令和5年8月12日。
種吉は、午前四時ごろ目をさました。
ぼんやりした頭で、きょうなすべきことを
考えてみようとしたが、下腹が妙に重々しい。
あっそうやと思い、ベッドを両の手でささ
えた。
すばやく動きだしたいのだが、思いに行動
がついて行かない。
二、三度からだを揺すってから、
「よっこらしょ」
と声をかけた。
からだのわりに大きめのふたつの足を、た
たみの上に置き、しげしげと眺めた。
(ここまでずいぶんと長く働いてくれたな)
種吉は愛おしくて、胸がじんときた。
しばらくして、もう一度、よいしょ、どっ
こいしょと、両腕に力をこめ、ようやく立ち
上がった。
用を済ませ、部屋にもどった。
さっさと常の服に着がえ、トントンと一階
に下りたいところだが、いまだに気分がすっ
きりしない。
いま一度ベッドに横たわった。
ここら辺が、起きがけからさっさと動ける
三四十代ころと違うところだな、と種吉は思
う。
心底、横になってたほうが楽なのだ。
ベッドのすみで丸くなっていた、クロと三
毛猫のたまは、種吉がもぞもぞと動き始める
なり、さっさとどこかへ行ってしまった。
あくせくあくせくしていて、なんぼのもん
や。数えで七十七歳まであと少し、よくぞ
ここまでもってくれたぞ、わが身体、とほめ
てやりたくなる。
見るべきことはすべて見たし、やるべきこ
とはすべてやった感が強い。
(金が欲しくて、この歳で、塾だ、商いだ
とむりやり世の中に出ていって、今さら何に
なる。恥をさらけ出すようなものじゃないか。
浮き世にいるのもあと少し、静かに過ごした
ほうがいいのじゃないか)
しかし、今どきの値上げラッシュ。
なかなか、そんなわけにはいかない。
草刈りひとつ、せがれたちに任せられない
のだ。
(おらはいま少し、何が何でもがんばらな
くちゃならない。中途でへたばろうとかまわ
ない)
そう決意したら、気持ちがすっきりした。
実家の両親、きょうだいふたりも、すでに
あの世とやらにいってしまっている。
「もうちょっと、そっちで、おらがいくの
を待っていてくれ。みやげ話をたくさん持っ
ていくからな」
ふわりと種吉の魂が、天井辺りまでのぼり
そうになる。
「おめえさん、まあだ、寝てるんだね」
かみさんのかん高い声が、階下で聞こえた。
とんとん、とんとん。
どうやらうちの飼い猫たちがお迎えに、階
段をのぼってくるらしい。
種吉はさっさとつねの服を着た。
一匹、二匹と、なついてくる猫たちを両脇
にかかえた。
「今、行きます。きょうは猫ちゃんたちと
は遊びません。すみませんね。どうもきのう
の草刈りの疲れが残ってしまって」
そう言いながら階段を下りた。
我が家の家族三名がすでにキッチンに勢ぞ
ろいしておられる。
「待つ身になってください」
すでに朝食の用意ができている。
かみさんの一言が、矢となって、種吉の胸
に突きささった。
「明日、我が家に、たくさんのお客さまが
お見えになるから。先ずは墓そうじ」
かみさんの号令いっか、種吉初め、せがれ
たちの身が引きしまる瞬間である。
「なんだい。その白いの?足とか手に貼っ
ちゃってさ」
「起きようとして、右手首と右足の甲あた
りが痛んだんでね。シップ薬をはりました」
種吉が訴えた。
「ふうん、もう歳なんだね。気を付けてや
るんだよ」
予想もしないかみさんのねぎらいの言葉に
種吉のまぶたがちょっとだけ濡れた。
種吉は、午前四時ごろ目をさました。
ぼんやりした頭で、きょうなすべきことを
考えてみようとしたが、下腹が妙に重々しい。
あっそうやと思い、ベッドを両の手でささ
えた。
すばやく動きだしたいのだが、思いに行動
がついて行かない。
