鉄道模型工作記録帳

モデルアイコン・札幌コムモデル情報は下記に移動しました
http://blog.goo.ne.jp/modelicon

トラムウェイのDD13をどうにかする15

2011-01-14 02:59:00 | 北海道の私鉄!

半スランプから既に半月。
というか、仕事にかなりの全力尽くさざる得ない年末年始&仕掛け時期というのはあります。


ここからスタート。


煙突の根元支えです。


馬蹄そのもの。


ここにそっと貼り付けます。



ここはまだ頭が整理ついて居ていないんですが・・・
捨てるボンネットのキャブ部分内張りです。

このようにまずはカットしてみて


リブ削って




ここに嵌めてみる。
コレ活かしてストッパーを作れないか思案中。

このままダイキャストフレームに接着していけば楽ですが、ランボードをはずせなくなります。


このように凹みがあるのを利用したいのですね。


0.5mm×2.0mmのプラ材を


貼って


キャブ内側に仮固定してキャブを入れればパチンと嵌るかなぁト思ったんですが

じつはそう旨く行かず、もう一度考え直しです。
前まではランボードに車体ねじ止めかなと思ったんですが、結局ランボーをもゆがめてしまう可能性があり却下。
ランボードも車体とともにダイキャストフレームに押さえつけるようにしないとならんのですよねぇ。


とりあえず


夕張鉄道の社紋を張っておきます。


ど-したもんやら。
あと付ける部品は票挿しだけなんですが・・・

ボンネット手すりの半田がきれまくってコレも困った大変だ。



    ↑なんかこう・・・・疲れがすぐ蓄積して調子かなり悪いです。


トラムウェイのDD13をどうにかする14

2011-01-13 02:39:00 | 北海道の私鉄!


グリルを移植します。


ちなみに元製品の手すり。
ナイロンと金属の混合でした。
どちらも取り外すのは容易ではありません。


後戻りできない図。


めちゃくちゃになるお顔。


嗚呼。


ごろん!


やっちゃった・・・。
もう戻れません。



淵をカットしていきます。


爪きりの要領で


真円に切り取ります。


そっと嵌めこみ、微調整に時間を掛けます。




張り込みました。


続いて


こちらに刃を入れ込みます。


必要なのはこの部分。


寒地型改造の意味である、補助バッテリーボックス。


一端嵌めて


ツライチに削れば冶具の完成です。


こちらに当て込みます。
量産時には最初から穴が開くことでしょう?


キリキリ


1.1mmで穴をあけると良いです。


ぴったり嵌ればいいのです。


嵌るまでアナを微調整します。


ボンネットの長さは丁度良かったことがわかる。




    ↑社紋は間違って雄別鉄道のものを張ったことにお叱りを頂きまして一度はがしました。
諸先輩に暖かく叱って貰えるだけ、ありがたいことです。いや、本当に。

あ、指摘屋に言われるとカチンときますけど。


トラムウェイのDD13をどうにかする13

2011-01-12 04:18:00 | 北海道の私鉄!

二日半ほど振り?

正月ボケと言われりゃそうかも知れませんけど、
ようやく年末の状態から復帰傾向にあるこむめです。

だからアリバイ的にしか工作進んでいません。

てか
土曜日から4555分もある長編「アニメ」なんぞをついつい見入ってしまい・・・。
えーーっとその。
小説で中学生の頃に読んだものを20年以上も経って、おっさん一人で自室に篭り、見切ってしまったという逃避行動にありまして。

かなり飛ばし視聴にも拘らず。
えーーーと。

楽しかったですハイ。



数年前、同人レベルで作った夕張鉄道と雄別鉄道の社紋です。


栗山町に保存されている夕張鉄道21に張り付いている社紋からトレースしたものです。


何するって、簡単なことで
穴を開けて

位置決めて


浦から低粘度瞬間接着剤を流し込むのみです。

以上!


    ↑まぁ、遅くてすいませぬ。


トラムウェイのDD13をどうにかする12

2011-01-10 00:21:00 | 北海道の私鉄!

