌。
 還暦を迎えずして、逝去している。

 あれやこれやと家族と、K子の思い出話を
して、彼女の霊を慰めたいものだ。
 
 
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ゆっくり、ゆっくり。

2024-08-28 09:00:15 | 小説
 今のモットーは、何事もゆっくりしたテンポで
やること。
 おらは年老いたのだから。

 先日は高齢者講習を受けた。
 
 七十を過ぎると、三年に一度、この講習を受け
ることが義務づけられている。
  
 このごろ高齢者による交通事故が多い。
 厳しくされても仕方がない。

 高速道路で、逆走なんぞしたくありませんから
ね。
 
 とにかくね。
 この歳まで、よくぞ生きてこられたものだ。

 涙が一粒ぽろり。
 しんみりしてしまった。

 ありがたいやら…で、胸がジンとする。

 おらの課題は認知機能検査。

 事前に、少し、テストについての予備知識を
得ようと、本屋さんで立ち読み。

 16枚の絵。
 4枚ずつ見せられる。

 それらがなんだったっけ?
 と、問われる。

 拝見してすぐなら、半分以上は憶えていられ
ると思っていた。
 だが、そうは問屋が下ろさなかった。

 ちょっと経ってから鉛筆で解答用紙に記入す
るはめに……。

 最近もの忘れが多い。
 テストの結果がとても心配だった。

 案の定、そのうち七枚くらいしか憶えていら
れなかった。

 その七枚を早めに記入してから、まだ時間が
あった。

 その間、じりじりいらいら。

 「カンニングをしろよ、ほらほら」
 と、内なる声。
 「いやだめだ」
 やっとの思いで、逆らった。

 試験官さんが、厳しい目つきで、ひとりひと
りの挙動を見つめておられる。

 一問につき、五点。
 35点じゃ落っこち。

 (ああもうだめだ。しょうがないからお医者さ
まに診察してもらい、認知症じゃないです、と
のお墨付きをいただいて来ることにしよう)

 顔を青くして、あきらめ気分でいた。

 他にも数字をチェックする問題やらがあった。
 (なんとかほかの問題で、カバアできればいい
なと淡い希望がわいて……)

 「ここにいる方はみなさん、合格しました」
 採点後そう試験官さまがおっしゃった。

 おらは思わず立ち上がり、
 「受かったんですか。ありがとうございます」
 と礼を言い、こうべを垂れた。

 教室にいた同年配の男女数名、それぞれがお
らと同じ思いだったようだ。

 笑い声が教室中にひびいた。
 

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盆の踊りに……。

2024-08-16 16:55:26 | 随筆
 生まれつきにぎやかなことが好きなのだろう。
 私はもよりの公園で催される盆踊りに参加した。

 新型コロナがこのところ猛威をふるっていた
から、実に六年ぶりの開催である。

 踊り始めが、午後七時。
 およそ一時間前に会場に到着していた。

 開会にはまだ間がある。
 あちこちぶらぶらしながら、見知った顔にでく
わさないかと目線をさまよわす。

 空気はねっとりして、肌にまとわりついてくる
がそれほど気にならない。

 会場まで歩いて片道十五分かかった。
 病上がりだが、体調はいたって良く、しゃん
しゃん歩けた。

 (自在に歩けることがこんなに嬉しく、しあわ
せに感じるなんて……)

 何だって、神さまのおはからい。
 そう思うようになったのは、歳のせいで信仰心
があつくなったからではないだろう。

 何だっておのれの思うようにいくと思い、しゃ
にむに突進した頃がなつかしい。

 次第に空が暗くなり、黄昏となった。
 だが、ひとりとして、なじみの人にめぐりあわ
なかった。
 北の空、黒雲の動きばかりが気がかりになる。

 夕立の心配である。
 ときおり稲妻が走った。

 降るとなったらゲリラ豪雨。
 傘は持参したが、よこなぐりでは仕方ない。
 ずぶぬれ覚悟で来た。

 「第十三回鹿沼市A地区盆踊りの開催を宣言いた
します」

 やっとアナウンスがあった。
 しかし、すぐには踊りが始まらない。
 来賓連中の祝辞やらがつづいた。

 (早く始めればいいのに……、雨が……)
 心中、まことに穏やかならず。

 寄せ太鼓につづいて、本番となった。
 踊るは、和楽おどり。

 今までに二三度参加していたが、手と足のうごき
がなめらかとはいかない。
 どちらかに気をとられると、一方がお留守になっ
てしまう。

 笛や太鼓がそれぞれの音を、ボリュウムアップ
しだした。

 さいわいなことに、目の前にお手本になる方が
おられた。
 同じ組内で歳も近い。

 五分くらい体を動かしたところで、どこも痛かっ
たりだるかったりしない。

 「よしっ、これなら大丈夫」
 私は全力で踊りだした。

 一時間以上、ほとんど休みなしで踊ったろう。
 両足がふらついていた。

 かろうじて立っている。
 「せんせいっ」
 ふいに女の子の声がして、わたしの体を支えた。

 突然の出来事だった。
 わたしはわけがわからない。
 「ピースして、ピース」
 目の前に中学生くらいの女の子がふたり、こちら
を向いてスマホをかまえている。

 ちらっと首をまわし、その子が塾生だったことを
確かめた。
 今度は状況がはっきりした。
 
 彼女が入塾したのは小学一年生、今は早や、中三
になっていた。

 胸がジンとした。
 「なんや、写真撮るんんだね」
 「そう」

 「じゃあ素顔のままがいいね。ピースもひとつじゃ
なく、ふたつだ」
 私はかけっぱなしの老眼鏡をはずした。

 私の畑わきの小道が登下校に利用されている。
 野良仕事をしているのを見つけると、いま、わたし
を支えてくれている子が必ず、「先生」と手を振った。

 しばらく体調がすぐれず、畑が草のジャングルになっ
ているのが気がかりだったのだろう。

 写真を撮り終えてから、
 「先生、元気でね」
 彼女が耳もとでささやいた。

 「わかった。ありがとう。あなたもね」
 「はい」

 教師冥利につきる。
 (神さまありがとうございます)
 こころの中で言った。  
 
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