郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

正月3が日開け

2014年01月04日 | 日記
 正月も明け、お節はリメークをしながら食べ尽くしています。今日も家に籠もり、テレビを見たり、パソコンで遊んだりでした。夜、母の今後のことについて話をしました。私に当事者意識がなく自分で解決策を見つけようとする自覚が足りないと家人に指摘されました。が、いろいろ考えすぎて私自身どうしてよいやら分らないのです。兄弟姉妹の中で母からは一番可愛いがって貰えなかったと思っていますが、それと親を看るることを天秤にかけることには納得いかないのです。家人はまだ親に激しい恨を抱いており、許していないと言う。何がそこにあったのか知りえませんが、親の方はそこまで辛く当たったとは思っていないのでしょうけれど…。子どもの家人が受けた傷は親の何気ない一言でも大きいと言えます。
 今日の夕食は、














◆ちらし寿司 ◆数の子 ◆柿の白和え ◆すまし汁
     傷つきやすい子どもたち
 子どもは感受性がとても強い。強すぎて精神的に落ち込んでしまう。その負担を和らげてあげるべき言葉や気遣いがないと、子どもはずっとその負担を背負って行くことになる。子どもから成長しても心の奥底に沈殿した蟠りの泥は時という潮の流れにも無関係に暗い暗い底で堆積したままである。その泥は心を汚し蝕み、時とともに大きくなり、時として自制できなくなり、瞋恚の炎に燃えて怒り狂う。その恐ろしさを秘めている。原因は親なのに因果は子に現れる。現れた時は既に遅い。だから、親は常に自らを省みて子に接しなければならないのです。

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