夜の部。

スーパー銭湯で骨抜きになったこむめです。


0.25mmのプラ材を


カットして嵌めます。


はい、ノミ~


幅2mm×1mmのプラ材に600番やすりを張ったもので


削り削り


埋めは仕上がった。


が、浮いている。
これはアングルで押さえつけちゃおう。
時間が無いし。

(後でどーなっても知らないんだー)


どちらにしても試作品であるこの材料は、フレームとの接合が無いので、さっきの角っこ四隅にねじ切りアングルを飛び出させて固定するのが一番のようです。




    ↑あと、左の機器箱は暖地型のを持ってくると早い。これは削らなきゃいけない。


トラムウェイのDD13をどうにかする11

2011-01-09 22:21:00 | 北海道の私鉄!

お昼の部。
といっても家族に諸々でほとんどできず。


プレートは不要です。


0.25mm×2.0mmのプラ材でぴったり埋まります。


低粘度瞬間接着剤を垂らしてノミで削り


400番~600番~800番~1000番でフィニッシュ。

次は銘板埋め。



    ↑嫁の勧めでスーパー銭湯と整体をやったらかなり楽になってきました。


トラムウェイのDD13をどうにかする10

2011-01-09 01:41:00 | 北海道の私鉄!

締め切りがある工作。
20日までなんですこれ。

でも年末の忙しさで正直、体調絶不調。
年が明けてもこんなんですからゆっくりとやるしかありません。
家族サービスもちょっと必要ですし。

あ。
近々、また商船三井のフェリー利用しまーす!
直前で自分ではなくなりかもしれませんが。


さて、逆エンド。
この状態を削り込んでいきます。


やすりを3本使い、こりこりと慎重に


削っていくんです。
量産品ではこの部分をぴったりするにはどうすればいいか検討中。
こんな作業正直意味が薄く作りにくいですから。


合いません。


応力で浮いちゃうキャブ。


耐水ペーパーをプラ棒に張ったもので微調整。


つめ隙間も瞬間接着剤で埋めて仕上げ


どーかなー?


収まったかなぁ~?

DD1001同人頒布、現在募集中です。
現在のところ約20個生産予定。

ネットでは一件応募いただいております。
(まだお返事差し上げてません)

流石にHOは反応薄いかww



    ↑これからは名古屋臨海再追記


【再補追】名古屋臨海鉄道東港見学のこと

2011-01-08 20:37:00 | 模型工作雑ネタ日誌

なんと臨鉄運転士さんからコメントをいただきまして、マニアの思い過ごしの部分などを訂正いただきました。
謹んで感謝申し上げます。
(追記部分は赤文字となっております。
再追記は青となっております。検証のために元文も残してあります


2002年のこと。

名古屋臨海鉄道に見学の申し入れを行い、菓子折り片手になんとか(家族でw)見学が許されたときの写真です。

翌年にテロ特措法発効で臨海鉄道は原則見学禁止となり、これっきりになってしまったときのものです。



機関庫に収納されていたND5523
名古屋臨海の形式はN(名古屋)D(ディーゼル機関車?)55(55t系マシン)2(エンジン二個)という符番とのことで、見た目「ND55 23」と23号機に見えますが、これは3号機と言うことになるそうです。
【追記】
コメントを見ると、例えばこの車は「23号車」と通じてらっしゃるようです。
当時聞いた説明を私が聞き勘違いしたのかもしれません。

【頂き再追記】
機関車の番号の事
ND552←ココまでが形式 2 号車番号
なのですが、**(専門用語略)**呼称が
**(専門用語略)**22=ND5522
なので、現場通称22号車で通ってます。
ですのでカマ番は
(22・25・12・218は廃車解体)
23・26・27・28・29・10・213・215・216・217
と呼んでます。


【こむめの感想】
・・・ここで面白い部分は、オリジナル通番2桁の車はエンジン数「2」をはずすのですね。
勉強になります。
それにより確かに解りやすく呼称3桁だと自動的に非重連名古屋ターミナル常駐車両になりますね。
一部公開すべきではないと感じました部分は伏せさせていただきました。ご了承ください。


ぱっと見た限り、国鉄DD13そのものに、片栓構造の重連繋ぎのジャンパ栓があるようなものですが、このマシン、早速変形機だそうで。
のちにちょっと解説できるかもしれません。



