JR伊勢市駅で下りる。
平日とあって、ホームに人影がまばら。構
内は閑散としていた。
その昔、伊勢路は大変な混雑で、性根のい
い人もいれば、そうでない人もいる。
てんやわんやの大騒動が繰り返された。
国内の東西から、年中、もうでた。
やじさんきたさん。東海道中膝栗毛のお話
が有名である。
鎖国が長くつづき、庶民はうっぷんを晴ら
せないでいた。
閉塞感がつもりにつもった。
どこかにはけ口がほしかったのだろう。
伊勢もうでの熱気が天を衝くいきおいに
なるのに、それほど時間がかからなかった。
伊勢音頭をうたい、おどりにおどった。
一揆でも打ちこわしでもない。
ガス抜きになると、権力者は見て見ぬふり
をした。
ふるさとは、奈良。
百歳近くの父は健在だが、亡き弟の嫁が世
話をやいている。
旅行のついでに立ち寄ろうと思ったが、そ
んな理由を考慮して、中止にした。
奈良では、伊勢はお伊勢さんと、人々から
親しげに呼ばれた。
人を募り講を組み、年ごとに参拝する。
そんな風習が長くつづいた。
子どもだったわたしは、きっとどこかにそ
んな名前の人がいるのだろう。
そう思っていた。
えらい静かやなと、駅前から外宮にいたる
通りを歩きだした時、再び思った。
それも、ここ二十年くらいの間の出来事の
ようである。
駅前から、ジャスコや三交などの大型店が
郊外に移った。
伊勢神宮は、女神をまつる。
わたしはその名を知らない。まったく不信
心なことである。
なにさまのおわしますかはしらねども、あ
りがたさになみだこぼるる。
誰の句だったか、浅学のわたしは忘れてし
まった。
友人Wとふたりと、並んで通りを歩く。
せがれは三歩くらいしりぞいている。
彼なりに、気をつかっている。
病を背負った身なのに、とうれしかった。
「この道は外宮に通じているんだよ。おま
えは初めてだよね。お父さんだって、実はそ
うなんだ」
「あっ、そうなんだ。おれ、伊勢に来たこ
とあるけど、こんなとこじゃない。ぜんぜん
様子がちがうもん」
せがれはまわりを確認するように、ゆっく
り首をまわしながら応えた。
「お父さん、大きな鳥居と木の橋がないよ。
だから外宮なんだね。内宮とちがうんだ。良
かった。ふたつ見られて。くわしいことはわ
かんないけど、これでもうほとんど、おかげ
参り完了だね。ああ良かった」
せがれはとびきりの笑顔をつくった。
「そうだな。これで、やっと、おまえは健
康をとりもどせるぞ」
わたしはふり向き、力強く言った。
おかげ参りの意味合いは、本来のものと異
なるかもしれない。
だが、プラス思考は体にいい。
長年、子どもたちの学習に付き合ってるが、
叱るよりほめろだ。
ほめることで、閉じた脳がひらく。
喜ぶことで、脳が動きやすくなる。
ふいに、友人Wがわたしたちの話にわって
入った。
「Kさん、おなかすかないかい。おれ車内
で、サンドイッチを食べたきりだから」
腕時計をみると、正午をまわっている。
「わかった。どこかで何か、食べることに
しよう。ええっと食堂かレストランは、と」
通りに面した、派手な看板をしょった大き
いレストランが見あたらない。
むかし茶店と呼んだ、間口の小さな店が眼
に入った。
返馬餅。
なんと読めばいいのだろう。
名物らしい餅を注文した。
お茶付きで五百円だったが、ちょっと高い
気がした。
これだけで、空腹がおさまるはずがない。
次は、ご飯ものをいただける、本格的な店
をと、歩きだした。
路地に入りこんだりしながら、あちこち歩
きまわる。
結局大通りに面した古ぼけた食堂に入った。
伊勢うどんの看板が眼についたのだ。
むかしの賑わいは、すっかり影をひそめた
が、その代わり、しっとりした情感が街にた
だよっている。
軒を並べる食べ物屋の玄関の飾り付けがな
んとも貧相。
店員の案内がない。
食券を買うんだろうと、わたしたち三人で
券売りの器械をさがした。
「なんだかサービスわるいね」
せがれが暗い顔で言う。
よほど空腹なんだろう。
「だいじょうぶだから。すぐに食べられる
からね」
と、わたしは応じたが、この辺りの様子がまっ
たく解らない。
厨房で働く男の人がふたり。
ぜんぜん、そこから出てくる気配がない。
ならば、とわたしは、ようやく見つけた器械
の穴に千円札をすべりこませた。
食券を手にし、テーブルにすわった。
しばらく待ったが、やはり店員は来ない。
しかたなく、問いかけづらいのを我慢し、調
理場の人間に訊ねた。
「そっちじゃない。こっちからだよ」
厨房に訊ねに行くのにも、順序があるようだ。
ぞんざいな言葉づかいにあきれたわたしは、
わざとつんとした表情をつくった。
(売ってやるんだ。食わしてやるんだ。そん
な態度は、今どきはやらないぞ。そのうちつぶ
れてしまうから)
こころでそう思っても、口には出さない。
やっと出されたどんぶりの中をのぞきこむ
と、太いうどんがしょうゆ色の液体のなかで
泳いでいた。
「おいしいね。うまいね」
わたしは、わざと聞こえよがしに言った。
怒っているのではない。
三重はお隣さん。
ぴりりと辛い言いっぷりは、積極的な応援だ
と善意にとっていただきたい。
