油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

そうは、言っても。  (16)

2023-08-15 07:37:34 | 小説
 八月十五日の早朝。
 台風七号のせいだろう。ときおり、二階の
屋根を雨が激しくたたく。
 突発性難聴をわずらっていて、両の耳が聞
こえにくい種吉にしてはめずらしい。
 種吉はふと目をさまし、きょろきょろとあ
たりを見まわす。
 容易に、気になる場所に、思いの焦点があ
てられない。
 (あれは夢だったんだな。いったい誰やろ?
ずいぶんと年老いている。小男?だった気が
する。昔むかし、はやったどてらを着こんで
いた気がする。こんな季節にな。それもきち
んと身に付けてはいず、胸から下腹部あたり
までからだの前がまる見えで、ふんどしだっ
たろう。白っぽい布切れが彼の大事な部分を
隠していた)
 その小男はふと立ち止まると、ふずまの隙
間からそっと種吉の部屋をのぞきこんだ。
 にこにこ顔なのが救いだった。
 種吉は恐ろしくなり、彼の心臓がドクンド
クンと鳴り出した。
 その小男の右手が少し上がると、どてらの
袖がずるりと下がった。
 彼はまねき猫よろしく、おいでおいでをや
りだしたからたまらない。
 どこかで見た顔みたい……。
 種吉はひっと叫んだ。
 わっと叫んで飛び起きた。

 以前にもこんなふうなことがあったなと種
吉は思う。
 もう三十七年も前のこと、時刻はたしか今
回と同じくらい。
 ここまで考えて、種吉は、今度の夢の意味
がすんなり納得できた。
 (なあんや。今はお盆さまの時期だもんな。
このうちとゆかりのある方が、あちらの世界
から抜け出ていらっしゃったって、なんの不
思議があるわけはないやろう)
 種吉の頭の中のスクリーンに、このうちの
ご先祖さまが、遺影の中から、むくりと浮き
上がってきたのを思い出した。
 種吉のほうに顔を向け、ほほ笑んでおられ
た。
 「おまえさんだって、おらとおんなじ立場
だんべな」
 そんな言葉が、種吉の耳の奥で聞こえた。
 なぜだ。なんでや?と、種吉はしばらく考
えてから、ようやくその原因に気づいた。
 ほとんどの物を、新しい家がたちあがった
と同時に新居に運び入れたが、旧家の鴨居に
差し込んであった、二代前のご先祖の写真を
持ってくるのを失念していた。 
 まだ朝日が山の間からのぼっていず、辺り
はようやく白みだしたばかり。
 種吉のからだが歩くたびにふらつく。
 足もとに気をつけながら、五分ばかり、と
なりの家の庭先を通り抜ける旧家までの道の
りを歩いた。
 二代前の大黒柱も、近所からおいでになっ
ていた。
 むこ様だったのである。 
 種吉はベッドからさっさと下り、階段をす
ばやく降りた。
 洗面所で顔をあらい終えるとコップ一杯の
水をごくごくと飲んだ。
 草刈りが原因の筋肉の疲れは、もうずいぶ
んと治ってきているらしい。
 からだが動きやすい。
 大事にすりゃ、おらの身体、まだまだ動け
ると思うと、とてもうれしかった。
 台風七号は強い高気圧のはりだしのせいで、
その進路をやや西寄りに変えた。
 紀伊半島のねっこのあたりに、種吉の実家
がある。暴風雨におそわれ、建物がおおゆれ
だろう。
 でも大丈夫と、種吉は思う。
 それぞれの家のご先祖さまのみ霊がいらっ
しゃる。何か事が起きれば。すわっとばかり
に、彼らが姿をあらわしてくださる。
 ふだんは家のどこかにひそんでいらっしゃっ
て子孫たちを、じっと見守っておられる。
 自然は科学では割り切れない。
 人さまが理解できないことがたくさんある。
 お盆さまにあたって、種吉はそんな思いを
強くするのである。
 「それにしても、どてらのご先祖さま、こ
の家に半世紀にも渡って住みついている。ど
もりだしたかと思うと、やたらと片目をつぶっ
てしまう。情けないかっこうのおらに、いっ
たい何が言いたかったんだんべ?」
 彼にじぶんの言葉が聞こえれば、まして返
事がいただけりゃありがたやと種吉は思う。
 だから、その思いをわざと口に出して言っ
た。
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1 コメント

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Unknown (sunnylake279)
2023-08-15 09:38:33
おはようございます。
台風がこちらに向かっているので、とても心配です。
強風で停電にならなければいいなあと思っています。
昨日、実家から、母とご先祖様のお位牌を持って帰ってきました。
失礼のないようにしたいです。
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