ND55210
つまり10号機。210号車と訂正
名古屋臨海鉄道のオリジナルマシンで、台車は軸バネ方式のNL8B台車、燃料タンクも小容量。エアタンクもDD13初期モデルのように燃料タンクの両脇に抱えたもの。
過去には消音器が取り付けられていたそうです。
【頂き注釈】
オリジナル台車の形式は「NL6B」といいます。
N・・・日本車輌
L・・・低速(45km以下)用
の6番目のB型の意だと思います。




ですが、ボンネットはDD13の後期型を基本にヘッドライトを別付けしたよなもので、側面上部グリルはメッシュではなくガラリ方式となっていることが特徴ですね。
片栓ジャンパはちょっと面白い取り付け方をしております。
210号車の過去写真を見ると、煙突に加工点が見られます。この時点では無いので、煙突はほか車両の備品転用かもしれません。



ND5527
つまり7号機。217号車と訂正
10号機との差はテールライトが左右原型と言うことでしょうか。
またキャブのひっかけ金具に差異が見られます、
後ろの機関車は煙突に消音マフラーが見えますね。
【頂き注釈】
29号車のマフラーの上のは「消音器」でなく、「マフラーカッター」の一部分ですね。煙筒断面も微妙に違います。



そのND5529
マフラーがポイントの若干変形機。
テールライト周辺が黒く塗装されているのが目立ちます。

廃車と見られる留置です。
【頂き再注釈】
廃車群のカマのこと
来駅の際、撮影されました廃車体の内で
シートがかかっていた3両はDD13そのものです。
部品取り車として国鉄から買った車体でしたが
昨年9月頃惜しくも解体されました。



ND5522≪解体済≫
つまり二号機。22号車と訂正
見学の直前に離脱したとのこと。
煙突がどこかに持っていかれています。
銘板がはずされておりません。
使用停止ホヤホヤだったのでしょう。



ND55212≪解体済≫
つまり12号機。212号車と訂正
一見、DD13後期型ですが良く見ると下回りは名古屋臨海オリジナルマシンの一式と似た雰囲気(実は違う)になっております。
これも壮絶な歴史を持つ変形機であることがのちにわかります。



番号不明推測ND55217 217号車≪解体済≫
どうみてもDD13であり、非重連塗装です。
大きな消音器(マフラーカッターと訂正)が目立ちます。



先のND55210から移植されたものらしいのですが、知多オイルターミナル入替受託終了となって除籍を受けたものとのこと。



番号不明推測ND55218 218号車 再訂正・・・これは国鉄DD13現姿部品用3台のうちの一台≪解体済≫
やはり元国鉄DD13ですが、エアタンクが持ち取られていたりするのですっかり部品取りになっている姿です。
218はこの時点で解体済みとのこと。

3台と言うのは記憶に薄いのですが、
確かに奥にももう一台見えます。
更にもう一台あったのですね。



ND5525 25号車
見た限りとてもプレーンな名古屋臨海オリジナル。



ND5528 28号車
違いが見られることはなさそうです。
ヘッドライトが背面絶壁であることがわかります。
あ!よく見ると25号車27号車群と28号車29号車210号車群でボンネットサイド上部のグリルの形が違う!!




何度かここで披露している元苫小牧埠頭のND55216? 216号車
?というのは初代ND55216が居たから。
それは国鉄DD13だったそうです。
元苫小牧D5605だそうです。
というか、この機関車を見るためにお願い倒したのです。



全般検査のためバラバラでした。



ND55213? 213号車
やはり元苫小牧埠頭D5604
苫小牧最期の稼動車はここに集結しました。
十勝鉄道~室蘭製鉄所のD5606は新しいにも拘らず不調で後半は離脱していたそうです。
【頂き再注釈】
元苫小牧のカマも、名古屋タの連日の激務で機関故障を頻発するようになりました。

【こむめ感想】
旭川のD5603は既に予備化、十勝のD5606は製鉄所入りと、「見える形で」フルに稼動しているものは名古屋だけになってしまいました。名古屋でもちょっと形が違うエンジンのはずのこれらのメンテナンスは、エンジン数でたった4機。少量の機械を扱うのは大変なものがあると思われますが末永い活躍を願うばかりです。





