油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

晩秋に、伊勢を訪ねて。  (9)

2020-02-23 17:21:23 | 旅行
 「ひょっとして、これ、どなたかのお忘れ
物じゃありませんか」
 リーダー格とおぼしき仲居さんがテーブル
の間を歩きながら声をあげる。
 小ぶりの黄いろのタオルに、何かがくるま
れているようだ。
 わたしはハッとして、顔をあげた。
 ようやく、財布やら腕時計やらが見あたら
ないのに気づいたわたしは、思わず、右手を
あげた。
 「すみません。わたしです」
 と、消え入りそうな声で言った。
 「良かったですね。うちの若い子が気づい
たんですよ」
 「ほんとにありがとうございます」
 わたしのものだけじゃなく、せがれのもの
まで、預かっていた。
 本来は部屋にある金庫にしまうべきもの。
 器械にうといわたしは宴会場まで持参して
しまっていた。
 何かの拍子に、それをどこかに置き忘れた
のだった。
 もしもなくなっていたら、と思ったとたん、
背中をつめたいものが走った。
 「お父さん、しっかりしてよね」
 テーブルに置かれた財布を、せがれはひっ
たくるようにして、彼のずぼんのポケットに
しまいこんだ。
 いっせいに注がれる他人の視線。
 それらをいつまでも受けているのが辛い。
 わたしはしみやしわの多くなった顔を、窓
に向けた。
 ほぼ真っ暗、海の色が定かではない。
 ただぬめぬめとし、時折、月の光を受けて
きらめくばかりだ。
 とてつもなく巨大な何かがうごめいている
ようにしか感じられた。
 黒い島影が点々としている。
 ふいに、東日本大震災の記憶がよみがえっ
てしまい、わたしはあわてて視線を部屋にも
どした。
 若いころなら、こんなとき、いやなことば
かり思い出し、ずっと不愉快な気分が続くの
だが、年老いた今となっては、自分のこころ
の安定を図るすべを心得ている。
 過ぎ去りし幸せだった時分を思いだし、そ
の余韻にひたった。
 四十年前の夏、せがれは三歳。
 わたしは学習塾を始めて三年経ち、ようや
く家族を養える収入を得ることができていた。
 幸運にも麻屋先生と出会ったからである。
 見ず知らずのわたしを、「アサヤ塾」の講
師として迎えてくださった。
 麻の商いで、遠く近江や関西まで出かけら
れたことがおありのようである。
 先生なくして、今のわたしはない。
 思い出はつづく。
 のちに歌手の鳥羽一郎や山川豊を生んだ相
差(おうさつ)の浜辺を、ふるさとの家族と
共に散策した。
 「ほら、見てごらん」
 五十四歳の父が、履いている靴が濡れるの
もかまわず、波打ち際にしゃがみこんだ。
 大人の頭くらいの石を、白いカッターシャ
ツの袖をまくり、わきに寄せる。
 小さなタコがするりとあらわれるのを、せ
がれは目をまるくして見つめた。
 海女さんたちの働きも忘れられない。
 ひゅうっという音。
 それを幾たびか耳にした。
 彼女たちが海面に浮きあがるたびに、発せ
られるのだ。
 それは生きている証。
 海底まで泳がなけりゃ獲物は捕らえられな
い危険のともなう仕事である。
 ひとつ間違えば、命を失くす。
 夫は小舟をあやつり、命綱をにぎる。
 綱を頼りと、妻は深い海にもぐる。
 懸命に、海女たちは神さまに祈る。
 伊勢にまつられている神さまは、きっと海
女さんたちの願いを聞き届けてくださるに違
いない。 
 「お父さん、早く食べなきゃ。おいしいも
のが全部、なくなっちゃうよ」
 せがれの声に、わたしはわれに返る。
 ああそうだな、ともの思いにふけっていた
わたしは、よいしょと立ち上がった。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
コメント
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