平日とあって、ホームに人影がまばら。構
内は閑散としていた。
その昔、伊勢路は大変な混雑で、性根のい
い人もいれば、そうでない人もいる。
てんやわんやの大騒動が繰り返された。
国内の東西から、年中、もうでた。
やじさんきたさん。東海道中膝栗毛のお話
が有名である。
鎖国が長くつづき、庶民はうっぷんを晴ら
せないでいた。
閉塞感がつもりにつもった。
どこかにはけ口がほしかったのだろう。
伊勢もうでの熱気が天を衝くいきおいに
なるのに、それほど時間がかからなかった。
伊勢音頭をうたい、おどりにおどった。
一揆でも打ちこわしでもない。
ガス抜きになると、権力者は見て見ぬふり
をした。
ふるさとは、奈良。
百歳近くの父は健在だが、亡き弟の嫁が世
話をやいている。
旅行のついでに立ち寄ろうと思ったが、そ
んな理由を考慮して、中止にした。
奈良では、伊勢はお伊勢さんと、人々から
親しげに呼ばれた。
人を募り講を組み、年ごとに参拝する。
そんな風習が長くつづいた。
子どもだったわたしは、きっとどこかにそ
んな名前の人がいるのだろう。
そう思っていた。
えらい静かやなと、駅前から外宮にいたる
通りを歩きだした時、再び思った。
それも、ここ二十年くらいの間の出来事の
ようである。
駅前から、ジャスコや三交などの大型店が
郊外に移った。
伊勢神宮は、女神をまつる。
わたしはその名を知らない。まったく不信
心なことである。
なにさまのおわしますかはしらねども、あ
りがたさになみだこぼるる。
誰の句だったか、浅学のわたしは忘れてし
まった。
友人Wとふたりと、並んで通りを歩く。
せがれは三歩くらいしりぞいている。
彼なりに、気をつかっている。
病を背負った身なのに、とうれしかった。
「この道は外宮に通じているんだよ。おま
えは初めてだよね。お父さんだって、実はそ
うなんだ」
「あっ、そうなんだ。おれ、伊勢に来たこ
とあるけど、こんなとこじゃない。ぜんぜん
様子がちがうもん」
せがれはまわりを確認するように、ゆっく
り首をまわしながら応えた。
「お父さん、大きな鳥居と木の橋がないよ。
だから外宮なんだね。内宮とちがうんだ。良
かった。ふたつ見られて。くわしいことはわ
かんないけど、これでもうほとんど、おかげ
参り完了だね。ああ良かった」
せがれはとびきりの笑顔をつくった。
「そうだな。これで、やっと、おまえは健
康をとりもどせるぞ」
わたしはふり向き、力強く言った。
おかげ参りの意味合いは、本来のものと異
なるかもしれない。
だが、プラス思考は体にいい。
長年、子どもたちの学習に付き合ってるが、
叱るよりほめろだ。
ほめることで、閉じた脳がひらく。
喜ぶことで、脳が動きやすくなる。
ふいに、友人Wがわたしたちの話にわって
入った。
「Kさん、おなかすかないかい。おれ車内
で、サンドイッチを食べたきりだから」
腕時計をみると、正午をまわっている。
「わかった。どこかで何か、食べることに
しよう。ええっと食堂かレストランは、と」
通りに面した、派手な看板をしょった大き
いレストランが見あたらない。
むかし茶店と呼んだ、間口の小さな店が眼
に入った。
返馬餅。
なんと読めばいいのだろう。
名物らしい餅を注文した。
お茶付きで五百円だったが、ちょっと高い
気がした。
これだけで、空腹がおさまるはずがない。
次は、ご飯ものをいただける、本格的な店
をと、歩きだした。
路地に入りこんだりしながら、あちこち歩
きまわる。
結局大通りに面した古ぼけた食堂に入った。
伊勢うどんの看板が眼についたのだ。
むかしの賑わいは、すっかり影をひそめた
が、その代わり、しっとりした情感が街にた
だよっている。
軒を並べる食べ物屋の玄関の飾り付けがな
んとも貧相。
店員の案内がない。
食券を買うんだろうと、わたしたち三人で
券売りの器械をさがした。
「なんだかサービスわるいね」
せがれが暗い顔で言う。
よほど空腹なんだろう。
「だいじょうぶだから。すぐに食べられる
からね」
と、わたしは応じたが、この辺りの様子がまっ
たく解らない。
厨房で働く男の人がふたり。
ぜんぜん、そこから出てくる気配がない。
ならば、とわたしは、ようやく見つけた器械
の穴に千円札をすべりこませた。
食券を手にし、テーブルにすわった。
しばらく待ったが、やはり店員は来ない。
しかたなく、問いかけづらいのを我慢し、調
理場の人間に訊ねた。
「そっちじゃない。こっちからだよ」
厨房に訊ねに行くのにも、順序があるようだ。
ぞんざいな言葉づかいにあきれたわたしは、
わざとつんとした表情をつくった。
(売ってやるんだ。食わしてやるんだ。そん
な態度は、今どきはやらないぞ。そのうちつぶ
れてしまうから)
こころでそう思っても、口には出さない。
やっと出されたどんぶりの中をのぞきこむ
と、太いうどんがしょうゆ色の液体のなかで
泳いでいた。
「おいしいね。うまいね」
わたしは、わざと聞こえよがしに言った。
怒っているのではない。
三重はお隣さん。
ぴりりと辛い言いっぷりは、積極的な応援だ
と善意にとっていただきたい。