2012年に誕生した日本維新の会。大阪しせいも碌に出来ていないだろう橋下が、国政進出を狙って発足した政党。橋下の名に引かれ、自民や民主、みんなの党を辞職した国会議員達が集まり、後には東京都知事を辞職した石原がちあがれ日本から太陽の党を創設し、合流した。
太陽の党が合流するまでは橋下が代表だったが、石原が代表となる。だが、今年になり共同代表制なんてのを作り、橋下と石原が共同代表となった。
昨年の衆議院選挙が行われたのは12月で、約1年。たった1年で離党だけでは無く、国会議員まで辞職してしまう。普通、離党した国会議員達は無所属として活動してるんじゃないかなとも思えるんだが、東は国会議員を続行しようとはしなかった。
東の突然の辞職と、猪瀬知事の不祥事を思わせる行動から東京都議会が荒れ模様となり、昨年の12月に行われたばかりの東京都議選が再び行われるんじゃないかと予測される様になっているが、東はこれが実行された時に立候補する為に、国会議員を辞職したんじゃないかと推測される様になっていた。
だが、このマスコミの推測を払拭する目的もあったのか、突然に日本維新の会には東西の纏まりが無いと発言している様で、特に12日テレビ番組で「老練で、自民党の中心に30年、40年いた永田町の妖怪。戦うのはえらいことだ」と東側を批判し、それを離党の理由としているみたいだ。
マスコミの推測が正しいのか、東のテレビ番組での発言が本当に離党及び国会議員辞職の理由なのか、どちらが正しいのか分らないけれど、東はブログにも、維新の会は二元体制となっており政策に一致する事は無く、政党として有機が機能していないと批判的に書いているみたいだが。
実際に、政府がトルコとへの原発輸出を可能とするトルコとの原子力協定を締結した事に関し、維新の会は国会総会をやった様だが、石原の太陽の党側は推進する様に主張したが、大阪維新側は拒否する主張を行い、東西は真っ向からのぶつかり合い。過去からも東西のぶつかり合いは多々ある様で、東の言うように維新の会の政策計画に一致するような事は無いだろうし、政党としての組織は完全に東西に分かれてバラバラの状態。
日本維新の会が政党として、有機の機能が不全状態となっている事は間違い無いだろうな。
橋下は、維新の会はまとまっていると言っているみたいだが、単に虚勢を張っているだけだろう。こんな状態にある政党を、まだ信頼できる期待できると意識している有権者は現在ではどれだけいるんだろうか。
橋下は江田の行動を指示し、野党再編を訴えたりしたが、そんな事訴える前に、自分の政党をまともな状態にする事が先なんじゃないのかな。
合流している組織は全く相容れないのかもしれないが、それを何とかまとめ一括すべきが代表の役目。代表を2人も置いている事も可笑しく思えるが、橋下も代表の一人。石原とはしっかりと協議を行い、政党を纏めていなかければならない立場の者。
石原とどれだけの協議を重ねているのかなど全く知らないが、結局は石原もそうだろうが、政党を一括できない代表である橋下。
維新の会の代表としての役目を果たす事が出来てもいないのに、国政に野党再編など訴えても余り意味無いんじゃないかと思うんだが。