天空の城 竹田城跡 其の2 最終 です。
竹田城跡は石垣遺構としては日本屈指のもので平成18年には日本城郭協会により
「日本100名城」に選定されました。
築城は1440年代。資料が乏しくハッキリしないことが多い様だ。
1431年に山名持豊によって築城され、初代城主に太田光章が成った。室町時代の事である。
其の後、戦国時代、安土桃山時代を経て、豊臣秀吉の異父弟の羽柴秀長が1567年にコノ城に入る。
更に1579年以降秀吉は異父弟の羽柴秀長を有子城主に据えた。
織田信長の命を受けた秀吉は中国攻めが起こると、初めこそ敵外していた赤松広秀を1577年に降伏させた。
羽柴軍の配下になった赤松広秀は、信長の死後、秀吉に従い、中国大返し、や、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い(1584年)、
小牧、長久手の戦い(1583年)、小田征伐、朝鮮出兵などで武功を挙げた。⇒竹田城に最後の城主になる。
赤松広秀は、関ヶ原の戦いで西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めたが、敗戦した。が
鳥取城攻めに加わり落城させたが、城下の大火の責任を負わされ、
家康の命により1600年鳥取の真教寺にて切腹。
其の後、家康の命令で竹田城は廃城にさせられて仕舞う。
どんな時代でも、制圧とか制覇の証は敵の城を破壊する事なんですね。(勿体無い)
ひっそり咲いていた ササユリ。連れFZ200での撮影。
連れFZ200での撮影。
連れFZ200での撮影。遠方のサテライト。
天空の城 竹田城跡 完了します。