苫小牧時代との差は、塗装ももちろんですが、ラジエターのフィンが全て撤去されていたこと。




ND55213?の運転台。
十勝鉄道で撮影した元D5606のものと実は若干異なります。

D5606の運転台↓



すごい微妙な差ですが、スイッチやメーターのパネルが結構異なります。

さて、変形機で知る限りのこと。


ND5523は元々ND552のオリジナルでND5527などと同じであったはずなのですが。旧国鉄DD13 233そのものとそっくり入れ替わってしまったものだそうで。
籍引継ぎのみだそうです。
確かに、ボンネットもそうですが、台車もエアタンクを抱えていますから、納得するものがあります。
ただ、重連装備がオリジナルのままです。

ほかの一説では「フレームは元のまま」
と言う話も。
じゃ燃料タンクは・・・・?
現車は大型2000リットルタンクを吊っております。
DD13で重連化改造されたと見るのがやはり正しい気がしますが、ジャンパ栓関係の細かい位置や部品、切り方もオリジナルと全く相違なく、端梁は元のを移植・・・?

なんとも微妙に不思議な車です。



ND55212
これがほか写真で見ると時代ごとにまるでスタイルが違う。
元番号はDD1312
つまり国鉄DD13の最初期型。
最初は大目玉一つ目のイコライザー台車。
そこに
DD13360から台車とエンジンとボンネット一式と移植してしまったとのこと。

但し、時期的にはボンネットを先に交換し、台車を最期に取り付けたので、上回りがDD13後期型で台車がイコライザーという時代もありました。
台車をDT113に移植後はエアタンクは燃料タンクの横にありますので持ってこないことであり、ごらんのようなスタイル。
DT113ウィングバネ台車でエアタンクを抱えない、全国的にも稀な組合せのDD13となっていたものです。
予備知識で、2つ目のイコライザー車があるらしいと注目しておりましたが、違う変形機となっていたことに驚いたものです。

エアタンクを抱えないと、概ね軸バネ式台車酷似になるだけに軸受けの左右に鶴巻バネが見えるエアタンクなし車はここ以外見たことがありません。
【頂き注釈】
212号車の台車振替は、心皿形状の理由からこの台車に振替えられてます。
この写真の廃車群は、既に一部を除いて解体されました。




転出機ND55219
名古屋臨海で役目を終えた元国鉄DD13226
四日市の太平洋セメント専用線に移動。
四日市に着てからはテールライトが自動車用に。

またほかに45tマシンなどが2台あるため2エンジンのこの機関車は燃費が悪いなどの理由で予備役になっております。




ところどころオレンジ色の旧国鉄色が見えております。






    ↑今日こそ模型に手をつけたい!


日本車両のスイッチャー

2011-01-08 02:49:00 | 模型工作雑ネタ日誌

現在午前2時49分

会議が終わって午前様です。

今日も模型が出来ないのでフラストレーション溜まりまくりです。

ということで寝る直前の記事。

二台の日本車両スイッチャーをオンレールで見たことがあります。


陣屋町でチップ貨車を入れ替えていた


25t機
・・・と思われる形式。



高崎に居た
部品にかなり共通性が見られるも


Lタイプのもの、


こちらは15t機なのかな?

両者でレディメイドらしく、大変よく似た機関車ですね。
嫌味も無いスッキリしたスイッチャーです。

ところで、
高崎で

ちょっと不思議なDE10を見ていました。
DE10-2520
そんな番号あるわけが無い。

よく調べると
元国鉄~JR東海のDE101520が元ネタとのこと。
樽見鉄道に部品取りで渡った後、奇跡の復活で高崎運輸に。
しかしつかの間、このあとに解体になったそうです。

樽見に行ったときには、その部品取り仲間も見ていました。
DE10-1519


DE10-1516

確かに近似番ですね。
これらも既に解体されたと聞きます。



    ↑DE10の除籍活動車はまた書きたいなと思います。


丑三つ時も過ぎていた

2011-01-05 04:07:00 | Weblog

事実上の仕事本格化したらイキナリ終わりがこんな時間。
ということで
意味無く185系の写真でも貼って、寝ます。


日付通り。
どこで撮影したか忘れてしまった。
上野だったかしら。


間違いなく東京駅


2003年頃
伊豆箱根鉄道の駅


2009年確か赤羽駅。

ではおやすみなさい。




    ↑2月上旬から中旬までまた出張決定。


トラムウェイのDD13をどうにかする8

2011-01-04 00:39:00 | 北海道の私鉄!

