郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

姫路へ

2009年12月15日 | 日記

 今日から3泊4日で娘の家に行きます。たくさんの重い荷物を持って、まるで大黒さまのようです。重い荷物には親の思いが入っています。同じように娘も孫が結婚したら孫の所に重い荷物を運ぶのでしょうね。その時になって初めて親の有難味を感じることでしょう。私たちもそうでした。今は親に対し感謝の気持ちで一杯です。その時は感謝していましたがそれが当たり前のようにも思っていました。今の感謝とその当時の感謝とは少し異質なのです。それは自分たちがして初めて分るものようです。

(写真は寒さに耐えてまだ咲くコスモス)

 田舎のSさん(奥様)と熱海のKさんからお歳暮が届いた旨お礼の電話がありました。どちらも大変恐縮されていました。が、お互い様です。物々交換でのコミュニケーションの取り方です。何か機会がないと感謝の気持ちを表現できない。お賽銭やお供え物も神様と下々のコミュニケーションの取り方だと思います。贈ることで感謝の気持ちを伝え、自己満足しているに過ぎませんが…。あるいは服従の証であったのかもしれません。

会社勤めのときは安いボーナスを遣り繰りして給料が高い上司にお歳暮をしていました。その矛盾もあって自分が上司になったときは部下から来ても一回限りで贈らないように言いましたし、当方からも部下にお歳暮のお返しをしました。感謝するなら仕事で返せと思っていたし、お歳暮で部下の評価を変えないという公平性の一本気な気持ちの現れでした。でも、今になって思うことは給料の高低ではなく、また評価への手心の依頼ではなく、単純に感謝の気持ちであったら、それを受け入れても良かったのではないかと言うことです。贈り手に邪心がなければ、それはそれで下手なコミュニケーションの取り方ではなかったのか。取り敢えず1年平穏に過ごせたこと対する感謝の気持ちを贈り物に託していたら、それを拒否した自分は狭量であったと反省する次第である。それはその人(部下)の存在を否定したことになるのでは思うからである。~公務員でない限り。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする