雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

背広

2006年10月24日 | 徒然
 私はサラリーマンである、毎日背広にネクタイを締めて会社に出勤する生活を30年間続けてきた。
 そこで気にかけることは、毎日同じ背広に同じネクタイはしないということ、3,4着の背広を日々回しながらワイシャツとネクタイのコーディネートを変える、決して洒落ているわけではないが、着たきりスズメと思われたくないという意識が働いているのは確かだ。

 でもでもなのである、自分は意識的に背広やワイシャツやネクタイを変えているのだけれど、会社の上司・同僚・部下が、昨日、どんな背広・ワイシャツ・ネクタイ姿だったのかと思い出そうとしても、全然頭に浮かんでこない。
 彼らと会話した内容は覚えているのに、彼らのいでたちは全く思い浮かべることが出来ないのである。

 ということは、日ごろから、彼らの姿・形と接していることを重視しているのではなくて、彼らの人となりを重視して接しているということになるのだろう。

 であるなら、自分が意識していた背広・ワイシャツ・ネクタイを変えることなど、誰も注視などはしていないということ、それより、その時言った言葉、その時とった態度が相手には記憶としてして残るということなのだ。

 姿・形は記憶として残らないけれど、その人の思い・ポリシーは強く印象として残るということ、それが人間なのだろう、だから人間なのだろう、と少し思った今日なのである。
コメント
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