二、三度からだを揺すってから、
「よっこらしょ」
と声をかけた。
からだのわりに大きめのふたつの足を、た
たみの上に置き、しげしげと眺めた。
(ここまでずいぶんと長く働いてくれたな)
種吉は愛おしくて、胸がじんときた。
しばらくして、もう一度、よいしょ、どっ
こいしょと、両腕に力をこめ、ようやく立ち
上がった。
用を済ませ、部屋にもどった。
さっさと常の服に着がえ、トントンと一階
に下りたいところだが、いまだに気分がすっ
きりしない。
いま一度ベッドに横たわった。
ここら辺が、起きがけからさっさと動ける
三四十代ころと違うところだな、と種吉は思
う。
心底、横になってたほうが楽なのだ。
ベッドのすみで丸くなっていた、クロと三
毛猫のたまは、種吉がもぞもぞと動き始める
なり、さっさとどこかへ行ってしまった。
あくせくあくせくしていて、なんぼのもん
や。数えで七十七歳まであと少し、よくぞ
ここまでもってくれたぞ、わが身体、とほめ
てやりたくなる。
見るべきことはすべて見たし、やるべきこ
とはすべてやった感が強い。
(金が欲しくて、この歳で、塾だ、商いだ
とむりやり世の中に出ていって、今さら何に
なる。恥をさらけ出すようなものじゃないか。
浮き世にいるのもあと少し、静かに過ごした
ほうがいいのじゃないか)
しかし、今どきの値上げラッシュ。
なかなか、そんなわけにはいかない。
草刈りひとつ、せがれたちに任せられない
のだ。
(おらはいま少し、何が何でもがんばらな
くちゃならない。中途でへたばろうとかまわ
ない)
そう決意したら、気持ちがすっきりした。
実家の両親、きょうだいふたりも、すでに
あの世とやらにいってしまっている。
「もうちょっと、そっちで、おらがいくの
を待っていてくれ。みやげ話をたくさん持っ
ていくからな」
ふわりと種吉の魂が、天井辺りまでのぼり
そうになる。
「おめえさん、まあだ、寝てるんだね」
かみさんのかん高い声が、階下で聞こえた。
とんとん、とんとん。
どうやらうちの飼い猫たちがお迎えに、階
段をのぼってくるらしい。
種吉はさっさとつねの服を着た。
一匹、二匹と、なついてくる猫たちを両脇
にかかえた。
「今、行きます。きょうは猫ちゃんたちと
は遊びません。すみませんね。どうもきのう
の草刈りの疲れが残ってしまって」
そう言いながら階段を下りた。
我が家の家族三名がすでにキッチンに勢ぞ
ろいしておられる。
「待つ身になってください」
すでに朝食の用意ができている。
かみさんの一言が、矢となって、種吉の胸
に突きささった。
「明日、我が家に、たくさんのお客さまが
お見えになるから。先ずは墓そうじ」
かみさんの号令いっか、種吉初め、せがれ
たちの身が引きしまる瞬間である。
「なんだい。その白いの?足とか手に貼っ
ちゃってさ」
「起きようとして、右手首と右足の甲あた
りが痛んだんでね。シップ薬をはりました」
種吉が訴えた。
「ふうん、もう歳なんだね。気を付けてや
るんだよ」
予想もしないかみさんのねぎらいの言葉に
種吉のまぶたがちょっとだけ濡れた。
お父様は、いま、ちょっとしたひとり旅にでていらっしゃる。
あなたのお気持ちが収まるまで、しばらくはそう思ってらっしゃるといいかもしれません。
若くして家を出たわたしは、ゆえあって父母のお骨さえ拾うゆとりがなかったのが悔やまれます。
父が亡くなって1週間が経ちました。
今までいろいろやることがたくさんあり、気が紛れていました。
少しゆっくりしている時に、父のことを考えると苦しくなりそうな気がするので、なるべく考えないようにしています。
悲しくならないように、今、父と同居しているのだと思っています。