新年初工作ですが
T先生の作品の残像が残って
正直気力が(;´Д`)

普通なら「ぐやじいいいいい」と地団駄踏む力をパワーにするんですが
「ヤバイくらい呆けております」

それだけ圧倒されたわけですハイ
ぶっちゃけ、劇薬が過ぎました。




キャブを接合していきます。
試作品はここがまだ未調整なんでハンドメイクです。

で、この機関車。
少数量産決定。
30個ほど。

欲しい方はまだ少し枠がありますのでお申し出(ヽ゜д)クレ
5000円くらい。

2月3日申し込み〆切り

内輪+αで頒布して終わりの予定。

これで造れる機関車は「夕張鉄道DD1001、DD1002」「真谷地炭鉱DD1002」ひょっとして「幻の羽幌炭鉱DD131」

羽幌炭鉱DD131ってのは、「廃止半年前」に新製され廃止後直後に室蘭の某製鉄所に転属になったっきり、行方不明のカマです。
そこには現在、

鹿島鉄道のDD902も運び込まれ
同社スイッチャーも

運び込まれました。

そして先月

十勝鉄道D5606と


同DD201が転属して行ったそうでございます・・・。

かなりショック。
もうほぼ見ること不可能。
かなり涙。

株主になって抽選構内見学会ゲットしても見られるかわから無いようなイチモツになってしまいました・・・・・。

見たい見たい見たい・・・!!
酒に溺れて涙するしかない・・・・。

羽幌DD131は既に高炉で溶けている様な気がするんですが




結構複雑な形


合わない


押せば合う。


減退気力を振り絞って


何とか合うけど。


鉢巻があるので


こう付ける予定になります


隙間が今度は空いた(;´Д`)

ここは煮詰めなおし部分ですね。

とりあえず明日にします。




    ↑それ以外にはどうも頭痛が消えないってのも理由にあります。


京王プラザホテル札幌新年走り初め会2

2011-01-04 00:14:00 | 模型工作雑ネタ日誌

本日よりお仕事開始。
あいさつ回りの「ついでに」ちょっとだけ立ち寄りました。

昨日撮り損ねた部分など

昨日、ボロッカスな格好と違い一応、スーツなんですけどねww


京王電鉄グッズブース。




喰いつきが早いとはまだ思えませんが、地道に啓蒙をしております。


個人的には路線図が欲しかったりw


なぜかうちの娘付(嫁無し)

仕事の間は車。
それでも模型が見たかったんだって。


真ん中が娘です。
小学校五年生155cm


その癖、モジモジしていて友人方にも挨拶が小さいという・・・。
挨拶はしなさい挨拶は!



熱烈子供指導中の友人Y氏


考えてみればどちらのクラブにも知り合いは居るのに
どちらにも参加していない私。


駅弁が食べられる


休憩所コーナー。
京王本線かぶりつきビデオを見ながら。


Gゲージもありました。


昨日とは売り物が変わっておりました
「友人某」の出店。


こちらはほかのお店。


快走!北軌道クラブ


何故に地デ鹿

さて、お待たせしました。
T先生の展示関係もう一度。


ばばん!

もうね、
そうね、
ヨダレものです。


無粋な私のコメントなんていらないでしょ?


これが、かの「夕張鉄道急行編成」




夕張鉄道のパッツンパッツンのレザー生地の座席の「ぎゅ!」って摺り音が聞こえてきそうじゃありませんか?


イヤンなっちゃうくらい、美しい出来です。
「いつかやりたいことが全て窄汁されて詰め込まれているんですもの」







バックにボタ山の写真がほしくなるこの角度。
くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううう。
11型蒸気機関車が展示場に都合4台も見えます。
え、それってフル台数じゃないですか?




