昨年中はご訪問された皆様には大変お世話に成りました。
本年も全く進歩は望めませんがどうか宜しくお願い致します。
小彼岸桜
昨年中はご訪問された皆様には大変お世話に成りました。
本年も全く進歩は望めませんがどうか宜しくお願い致します。
小彼岸桜
さて今回の未だ行ったことないお寺、今度は「吉峰寺(よしみねでら」です。
境内は3万坪と巨大です。一周約30~40分の回遊式庭園になっています。
「そうだ、京都へ行こう」のモデル寺なんですね。
雨は降ったり止んだりしています。
ご覧の様に駐車場はガラガラ。完璧にシーズンオフですね。
山門(桜門)。1716年建立、三間一戸の楼門形式のお堂です。
楼下の金剛力士は、運慶作で源頼朝寄進と伝えられています
山門を奥に進むと石段の上に観音堂(本堂)が有ります。
山門の裏側。
観音堂。元禄5年(1692)建立、桂昌院の寄進により再建された入母屋造のお堂です
手水舎。
何処かでこういう建物と配置を見たことあるが、決まり文句ジャーないけど、お寺の決まり建物かなー。
多宝塔のある所へ石段を登ります。
鐘楼堂。
貞享3年(1686)、桂昌院により建立されました。徳川5代将軍綱吉公の厄年にあたり寄進され、“厄除けの鐘”と云われています。
護摩堂。元禄5年(1692)桂昌院により建立されました。
「日本一の松」遊龍松。余りに長くて旨く撮れません。
五葉松で樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物に指定されています。
主幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ様に見えることから、安政4年(1857)、花山前右大臣家厚公により〝遊龍〟と命名されました。
平成6年に松くい虫の被害により、全長50mほどの松が15m余り切断され、現在は全長37mとなっています
多宝塔。国の重要文化財。
吉峰寺、其の2へ続きます。
雨の光明寺 (京都) 其の2 最終 です。
光明寺って来てみると、可也有名なのか、大型バスが頻繁に来ていた。
雨が又降り出してきた。少し遠方は霧で霞んで見えない。
長い下り階段の手すりの外の灯篭。
勅使門1。
勅使門2。
竹、土塀、紅葉。
室内から外に出て、出口へ向かいます。色々な名物を味見させてお土産を売ろうと、真剣です。私等も何かを買って来ました。
紅葉のプロムナード。
この参道、 紅葉参道と云うらしい。
境内の地図をネットで調べてたが、漢字がハッキリしなくて読めず、この門の名前は分かりません。
紅葉参道の落ちモミジ。
門の外から中を撮って居ます。
色々な色が交差してます。
こちらの方が落ち着いて見れます。
濡れた石畳は滑ります。
境内から出て駐車場へ向かう途中で。
雨の光明寺、終わります。
法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた光明寺 其の1 です。
総門。車は歩いて3分位の所の駐車場へ置いてきた。
参道の段差の少ない石段の途中で振り返る。
雨の中で輝いて(?)いた。
二人の雰囲気満点。
迂回路。いいですね。
雨もどうやら傘も要らないほどになった。
御影堂。
イヤー、紅いこと。
法然上人の向こ鐘突き堂。
鐘の前に間も無く落下しそうな黄葉。
これから赤く成るのかしらね。
キョロ目。
霧の中の黄色、緑、朱色。
格好良い石垣。
其の2へ続きます。
雨の天満宮 (京都) 其の2 最終です。
社殿1
社殿2
長岡稲荷大明神。奥までは行かず。
この二人の銅像は親子の様です。左の方はこの社殿の改築、八条ケ池に石堤を築き、キリシマツツジの保護育成に努められたそうです。
右の方は昭和16年に平安神宮旧本殿の拝領 移築という大事業を成し遂げたそうです。
其の1で書いた「子牛」
大手の造り酒屋の酒樽。こうなると競争ですね。
宮司さんらの家か。
何か趣が有ります。
濡れ落ち葉に乗って滑らないように気をつけながら降ります。
降りて振り返ります。
少しでも紅葉が付いていて良かった。
シーズン中は混み合うでしょう、お茶屋さんか。
自然いっぱいの屋根。
雨が降っていたので、この風景を撮って次の目的地へ向かって仕舞いました。実は未だ奥が有ったのに。
天満宮を後にします。
長岡天満宮を終わります。