で、


買ってまいりました。


ばばん!


とりあえず、何 も 言 わ ず ご 覧 く だ さ い。










私「おいしそうだね~」
娘「これ、バスじゃないのかな?」
私「・・・・・・・・・・・・・。」


娘「あ、やっぱり電車のつもりだ、でも京王バスなんだよね?」
私「・・・・・・・・。うう・・・うん。」

ですから

解体開始!!!


ホワイトチョコで分厚くコーチングされたバターケーキです。


絶賛解体中。


解体終了。
美味しかったですよ。
マジに。

チョコのたっぷり加減が最高。
1000円は安い。
あまりに安い。


前面は後で食べたい@娘



    ↑個人的にはこのケーキ、会場外ではなくて会場内で売って欲しかったかな。


京王プラザホテル札幌新年走り初め会

2011-01-02 23:48:00 | 模型工作雑ネタ日誌

にお邪魔してきました。


北海道のHOゲージクラブの雄・札幌鉄道模型クラブと、Nの北軌道クラブ、実際の主催である京王プラザホテル札幌での運転会です。
ホテルの集客にこういった趣味の活動が活かせるのであればいいことでは無いでしょうか。


これはおもしろい!パティシエの作品!

鉄道系ホテルの色を良く味わうに最適な逸品かと。



大変広い会場には、HO,Nの力作が快走するかなり良い空間です。
1000人以上の一般の方々が来場し
駅弁売りやレストランも鉄道協賛で盛り上がります。
ホテルのかたがたも「京王電鉄制服」というこだわりよう。


協賛出店も多数。
京王電鉄グッズもあり、ちょっと嬉しいものを見つけました。

「永福町駅」キーホルダー。
実は東京で見つからず、がっかりしていたときに地元で入手できるとは。


鉄道古物の出店


凄まじい作品。
自分の腕が嫌になるくらい細かい。




子供が好奇心満点に会員さんたちと交流しています。


いざ鉄道趣味へいらっしゃい!


尊敬すべきモデラー、T先生の個人展示。
TMSでも発表された伝説のモデルが!!!!



Nでまともなキハ22のモデルといえばシバサキ位しか無い時代に
「全部ペーパーで」
作成されたキハ22の作例を覚えていますでしょうか?






ホンモノです。
すげーすげー(正直にはしゃいでおります)

で。

こちらはHO

鉄道模型趣味2002年6月号の「夕張鉄道急行編成」で発表された
ホンモノが「後ろに」あります。
(何故撮影し損ねている・・・)


いやぁ・・・



すごい・・・・。




ほんものや。

「こむめ君、失礼だけど’(前より)上手くなったね」
いや・・・マジめに嬉しいんです。
そういうお言葉。
おかげでそのあとフワフワに浮き足立って、田舎もの丸出しで・・・ちょっと
はしゃぎすぎました。

肝細いのが私です。
情けなや。
本当に情けないくらい浮き足立っておりました。

だって!だって!
「憧れのモデルを前にあなたは正常で居られますか」

私は

「まだ無理だな!」

男37歳万年一兵卒。
いや、小沢じゃないって。


調子に乗ったこむめ。

       __
      |・∀・|ノ  よい
     ./|__┐
       /  調子
    """"""""""""""
         .__
       ((ヽ|・∀・|ノ  しょっと
         |__| ))
          | |
          調子

T先生のレイアウトにご好意に早速乗って置かせていただく。



走らせちゃう図。


かなり感動しております。



感動継続している図。



姑息な私。
夕張鉄道DD1001を見せびらかす。
・・・・反応を見るの巻。

ということで。

「同人製品化決定」の巻。


なんて姑息で卑しいのだろう。

TMSの賞をひとつでも取りたいなぁ・・・。
そうちょっと思うこのごろです。


友人MY&MKと打ち上げ
(京王プラザホテルのレストランバイキングは美味しいので行きたかったんですが、あいにくお正月活況で満席でした・・・・)


牛しゃぶ。


工作ミーティング。


酒に酔った友人MYを送り届けて

先ほどまで同じ会場に居た友人KW夫妻の乗る急行はまなすを北広島で見届け。

帰りがけの車で友人ABと電話ミーティングし

いま帰宅。

いやぁ。
リフレッシュリフレッシュ!

明日から仕事を再び渇入れれそうです。

てなことで

今日は眠い!!!!!




    ↑この浮き足立つ軽い足元を何とかすべきではないかと。


【資料】C11すずらん青20号編成の記録

2011-01-01 21:16:00 | 北海道廃車体めぐりレポ


1999年の記録です。
C11が復活するに当あたり二方面で広報のお仕事の手伝いをしました。

一件が

このようなPR誌の編集主幹としての携わり。
記者兼カメラマン兼ディレクターとして。
(記者やカメラマンはサポート程度にしましたけど)


こんな紙面を「新創刊なんだから結構趣味全開で」作ったことがあります。

限られた紙面だったので人にスポットを当てて3回くらい連載記事にしたでしょうか。

このPR誌タイトルも自分案のひとつだったので思い出深い仕事です。
この仕事を3号まで編集し最期に広報会社を辞めたので仕事から脱することになったのですが、この仕事は続けたかったなぁ・・・。

そこでの取材のときのこと。

落成写真を撮りに行ったのでした。


ちょっと有名な「幻の青20号編成」です。

塗色変更されたオハ14 519・526とスハフ14 505の3両で「なんで15号じゃないんだろうなぁ」とはお仕事の中で納得できる理由があったので結構サラッとしておりました。
のちの増備車「巨峰色」のときも同じ感想。

屋根の色は14系がねずみ色でしたが、スハシは完全にGMダークグレイそっくりな色の「塗り屋根」で、ベンチレーターも一切なく腐食対策で割り切られていたことが解ります。


実はこのとき、ストーブ無しであったのでストーブ煙突もなかったんですよ。

一度スハシ改造当初に取り払われたテールライトは、オハフ51のテールライトを変形おわん型にベースを介して追造し、幌座も撤去。
外配管の不恰好なものが取り付けられておりました。

床下機器も近代的な装置が取り付けられています。
すずらん号運転当初は3連でスハシは編成端であったため取り付けたのはわかるのですが、原型とはかけ離れた姿だったのです。


後日、関係者運転会では既にぶどう色になりましたから。その姿を。
貫通扉はオハ45系の「側扉」が嵌められており、奇妙な概観を際立たせておりました。
ぶどう色のときに屋根も塗りなおされており、ジャーマングレイのような濃度になっておりました。


14系は青に塗っただけで、蒸気機関車のサウンド放送するスピーカーが別添で取り付けられている(試運転当時は録音ドラフト音で噴出しそうになった)以外は原型で、後日固定クロスシートに交換するわけですが当初は簡易リクライニングシートでした。
客車の機関区配置札入もこのときはありませんでした。




C11は前から見た目、客車と異なり非常にプレーンなスタイルで、過剰な装飾はありませんでした。
復元当初は現役時代の再整備であり、バルブひとつとっても当時のものだったのです。
現在はかなり現用品に交換されたと聞きます。

復元後しばらくして増車。スハシは中間車になりました。
考えてみればこのときのオハ14ゲテモノテールライトをちゃんと撮影しておくんだった・・・・。


各部の「構造」が原型に近かったのは復元に当たった国鉄OB、当時札幌交通機械のKさんの計画と現場艤装指導のNさんによるものであることから、当時の仕様に近かったのかもしれません。

軸受メタルも記事には書きましたが、「笹葉きさげ」と呼ばれる「削り専用ノミ」のようなもので削る作業もそのままであり、機械転削ではありませんでした。
確かに、笹の葉型の刃物で傷をつけるんだか削るんだか難しい小手で削り上げて軸を整えていく作業は、熟練を要することは良く解り、北海道のC11が何度も軸焼けを起こしたのも、この作業の伝承が如何に難しいものかを後で思ったものでした。
当時、指導にあたられていたのは当時78歳になられていたIさん。
確か手稲オリンピアでミニ弁慶号の運転手として余生されていたところを、期限付き復帰され、削っておりました。

このときの復元では、デフレクター、キャブ、炭庫、ボイラケーシングの一部、プラウを新製していました。
軸受けメタルはもちろん新製です。
水槽は元のものを再利用。
復元の条件となったのはタイヤの厚みが残っていたことと車軸が磨耗していなかったことだったと聞きました。


コンプレッサーは標津のC11からだったと聞いたかもしれませんが、現在では苫小牧のC11-133もダミーとなっているのでどのコンプレッサーかは今はわかりません。
コンプレッサーも作りにくいから探したと聞きました。

未完成の時期に当時のポスターを作るのに
標津機関区の同僚であった大井川C11-227の写真をCG改造したり、C11-207の現役走行写真を1灯に改造して使いました。
マニア(w)ですから、徹底的にこだわってCG改造したと思います。
それぞれ標識等掛けやデフレクターの裏側、煙室扉の当て板補修に違いがあり、こだわりまくって「誰もわからない精密写真」を造ったりしました(苦笑)
207の写真は鉄道写真の巨匠の作品で、「巨匠の写真をいじっていいのかなぁ」なんて思いながら。
あとで207が復帰したときはちょっと驚いたもんです。

秩父別からの依頼の写真はそうやって改造したんです。



後部はかなり現役時代と異なるというか、保存状態の炭庫を見本に新規設計&合理的に作成してあります。
「予算が足りなくてここまでしか造りかえられなかった」と聞きました。
本当は水タンクも痛みがあったので作り変えたかったそうです。
そのような事情や、マニア的ではなくコンディション重視のため現役時代との機能は同じでもディテールと異なるのは当然です。
キャブも新製ですから炭容量含めてサイズが全て微妙に異なるのですから。

この炭庫は札幌交通機械の工場内で作成されており苗穂工場に搬入されています。


このときの予断でマニアな私は取材にかこつけていろいろ馬鹿なこと聞いておりました。
「9600は・・・だめだったんですかねぇ」
「9600はだめだ。ボイラがどれも激しく痛みが来ていて、現役末期もギリギリだった。フレームの歪みもどれも酷い。軸重も重いから扱いにくいだろう。バックも難しい。C11のような「新しくて」手軽な機関車が一番だよ。C11-171でも決して状態は良くないからね。軸とタイヤだけで選んだようなものだもの」
ぐうの音が出ませんでした(笑)

「D51は・・・」
「C62で懲りているのと同じだよ。一般に人気はあるかもしれませんけどね、維持費も運用コストも膨大だ。C11が一番なんですよ」

「移送のときの苦労話は・・・?」
「現地で解体するときだったかな、とにかくあちらは湿地地帯でしょ、かなりばらばらにしないとC11といえど重すぎて運べないことがわかって、とても悩んだよ。ばらすのは昔は簡単だったけど、何せ今の若い本社の人たちはSLをあまりばらしたことが無いから、説明が大変だった。そして、いざ解体するときに、ちょっと目を放した隙に若い人がガス切断機で灰箱周辺に火を当てている。もう慌てた慌てた(笑)あの部分は部厚い部品でもう日本では造れないからね。切られたら全てが終わるところだった!怖いね」

「復元の苦労話は」
「とにかく若く良い人たちを選んで集めたけど、知らないことはしょうがない。説明しながらだから大変時間が掛かっているよ。特に私の仕事は検査計画の策定が中心だから、いろいろなことを知って居なきゃならない。D51-603の最終検修まで見守った自分たちから数えても30年近い。本社現場が誰も知らないからとにかく大変だよ・・・Iさんだって作業開始前の10日位前かな、暇しているってんで呼んだの。誰も軸受けを削れないんだもの。今は機械でやればいいものばかりだけど、SLはそうはいかないからね」


などでした。


    ↑なんか・・・熱ぼったいなぁ


年明け一発!

2011-01-01 04:41:00 | Weblog


約14年前に描いたイラストですが、兎年と言うことで。

たったいま、仕事納めでした。

さて、新年いつから工作するかと言うと・・・


明日の夜だと思います。

怒涛の年末でした。
なんとか来年も生き残りたいものですね。





  ↑
やっと年末年始のテレビなんぞ見ております。